第42話
それから数日後、その日も一人、買い物袋を下げてアパートへ帰る。
すると、アパートの前に、見慣れない車が止まっているのに、気付いた。
若葉マークを付けた、カブトムシに似たフォルムが可愛らしい、黄色の外車だ。
その車の横を通り過ぎようとした時、ドアが開いて運転席から一人の男性が降りてきた。
「……翼くん?」
「百合ちゃん……久し振り……」
「うん……久し振り……」
二人の間に微妙な空気が流れる……
「この車……」
「うん……買ったんだ……」
「そう……」
何か話さなきゃ……お礼を言って、ちゃんとご飯を食べているのか聞いて……
でも、言葉が続かない……
「本当にごめん!」
ガバッ!
翼くんが勢いよく頭を下げてきた。
えっ?えっ?何で?
戸惑っていると、更に謝ってくる。
「勝手に離婚理由を話してごめん!一ヶ月もウジウジしてごめん!謝るのが遅くなってごめん!とにかくいっぱいごめん!」
「……」
翼くん……謝って貰う事なんて、無いのに……
「それと……百合ちゃんを押し倒して……傷付けてごめん……」
やっぱりあの時の事、気にしているのね……
頭を下げたままの翼くんに、声を掛ける。
「助けて貰ってありがとう……お陰で正式に離婚出来そうよ。」
「ほ、ホント?!」
翼くんは、やっと顔を上げてくれた。
「翼くんが会見してくれたお陰で、誰からも白い目で見られる事が無かったわ。本当にありがとう。」
「良かった……」
「だからもう、何も謝らないで。ありがとうの方がいいわ。」
「それって、俺が言った……」
「うん……」
「百合ちゃん……許してくれてありがとう……」
ペントハウスの事は、何て言っていいのか言葉が見つからなくて、敢えて触れなかった。それでも、翼くんが満面の笑みを見せてくれた事が、嬉しかった。
「そうだ!百合ちゃん、今からドライブへ行かない?」
「えっ?翼くん、仕事に戻れたんでしょ?忙しくないの?」
「7月スタートのドラマは間に合わなかったんだ。でも、まだ台本は届いてないけど、近藤監督の映画が決まったよ♪」
「ほ、本当に?近藤監督の映画、好きなんだ!」
「じゃぁ、完成したら特等席に招待するね!」
「ありがとう!」
「って事で、台本が来たら時間が取れないし、ドライブへ行こうよ♪」
「わかったわ。」
翼くんは助手席のドアを開けて、仰々しくお辞儀をする。
「お嬢様、どうぞ。」
「ふふ!」
芝居がかった動作に、思わず笑みが溢れる。
「ありがとう、セバスチャン。あなたは最高のバトラーね。」
「光栄でございます、お嬢様。」
それから翼くんが運転席へ乗り込み、車は夜の町を走り抜けていった。
車は人気の無い高台の公園へ到着した。車から降りようとすると、翼くんに制される。
「百合ちゃん、待って!この車、オープンカーなんだ♪」
そう言ってスイッチを押すと、ウィーン!という機械音と共に、頭上に星空が広がっていく。
「わぁ!綺麗♪」
「いいでしょ!寝ながら満天の星が見えるよ♪」
「特等席ね!」
黙って、星空を見上げる。そんな静かな時間さえも、心地好い。
そんなゆったりと流れる空気の中、翼くんの声が聞こえてきた。
「百合ちゃん……」
「何?」
「……結婚しようか。」
「何言ってんの……」
「キスしてもいい?」
「駄目……」
「抱き締めたいな……」
「もう夏だし、暑いわよ。」
ふふ、いつもの翼くんだ♪
「せめて、手を繋ぎたい……」
「……いいわよ。」
ごそごそと探るように、翼くんの左手が動く。それに応えるよう右手を動かすと、探り当てられたと同時に、指と指が絡み合う。
「百合ちゃんだ……何だか傍にいるって実感……安心する……」
「お役に立てて、光栄です……」
「何だろう……落ち着くっていうか、精神安定剤的な感じかな……」
「安定剤ね……」
「あと、頑張ろう!って思える活力剤?」
こんな私でも、翼くんの役に立っているのね……
「ふふ!後は、食堂のおばちゃんかな?」
「おばちゃんじゃぁ無いよ!どちらかと言えば……家庭の味?」
「お袋の味ね。」
「お袋っていうか……」
「……?」
「何でも無い……今日、アパートに行ってもいい?」
「今日は、シュウくんのお店へ行きたいな。」
「シュウの?」
「うん。今回の騒動でお世話になったから、お礼を言いたいの。」
「わかった……残念だけど、案内するよ。」
「今日食べる予定だったものなら、明日でもいいわよ。」
「メニューは何?」
「冷やし中華……」
「今日食べたい……」
「明日ね……」
翼くんと普通に話せてる……
これでやっと、いつもの生活に戻った気がした。
そして、離婚裁判は元夫が出廷を拒否した為、あっさりと離婚を勝ち取る事が出来た。
やっと独身に戻った……本当に自由になれた……
「頂きます♪」
二人、手を合わせて食事を頂く。あれから、ほとんど毎日、翼くんは夕食を食べに来るようになった。
「う~ん!美味しい♪早く百合ちゃんと結婚したいっ!」
「ふふ!相変わらず大袈裟ね。」
「だって、この照り焼き、めちゃめちゃ美味しいもん♪」
「そんなに気に入ってくれたのなら、また作るわよ。」
「ありがとう~♪……はぁ……」
急に翼くんは、がっくりと項垂れて、溜め息をつき始めている。
「映画の稽古が始まったら、来れなくなっちゃう……」
「そうなの?」
「うん……ほとんど夜になりそうなんだ……」
「そっか……」
「ねぇ……俺のマンションに来て欲しいな……夜は車で送れるようになったし。」
「翼くんの部屋、調理道具が無いわよね?」
「揃えればいいじゃん♪」
「勿体無いわよ……」
私が行かなくなれば、使わなくなるんだろうし……
「ずっと使えばいいじゃん♪」
「そういう訳には……」
「う~ん……他に何か方法は……」
翼くんは、真剣に考え込んでいる。
と思ったら、突拍子もない事を言い始めた!
「そうだ!百合ちゃんが俺のマンションに住んじゃえばいいじゃん♪」
ぶっ!
お味噌汁を吹き出しそうになる。
「な、何を言い出すの!」
「そしたら毎日会えるし、送る必要も無いし、ご飯も食べれるし、一石三鳥じゃん♪」
「却下!」
「チェッ……百合ちゃんのケチ……」
「ケチで結構です!」
何だか、前よりも小悪魔度がパワーアップしているように感じるのは、気のせいにしておこう……




