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第7話

 あれから一ヶ月後、私は渋沢駅から歩いて20分くらいの緑山という町に住み着いた。

セレブ向けのレストランやカフェが多い町だけど、賑やかな通りを少し抜ければ住宅地が広がっている。その中にある築50年、家賃が格安の古アパートに空きを見つけて、すぐに契約した。


父は家を出る事に大反対したけど、母は『心配なのはわかるけど、二人とも冷却期間が必要よ♪』と笑って許可してくれた。


「森崎さん、生地が出来たから、次はクロワッサンをお願い。」

「はい、わかりました。」


私は、緑山町の賑やかな通りの近くにある、遊歩道に面したパン屋でバイトを始めた。製造部門なので、人との関わりも最低限で済む。

売り場から作っている厨房がガラス越しに見えるけど、給食のおばさんのように真っ白な作業着、髪の毛は完璧に帽子の中、マスク姿なので、万が一顔見知りが来店しても気付かれないだろう。

時給のバイト生活は厳しいけど、今の私には有り難い仕事だ。


「森崎さんは主婦をしていただけあって、手際がいいね!」

「ありがとうございます……」


職人も兼任しているパン屋のオーナーが、話しかけてくる。


「閉店まで残って貰えるし、助かるよ。主婦のパートだと平日夜どころか、土日の出勤も無理な人が多いからね。」

「そうですね。皆さん、お子様の学校に合わせて働きますから。」

「この調子で頑張ってね。」

「はい。」


専業主婦だった頃のスキルがここで役に立つなんて、皮肉なものね……


そんな事を考えながらクロワッサンの生地を丸めていると、売り場が賑やかになってきた。


  『キャ~!黒岩ヒカルくんよ~♪』

  『そういえば、この辺りでドラマの撮影してるって聞いたよ~♪』


黒岩ヒカルって、今、人気の若手俳優だったか……まぁ興味ないかな……


再びクロワッサンに集中しようとした時だ。


  『お?旨そうなパンがいっぱいじゃん♪翼も早く来いよ!』

  『待ってくれよ。ヒカルのせいで店の入り口が塞がれてんだからさ!』


えっ?!

聞き覚えのある声に、思わず売り場に目を向ける。


嘘っ!翼くんだ!本当に三回目の偶然があった!


翼くんは、黒岩ヒカルって男の子に負けないくらい、きらびやかなオーラを放っている。


  『隣にいるのって誰?めちゃカッコいい~♪』

  『知らないの?モデルの翼だよ!』


ハッ!

売り場の女の子達の声で我に返った。

翼くんは華やかな世界に生きるモデル……一方の私は地味な格好をした厨房のおばさん……


こんな姿、見られたく無いな……


気付かれないよう咄嗟に顔を背け、パン作りに没頭した。




「お先に失礼します。」

「森崎さん、お疲れ様。」


店を閉めて帰るオーナーに挨拶をして、裏口から店を出る。う~ん!と背伸びをした時、後ろからガバッ!と抱きつかれた!


「だ、誰?!」

「百合ちゃん、見っけ♪」

「その声は、翼くん?」

「当ったり~♪百合ちゃん、酷いよ~!全然目を合わせてくれないし!」

「気づいてたの?」

「もっちろ~ん!百合ちゃんも気付いてたよね?」

「ま、まぁ……」


誰だかわからないような格好をしてたのに、気付いてくれてたんだ……ってか、小悪魔全開……


「あ~、温かい♪百合ちゃん湯たんぽみたい!」


翼くんは私に抱きついたまま離そうとしない。


「……誰かが来たら、マズイんじゃぁない?」

「大丈夫、大丈夫♪そしたら隠れるから!」

「そういう問題じゃぁ……」


言いかけた時、誰かの話声が近づいてきた。


「ヤバっ!百合ちゃん、隠れるよ!」

「えっ?私まで?」

「いいから早く!」


腕を引っ張られ、何故か私まで建物のすき間に入らされてしまった。


  『火、持ってる?』

  『あるよ。』


声の主達は、店の裏口に置いてある灰皿に用事があったようだ。


  『だりぃ~、まだ撮影長引く?』

  『主演女優様が遅れてきたんだから、仕方無いだろ。』

  『遅れてきた癖にNG連発ってどうよ?』

  『はは!確かに!翼くんは明日の早朝に、雑誌の撮影があるって言ってたし、みんな迷惑をこうむってるよな。』

  『ってか、翼の演技ってどうよ?個性的過ぎて調子狂うんだけど。』

  『そう言うなって、ヒカル。所属の社長にイチ押しって言われて、受けたんだからさ。』

  『モデルだか何だか知らないけど、演技は素人だろ?あんなのでよくイチ押しって言えるよな。』


ヒカルって、さっきパン屋に来た時、翼くんと親しげに話してた男の子よね……裏でコソコソ悪口言うなんて、性格悪そう……


チラッと翼くんの顔に目線を向ける。翼くんはバツが悪そうに頬をポリポリと掻いている。

そのうち煙草を吸い終わったのか、話し声が遠ざかっていった。


「あぁ~!!」


突然、翼くんが声をあげてしゃがみ込んだ。


「カッコ悪りぃ~!しかも女の子の前って、最悪じゃん!」

「翼くん……」


あんな会話を聞いたら、翼くんも気分が悪いわよね……


「あっ、もう百合ちゃんは帰るところだったよね!俺、まだ撮影残ってるから、またね!」

「でも……」

「気にしないで!この世界って、色々あるからさっ♪」


翼くんはしゃがんで顔を伏せたまま、軽く手を振っている。


翼くんも色々な葛藤を抱えているのに、この前は私の話を聞いてくれようとしてたんだ……疲れている私に気付いて膝枕で寝かせてくれたんだ……


弱っているところを見せたくないのかもしれないけど、このまま傷ついた翼くんをほっといて立ち去ることも出来なかった。

しゃがんで顔を伏せている翼くんの傍に膝をつき、ふわっと頭を抱きしめる。


「えっ?ゆ、百合ちゃん?!」


慰めの言葉なんて、何を言っていいのかわからない……だから黙って、頭を撫で続けた。




 暫くされるがままになっていた翼くんが、ふっと身体を離した。


「百合ちゃん、ありがと!もう復活したよ~♪ってか、百合ちゃん、デニパンが汚れちゃったじゃん!」


翼くんはそう言いながら私を立たせて、デニムパンツの膝を軽くはたいてくれた。翼くんの顔には自然な笑みが浮かんでいる。


「大丈夫よ。ありがとう。」

「じゃぁ、残りの撮影も頑張ってくるね~♪百合ちゃんは気を付けて帰ってね!」


軽く手を振りながら、翼くんはその場を走り去っていった。


もう大丈夫かな……一見華やかな世界も、色々と大変なのね……

葛藤を抱えながらも明るく振る舞う翼くん……凄いな……私には真似できないや……



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