第67話
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《百合子目線》
元夫が釈放された……それだけで、私が怯える理由は充分だった。
部屋の外からしか開閉出来ないようにリフォームされていたらしい元夫のマンション……下手すれば、一生そこで過ごす羽目になっていたかもしれない……
翼くんと一緒にいる幸せを知ってしまった……その幸せを知れば知る程、元夫への恐怖心が増してくる……翼くんに迷惑が掛かるとわかっていても、傍に居たい……
レストランから翼くんのマンションへ戻り、翼くんは気遣うように私をソファへ座らせてくれた。
「百合ちゃん、大丈夫?」
「うん……また迷惑かけてごめん……」
「迷惑なんて思って無いって!いくらでも俺を頼ってよ!俺が居ないと生きていけないくらいにね♪」
翼くんは敢えて明るく、でも優しい手つきで私の頭を撫でながら、微笑みかけてくれる。その暖かい手に、目頭が熱くなっていく。
「翼くん……」
「ん?なぁに?」
「ごめんね……迷惑をかけるってわかっていても、離れたく無い……」
「……」
「本当にごめん……」
翼くんの手が止まった。恐る恐る目を向けると、翼くんは嬉しさを噛み殺しているような顔をしている。
「どうかしたの?」
「こっちこそごめん……百合ちゃんが恐がっているのに、嬉しくて仕方ない……」
「えっ?」
「だって、俺と離れたく無いって……盛大な愛の告白にしか聞こえないんだけど♪」
ん……?うわっ!もしかして今、すごく大胆な事を言っちゃった?!
今更ながら自分で言った事の恥ずかしさで、かぁっと顔が熱くなってくる。
「い、今のは取り消しで!」
「取り消し却下♪」
「もうっ!顔を見ないで!」
嬉しそうに私の顔を覗き込んでくる翼くんの視線から逃れるように顔を背けると、逃がさないとばかりに、ギュッ!と抱き締めてきた。
「百合ちゃん可愛い~♪」
「か、からかわないでよ!」
「俺も離れたく無いから、安心して!ずっと一緒に居ようね♪」
もう一度顔を覗き込まれると同時に、小鳥のように啄むキスが何度も繰り返される。
何だろう……翼くんにキスされる度に不安が掻き消され、自然と笑みが溢れる……
「まるで魔法みたい……」
キスの合間に、思わず声が漏れていく。
「ん?魔法って?」
「ううん、何でも無い……」
微笑みながら首を横に軽く振り、自分から顔を寄せて翼くんの唇に私の唇を重ねる。
二人でじゃれあうよう、甘くも優しいキスを交わし続けた。
「……という訳で、可能なら日が明るいうちに帰宅したいのですが……」
「事情はわかったけど……今から冬になるし、勤務時間はかなり短くなるな……」
「それと、ここで働いている事は元夫に知られてしまっているので、ご迷惑をお掛けしないうちに、代わりの方を雇って頂けたら……」
「せっかく仕事を覚えてきたのにね……」
翌日、パン屋のオーナーに事情を説明して、バイト時間を減らして貰うようお願いした。人通りの多い明るい時間なら、元夫も手出ししないだろうと思ったからだ。
それと、バイトを辞める事も伝えた。
「ご迷惑をお掛けして申し訳ありません……」
「まぁ、森崎さんが大変な事もわかってるし、仕方ないか。」
「代わりの方が見つかるまでは、しっかりと働かせて頂きます。忙しい時はタクシーで帰りますので、閉店まで働いても大丈夫です。」
「もしそうなったら、車で送ってあげるよ。バイト代が消えてしまうよ。」
「ありがとうございます。」
本音を言えば、働いていたい……離婚後、無気力だった私を快く雇ってくれて、本当に良くして貰えた。
だけど、無理してでもパン屋へお迎えに来るという翼くんの負担になりたくなくて、英会話の勉強に集中したいからバイトを辞めるのはいい機会だから、お迎えに来なくても大丈夫だと説き伏せた。
暫く経ったある日、敵は思わぬ方法でやってきた。
「お先に失礼します。」
「森崎さん、お疲れ様。」
まだ働いているみんなに挨拶をして、昼過ぎにパン屋の裏口から店を出る。
今日、翼くんは一緒にご飯を食べれるって言ってたし、久しぶりに魚のホイール焼きでもしようかな……鮭かタラか安くあればいいけど……
そんな事を考えながらスーパーの入り口でカゴを取り、魚コーナーへ向かう。
「う~ん……秋サバもいいわね……」
色々とパックされた魚を手に取り、吟味している時、視界の隅で何かがキラッと光った。
ふとその方向を見ても、買い物客が行き交うだけで、特に変わった様子は無い。
「気のせいかな……」
その時は深く考えずに、買い物を済ませて帰った。
バイトが休みの日、久しぶりに図書館へやってきた。着いたらすぐに英字新聞を広げ、内容に目を通す。
「へぇ~、こういう表現の仕方もあるのね。」
仕事に役立ちそうな言い回しなど、いつも通りノートにメモしていた時だった。
キラッ……図書館本棚の方から、一瞬、何かが光ったような気がした。
えっ?な、何?
パッ!と本棚へ目を向ける。本を手に取り選んでいる人、じっくり本棚を見つめて何かを探している人、いつもの光景だ。
でも、今まで何度も足を運んでいるのに、光が気になった事なんて一度も……
そういえばこの前、スーパーでも同じ事が……
ゾクッ!と背筋に悪寒が走った。
まさか……誰かに監視されている?でも、元夫らしき姿は無い……一体誰が……
もしかしてスーパーの時も後を付けられていたの……?
急に不安と恐怖心が入り乱れ、手が震えてくる。
「帰ろう……」
震える手で何とか新聞を片付けを終え、図書館を駆け足で走り出た。
「一体誰……?」
誰かに見られている……気のせいかもしれないけど、恐怖心も手伝ってか、そんなふうには考えられない。
渋沢駅前まで走ると、前からシュウくんが男の子達を従えて歩いてくるのが見えた。
「シュウくん!」
「おお!百合さん久しぶり!って、何かあった?」
私に気付いたシュウくんが軽く片手を挙げて笑顔を見せてくれるものの、焦ったように駆け寄ってくる私を見て、すぐ何かを察知したらしく、男の子達の輪の中へと庇ってくれた。
「はぁ……はぁ……わからない……けど……気のせいかもしれないけど、誰かに見られているような気がして……」
息を整えながら、光りなどの違和感を説明する。シュウくんはすぐに鋭い眼光で周りを注意深く見渡し始めた。
「……今のところは大丈夫そうかな。」
シュウくんは厳しい表情のまま私へ声を掛けてきた。
「翼のマンションまで送ろうか?」
「ううん、大丈夫……私の気のせいかもしれないし……」
「だといいけどな……営業時間外でもクラブに来れば俺と連絡が取れるようにしておくよ。また何か感じたらいつでも来ればいいから。」
「ありがとう……」
考え過ぎかも……きっと、元夫が釈放されたと聞いて、過敏になっているだけよ……
そう自分に言い聞かせて、シュウくん達と別れた。




