第40話
「翼、お帰り。無事に免許は取れたか?」
「あぁ……」
「後で話がある。私のオフィスへ顔を出してくれるか?」
「わかった……」
少しだけ翼くんと言葉を交わした後、浦和くん達は、ペントハウスを出ていく。微妙な空気の中、私と翼くんが残された。
「あ、あの……翼くん?」
「……」
翼くんは無言のまま私の腕を掴み、いきなりソファへ押し倒してきた!
「ちょ、ちょっと!」
「……春樹といつの間に仲が良くなった?」
「えっ?何の事?」
「何で簡単に笑ってんだよ!」
翼くんは私の両手を動けないよう押さえつけ、首筋に顔を埋めてくる!
「や、やめ……」
「……」
う、動けない……
『百合子……』
抵抗出来ない力強さに、いきなり元夫の声が頭の中に甦り、忌まわしい結婚生活の記憶が呼び戻された!
「い、嫌!」
「……」
「あなた!止めて~~~!!!」
ピタッ!と動きが止まり、身体を覆い被さっていた重みが無くなった。
い、今……私……何を言って……
はぁ……はぁ……
息が上がる……身体が小刻みに震え出す……
「百合ちゃん……まさか、夜まで……」
知られてしまった……翼くんに……
これだけは、知られたく無かった……
「うっ……うぅ……」
震えながら今度は涙が止まらなくなり、見られたくなくて、ソファに顔を埋める。
「ごめん……百合ちゃんを一番傷付けてるのは俺だ……」
ち、違う……
否定したいのに、言葉は嗚咽になって消えていく……
「本当にごめん……」
翼くんが出ていく音を、引き留める事が出来なかった……
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《翼目線》
「くそっ!」
ペントハウスを出て、ドアを背にずるずるとしゃがみ込む。
頭の中には、百合ちゃんの悲痛な叫び声と泣き声が、繰り返されている。
免許合宿所から春樹に鍵を送ったものの、電話を取り次いで貰えないのか、何の連絡も無かった。百合ちゃんがどうなったか、まったくわからず、悶々とした日を送っていた。
早く帰りたい一心で、最短の二週間で免許を取得した。
百合ちゃんの無事な姿が見たい……抱き締めたい……そう思っていたのに、春樹と笑い合う百合ちゃんを見た瞬間、頭に血が上ってしまった……
「俺……百合ちゃんを苦しめるあいつと同じだ……泣かせたく無いのに……笑顔が見たかったのに……」
ドンッ!
握りしめた拳を壁に叩きつけた。
頭を冷やして、春樹のオフィスへ出向く。
「翼、座ってくれ。」
オフィスに入った俺を見て、春樹は神妙な面持ちですぐにソファへ座るよう促してきた。
春樹の隣へ座った男の胸には、弁護士バッジが付いている。
何かあったのか……嫌な予感が頭を過る。
「この手紙だが、百合さん宛に元旦那さんから届いたものなんだ。悪いとは思いながらも、黙ってコピーを取らせて貰ったよ。」
春樹から差し出された手紙を見る。そこには百合ちゃんを追い詰めるような脅し文句が、並んでいる。
「こ、これ……百合ちゃんは知っているのか?」
「あぁ、見た瞬間、元旦那さんのところへ戻ろうとしたから、引き留めておいたよ。」
「助かったよ……」
「それで、弁護士の先生とも相談をして、離婚調停での解決は難しいだろうから、離婚裁判を起こす事になったんだ。」
「色々と世話を掛けたな……」
「それで、これは私個人の意見だが……」
そう前置きをして、春樹が俺の顔を真っ直ぐ見据える。
「翼、記者会見をして、真実を伝えたらどうだ?」
「別に俺の事は何を言われてもいい。百合ちゃんの離婚が成立したら、堂々としていられるしな。」
「だが、悪い印象が付いたままでは、百合さんも生活に不便だと思うぞ。」
「何で百合ちゃんなんだ?」
「これを見ろ。」
そう言って、春樹は週刊誌を開いて見せてきた。
《夫を捨てて若い男に走った不倫妻の実態!》
「な、何で百合ちゃんの事が!」
その記事には、名前こそ伏せられているけど、悪意に満ちた文章が書かれてあった。
《不倫妻Yは家出の後、旧姓を名乗り、アパートの大家やアルバイト先にも、離婚したと偽って生活……翼はそんな不倫妻Yに騙されていたようだ。(事務所関係者談)》
「こんな馬鹿な話が……社長には、全てを説明してあるぞ!」
いや……専務なら俺の商品価値を落とさないよう、百合ちゃんを平気で悪者に仕立てるかもしれない……
このまま俺が黙っていれば、百合ちゃんが攻撃の対象になる……
だけど、離婚理由を公表すれば、百合ちゃんは傷付くかも……だけどこのままでは、ある事無い事を書き立てられて、悪女のレッテルを貼られてしまう……
「百合さんと相談したらどうだ?」
春樹の言葉に、黙って首を横に振る。
覚悟は決まった……これ以上、誰にも百合ちゃんを傷つけさせない……百合ちゃんが俺の事を憎んだとしても……
ってか、さっきので、一生口を利いて貰えないよな……
「私も同席して会見をして構わないから。」
「いや、百合ちゃんには相談しないし、春樹も表に出ない方がいい。悪いが、弁護士の先生を貸してくれるか?」
「……翼とシュウは、いつもそうだったな……」
「ん?何の事だ?」
「何でも無いよ。いい友人を持ったなぁと思っただけだ。」
「いきなり何だよ……気持ち悪りぃな……」
春樹ほど表舞台で活躍する人間は、出生の悪い俺と関わっている事は、あまり知られない方がいい。
悪態をつくものの、春樹はお見通しとばかりに、笑みを浮かべた。
「ところで……」
コホン……と、一つ咳払いをして、春樹に向き合う。
「その……」
「……?」
「さっきは何の話しをしてたんだ?」
「さっきとは?」
「俺が部屋へ入った時だ。」
「何だよ。ヤキモチか?」
「そ、そんなんじゃね~よ!」
慌てて否定したものの、春樹はニヤニヤと笑っている。
「さっきは百合さんに、翼が私の家へ遊びに来た時の写真を見せていたんだ。」
「えっ?それって、いつのだ?」
「小学校の低学年くらいかな。」
「な、何を勝手に見せてんだよっ!」
そ、そんなの、恥ずかし過ぎじゃん!
「私は百合さんが退屈しないようおもてなしをしていただけだ。感謝して欲しいところだが?」
「くっ……」
相変わらず、喰えねぇな……




