第68話
それから暫くは気になる事も無く、平穏な日が続いた。新しいバイトさんも入り、今は仕事内容を教えているところだ。
「森崎さ~ん♪翼くんがお迎えにくる日っていつですかぁ~♪」
「……今は忙しいから、当分は無いわね。」
「もったいぶらずに教えてよ~!」
この新しいバイトさん、誰かから聞いたのか、やけに翼くんに会わせろと言ってくる……
「次は、クッキー生地を乗せて焼きます。」
「で、翼くんは?」
見かねたオーナーが、助け船を出してくれる。
「無駄口を叩かない。手早くしないと発酵が進むよ。」
「……は~い。」
オーナー、辞める時までご迷惑をお掛けします……
新しいバイトさんもかなり仕事を覚えてきてくれたある日、いつもより遅くパン屋を出た。
スーパーへ寄って帰ると、マンションへ着く頃には真っ暗ね……部屋にある物だけでも何とかなるかしら……
そんな事を考えながら渋沢駅へ足早に向かっている時だった。
キラッ……
「えっ?」
またあの違和感だ……何処から……
立ち止まって周りを見渡しても、談笑しながら歩く人達ばかりだ。
「な、何で……誰が……」
ゾクッ!と悪寒が背中を走り、息が荒くなってくる。
に、逃げなきゃ……そ、そうだ!なるべく人混みに紛れた方がいいかもしれない!
そう思い、行き交う人達の中へ飛び込んで走り出した。
「はぁ……はぁ……」
時々、後ろを振り返りながら足を止める事なく走り続ける。
足早に歩くサラリーマン、肩を寄せ合って歩くカップル、焦れば焦る程、全員が怪しく見えてくる。
「だ、誰か……助けて……」
駅近くまで辿り着いた時、ふと、シュウくんが言っていたクラブがあるビルが見えてきた。
あそこなら!
ダッシュでクラブ入り口の階段を駆け下りた。
バン!と身体ごとぶつけるように、クラブの扉を開ける。すると、バーカウンターの中にいた男の子が、気だるそうに声を掛けてきた。
「お客さん、まだ開店前っすよ。」
「すみません!シュウくんは?」
「へっ?シュウさんっすか?」
「そう!シュウくんに連絡を取りたいの!」
膝に両手をつきながら肩で息をする私を見て、男の子は何かを思い出したような顔をした。
「もしかして、百合さんっすか?」
細かく顔を縦に振ると、男の子がすぐにバックヤードへ入っていく。暫くすると、シュウくんが数人の男の子達と一緒に出てきた。
「百合さん!何かあったの?」
出てきたシュウくんはすぐに駆け寄ってくれて、ボックス席へ座るように促してくれた。
「また、あの光が……」
「この前言ってたヤツ?」
「そう……」
眉間に皺を寄せて険しい表情を浮かべたシュウくんは、控えていた男の子達に手早く指示を出していく。
「ここを伺うようにカメラを向けてるヤツがいたら、捕まえてこい。」
「はい!」
指示を受けた男の子達は、すぐに店から出ていった。それを見届けたシュウくんが、私へ向き直る。
「百合さん、大丈夫?」
「うん……ところでカメラって?」
「百合さんが時々感じた光は、たぶんカメラを向けられた時の光だろ。」
「そうなの?」
「たぶんな。たまたま太陽の光がレンズに反射したってところかな?元旦那なら、二度と手を出さないように脅しておくか……」
シュウくん、一体何をするつもりなの……いや、聞かない方が身のためのような……
それよりも、まさか元夫がまた……
ブルッ!と震える肩を自分で抱き締めるように押さえつける。
「大丈夫。翼が居ない時は、代わりに俺が百合さんを守るから。」
「ありがとう……」
それから、バーカウンターにいた男の子が出してくれたウーロン茶に口をつけ、少しずつ落ち着きを取り戻していった。
それからどのくらい時間が経ったか、店の入り口から怒号が聞こえてきた。
『てめぇら何だよ!警察に通報するぞ!』
『うるせぇ!誰の許可を貰ってんだよ!勝手に写真撮ってんじゃね~よ!』
『関係無いだろ!離せ!』
あれ?元夫の声では無い……
内心ほっとしながら、入り口の扉へ目を向ける。すると、男の子達に両脇を固められて首からカメラをぶら下げている、見覚えの無い男性が店に入ってきた。
「何だよ……この女の差し金か。相当な性悪女だな。」
吐き捨てるようにそう言った男性が、蔑んだ目付きを私へ向けてくる。そう言われても面識は無いし、何を言いたいのかわからない。
「……カメラを見せろ。それと所持品を調べろ。」
シュウくんが指示を出すと、男性の脇を固めていた男の子がすぐにカメラを持ってきてくれた。
「百合さんは見ない方が……」
「大丈夫、私も確認したいの。」
「わかった。」
シュウくんは器用にカメラを操作し、一緒に画面を覗き込む。中身は、隠し撮りされた私の写真だらけだった。




