第5話
始発よりも少し遅い電車に乗り込んだ。駅は都心へ向かう通勤客で混雑していたけど、逆方向の電車は余裕で座る事ができた。
シートに身を沈めて、翼くんの事を思い出す。
地方に住んでいる頃、元夫と買い物に出て休憩する時、ゆったり座れるソファ側は、常に元夫が当たり前のように座っていた。
手荷物を置きたいな……と思いながらも、自分の椅子の回りにショップバッグをぶら下げて、狭いスペースで喉を潤すのが精一杯だった。
それでも、厳格な父に育てられた私は、常に元夫の行動に合わせる事に、何の疑問も持たなかった。
翼くんがソファ側を勧めてくれた時にはビックリしたな……正直、疲れていたし……
って、寛ぎ過ぎて寝ちゃったんだった!しかも膝枕で!年下の男の子に膝枕されるなんて、有り得ないわ……もっとしっかりしないと……
「……」
でも、何だか不思議な男の子だったな……ちょっと強引で小悪魔的な感じもあるけど、龍二に似ているから話しやすかったのかも……
翼……篭の中で、死んでるように生きていた鳥のような私が、持っていないもの……
そんな事を考えているうちに、電車は実家のある町へ到着した。
ピンポーン……
7年振りに実家の呼び鈴を押す。
──「はい、どちら様ですか?」
「……ただいま……お母さん。」
──「えっ?まさか百合子なの?ちょっと待って!すぐに玄関を開けるわね!」
ドタドタ!っと廊下を走る音が聞こえたと思ったら、勢いよく玄関ドアが開いた。
「百合子!一体どうしたの?」
「ちょっとね……」
「とにかく上がって!」
「うん……」
リビングのソファに凭れて、母が煎れてくれたコーヒーを飲む。
姑に『嫁に入ったら簡単に実家へ帰るものじゃない。』と言われ、引っ越しをしてから一度も帰省した事が無かった。
白髪が増え、少し年老いた印象の母が、帰れなかった年月を物語っている。
「それで、一体どうしたの?」
母もテーブルを挟んで、コーヒーを飲み始めた。
「……離婚した。」
「……」
「離婚したの。」
「えぇ~~~!?!な、何で?!」
ビックリするわよね……7年振りに娘が帰ってきたと思えば、離婚なんだもん……
「向こうの浮気相手に、子供が出来たんだって。」
「そうだったの……それで、身一つで出てきたの?」
「明日には、段ボールが四箱届くと思う。」
母はそれ以上何も聞く事無く、黙ってコーヒーを飲んでいる。今は、その気遣いが有り難い。
と思っていたら、母はいきなり立ち上がった。
「よしっ!今夜の着替えも無いわよね!今からお買い物に行くわよ♪」
「えっ?今から?」
「近所に大型ショッピングセンターが出来たのよ!百合子も見たらビックリするわよ~♪ついでにランチでもしましょ!」
「今日、お父さんは?」
「お父さんはゴルフよ!夕飯は何がいい?って、まだお昼ご飯も食べて無いわよね♪」
母の明るさに助けられ、少しだけ気分を持ち直して、早速出掛ける事にした。
「うわぁ!本当に広いね!」
「でしょ?ここへ来れば、大抵の物は揃うわよ♪便利になったでしょ~!」
私の居ない間に出来たショッピングセンターは、食料品や日用品から若い人達向けのブランド、量販店まで揃っている。
「ふふ!また娘と一緒にお買い物できる日が来るとは思わなかったわ♪」
努めて明るく振る舞ってくれている母だけど、台詞の節々に、帰省しない事で心配をかけていたのだとわかる。ホント、申し訳無い気持ちでいっぱいだ。
買い物を終えて、カフェでランチを頂いていた時、私の同級生の話になった。
「小学生の時に一緒だった智子ちゃん、もう子供が大学生だってさ!」
「そうなんだ。智子は結婚が早かったもんね。」
「百合子、連絡取って無いの?遊びに行ってみれば?」
「う~ん……暫くはのんびりしたいかな……」
小中学校が一緒だった智子は、同窓会のお知らせを時々送ってくれていた。だけど、断り続けた事で、自然に疎遠になっていった。
元同僚とも誰一人連絡を取っていない。地方暮らしの7年間に、全ての友達と縁が切れたのだ。
でも、その方が都合いい。母に似て社交的だった頃の私を知っている人達には会いたくない。それほど人と接するのが苦手になっている。
「あら、お父さんから電話だわ!さっき、百合子の事をメールしたのよ♪」
鞄からスマホを取り出して、母が通話ボタンをタップする。
「もしもし♪はい!はい……」
母の声が段々と沈んでいくのがわかった。
きっと、父に何か言われているんだろうな……
通話を終わった母は、盛大なため息をついている。
「百合子……お父さん、怒ってるわ……覚悟しておいてね……」
「ん……わかった……」
「今朝はあまり寝ていないのよね?なるべく早く話が終わるようにするわ。」
「ありがとう……」
厳格な父からすれば、離婚なんてもっての他なんだろうな……
「口では厳しい事を言うかもしれないけど、お父さんも百合子の事、心配してたのよ。」
「そう……」
母のフォローも、この時は頭の中に入って来なかった。