第64話
マンションへ向かう車の中には、微妙な空気が漂っている。信号待ちで車が止まり、二人とも無言のまま前を向いている時、百合ちゃんが俺の様子を伺うように、尋ねてきた。
「……翼くん、ちょっと付き合って欲しいところがあるんだけど、この後、時間貰ってもいい?」
「いいよ。何処へ行くの?」
「今は内緒かな。行けばわかるから。」
「了解。」
途中の花屋さんで花を買い、車は郊外へ向かってひたすら走る。
「着いたわ。」
車は一時間くらい走り、やっと駐車場に停まった。
「百合ちゃん、ここは?」
「龍二がいるところよ。もう10年以上、来ていないの。」
って事は、お墓?何で百合ちゃんはこんな所に……
百合ちゃんの意図もわからず、とりあえず付いていく。
暫く歩くと、墓地の一角で百合ちゃんは立ち止まり、お墓に花を添えた。花は名前と一緒で、百合の一種のカサブランカだ。
ここがリュウジのお墓……
百合ちゃんに合わせて、俺も手を合わせる。
静かに目を開いて顔を上げた百合ちゃんが、ふっと笑みを浮かべた。
「龍二、紹介するね。こちらは翼くん。私が今、大事に想っている人よ。」
えっ?まさか、俺が気にしているのに気付いて、連れてきてくれた……?
「龍二より、格好いいでしょ?自慢しに来ちゃった♪」
「百合ちゃん……」
そして、百合ちゃんは俺に向き直った。
「翼くんは翼くん、龍二は龍二よ。全くの別人だし、身代わりだと思った事なんて無いわ。」
百合ちゃんの言葉が、ゆっくりと俺のわだかまりを溶かしていく……
「いつも私を気遣ってくれる優しいところも、心の底から頼りになる男らしいところも、人にはわからない努力を積み重ねているところも、元気付けてくれるポジティブなところも、時々甘えて小悪魔ワンコになるところも……翼くんの全部が好きよ……」
全部、俺の内面だ……百合ちゃんは、ちゃんと心を見てくれていた……
ガバッ!
怪我をしていない左腕で、可能な限り百合ちゃんを抱き込む。
「両手で抱き締めたい……もっとギュッ!として、百合ちゃんを腕の中で感じたい……」
「右腕を動かしたら駄目よ。」
「わかってる……」
「右腕が使えない分、私が右腕の代わりになるから……」
百合ちゃんの細く温かい腕が、俺の背中に廻される。
俺の杞憂なんて、何の必要も無かった……
「俺……世界一の幸福者だ……」
「相変わらず、大袈裟ね。」
「本当だって……」
言葉なんて無くても、静かに温もりを抱き締め合うだけで、心地好い穏やかな気持ちが広がっていく。
暫くすると、百合ちゃんの静かな声が聞こえてきた。
「一つ、約束して欲しい事があるの……」
「何?」
「……絶対に、私より先に死なないで……」
これは、きっと、百合ちゃんの一番の願い……心から望んでいる願いだ……
「うん……百合ちゃんを遺して逝かないから……どんなに歳を取っても……」
「あと……直して欲しいところが……」
「へっ?な、何?!」
お、俺、何か悪い事してた?!
焦って身体を離し、百合ちゃんの言葉の続きを待つ。
「そ、その……」
百合ちゃんは何故か、はにかみながら俯いている。
「出来れば、人前でのスキンシップは少し控えて貰えると……」
「……へっ?」
……そ、そんな事?
身構えていた身体の力が、抜けていく。
「な~んだ!そんな事か♪」
「そ、そんな事って……」
抗議するように少し睨んでくる百合ちゃん……逆効果だって♪
もう一度ゆっくりと百合ちゃんを抱き締めて、温もりを堪能する。
「無理かも……さっきの顔も、可愛くて仕方ないし……」
「変な趣味……」
「いい趣味だって自負してるよ♪」
リュウジ……百合ちゃんは俺が幸せにするから……
同じ女性を愛した男として、天国から見守ってくれよ……
もう、リュウジの存在は気にならない。同志を得たような気持ちで、誓った。
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《百合子目線》
「ただいま!百合ちゃん、百合ちゃん!」
その日、帰って来るなり嬉しそうに駆け寄ってくる翼くん。まるで、ご主人様にやっと会えたワンコ……
「百合ちゃんだぁ~♪」
「ちょっ!急に飛びついてきたら、危ないって!」
後ろから抱きついてきた翼くんをなだめながら庖丁をまな板へ置いた時、違和感に気付いた。
あれ?両手で抱きついてきている?
「翼くん、もしかして……」
私の腰に巻き付いている翼くんの右手に視線を落とす。そこには久しぶりに見る、ギプスの無い腕があった。
「へへ!超音波当ててたでしょ?あのお陰で、予定よりも一週間早くギプスが取れちゃった♪」
「もう完治なの?」
「筋肉が少し落ちちゃったから、リハビリが必要だけど、すぐに戻ると思うよ♪」
「そっか!良かったじゃない!」
「やっと百合ちゃんをギュッ!と出来るよ♪」
そう言いながら腕に力を入れて、更に密着させてくる翼くん。
「ふふ!お願いしたいところだけど、ご飯が食べれなくなるわよ♪」
「う~ん……飢え死にしたくないけど、今すぐにベッドでギュッ!としたい気分……」
「ふふ!飢え死にしたらギュッ!と出来なくなるから、ご飯が先ね!」
「じゃぁ、今夜は一晩中、ギュッ!として寝ようね♪」
翼くんは上機嫌に腕の中から私を解放し、鼻歌まじりに食器を並べる手伝いを始めた。
寝仕度を整えてベッドルームへ行くと、翼くんは肘をついてベッドへ横になっていて、私を見るなり少しだけシーツを捲った。
「百合ちゃん、どうぞ♪」
「お邪魔します……」
翼くんの隣へ横になるとすぐに、翼くんの腕に包まれる。緊張のあまり、思わず身体を固くしてしまった。
「ぷぷっ!百合ちゃん、久しぶりだけどそんなに緊張しなくても♪」
「う、うん……」
緊張しているのは、久しぶりなのが理由では無い。実は、夏祭りへ行った時の戸惑いを話そうと決めていた。
ただ、これを話すと翼くんはすぐに私を抱こうとするかもしれない……だけど、途中で恐くなってしまったら、更に傷付けてしまうかも……
そんな思いが頭を過る。黙り込んでいると、翼くんは少しだけ身体を離して、私の顔を覗き込んできた。
「百合ちゃん……何かあった?」
「えっ?な、何も無いわよ!」
「その割りには、焦って無い?」
「えっと……」
翼くんは見透かすように、ジト目を向けてくる。
「そ、その……」
か、顔がまともに見れない……
自分が言おうとしている事に、今更ながら恥ずかしくなり、俯いて視線を反らす。
「百合ちゃん、言いたい事を溜め込まないで……何でも聞くし、どんな事でも受け入れるから……」
優しく諭すように私の頭を撫でてくれる翼くんの手に促され、ゆっくりと口を開く。
「その……」
「……」
「前に、翼くんに組み敷かれて首筋にキスされた時、凄く恐かったの……」
「うん……あの時はごめんね……」
「だけど、夏祭りへ行った時は、恐いよりも恥ずかしい方が勝っていて……」
「……へっ?!」
「恐さが薄れてきたのかもって感じたの……」
「……」
翼くんは目を見開いたまま、固まってしまった。




