第36話
「どうぞ入って♪」
「お邪魔します……」
百合ちゃんは恐る恐る玄関で靴を脱いで、リビングへ入ってきた。
「……広いね。」
「まぁね。一人暮らしには広すぎるから、百合ちゃんが来てくれて、丁度いいよ♪客間はトレーニングルームにしちゃってるから、それ以外の部屋を案内するね!」
同棲開始のカップルよろしく、百合ちゃんの手を握って、まずは廊下へ出る。
「ここがトイレ、で、隣のドアが洗面所とお風呂ね。タオルは引き出しに入っているから、好きに使っていいよ♪」
「ありがとう……」
「で、廊下の奥はベッドルーム。百合ちゃんが来るのがわかっていれば、キングサイズに買い直したのにな~♪」
「そう……」
百合ちゃんは、出会った頃のように、また笑顔が無くなってしまった。だからこそ敢えて、楽しそうに振る舞う。
「で、前にも言ったけど誰も来たことが無いから、お客用のベッドが無いんだ。だから、一緒に寝よっか♪」
「……私はソファでいいわ。」
「そんな、女の子をソファなんかで寝かせられないって!」
「私は構わないから。」
「だ~めっ!だったら俺がリビングで寝る!」
「翼くんはベッドを使って。」
「絶対に使わな~い!俺と一緒に寝たいなら、ソファをご自由に♪」
「気を遣わせて、ごめん……」
「よしっ!百合ちゃんはベッド決定ね♪」
「ありがとう……」
「今日は疲れたでしょ?お風呂に入って、ゆっくり休んでね♪」
「うん……」
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《百合子目線》
お風呂を頂き、ベッドへ身体を横たわせる。
はぁ……
出るのは溜め息しかない。まさか元夫が離婚届けを出していないなんて……
私はどうすれば……もう、何も考えたく無い……
目を閉じているうちに、ウトウトと眠りに入っていった……
……ん。ここは……
夢か現実か、何も見えない暗い世界……一つだけわかる事は、冷たい鉄で出来た鳥籠の中に閉じ込められているという事だ。
ガシャ……
鉄格子に手をかけ、外へ呼び掛ける。
「誰か!誰かいませんか!」
いくら呼び掛けても、誰も答えてくれない。
「誰か!誰かここから出して!」
必死に呼び掛けていると、微かに人の声が聞こえてきた。その声は、段々と近付くように、はっきりと聞こえてくる。
『百合子さん……またキッチンに油が跳ねているわ。ちゃんとお掃除をしたのかしら。養って貰っているクズなんだから、家事くらいまともにしなさいよ。』
お、お義母さん……?
『洗濯物に皺があるわよ。ホント、役立たずね。こんな嫁をもらって、明彦ちゃんも可哀想に……』
お願いだから……
『まだ、子供が出来ないの?あなた欠陥品なのね……何の価値も無いゴミ同然だわ……』
も、もう止めて……
『君は養われている妻のくせに、僕をほったらかして同級生と遊びに行くのか?同窓会なんてどうでもいいだろ……』
この声は、元夫……
『こっちへおいで。夜の相手は妻の義務だろ?嫌とは言わせないよ。』
こ、来ないで……
『君を抱いている時が至福の時だよ……唯一、君を征服出来る時だからね。』
「い、嫌ぁ~~~!!!」
ガバッ!
転がり落ちるようにベッドから降り、部屋の隅でタオルケットにくるまり身体を小さくした。だけど、震える身体を止められない。
「嫌……嫌……お願いだから……」
トン、トン……
ドアがノックされ、薄暗い部屋の中へ誰かが入ってくる。
「百合ちゃん、どうしたの?」
い、嫌……
思わず頭を抱え込む……
「叫び声が聞こえたけど、大丈夫?」
「……こ、来ないで……」
「百合ちゃん?」
黒い影が、少しずつ近付いてくる……
「そんなところで何やってんの?」
「い、嫌ぁ~~!!」
「百合ちゃん?俺だよ!」
パチッ!
急に部屋が明るくなって、視界がはっきりとする。
「百合ちゃん……大丈夫?」
ドア付近には、照明のスイッチに手をかけている翼くん……
「……つ、翼くん……」
さっきのは夢だったのね……
思わず、安堵の溜め息を深く漏らす。
「百合ちゃん……」
翼くんは気遣いながら、手を差し出してくれた。
「立てる?」
「……夢を見ていたみたいだわ……」
まだ震えが止まらない手で差し出された手を握ると、ゆっくり立ち上がった。
「……抱き締めてもいい?」
「うん……」
翼くんは私を怖がらせないよう、ゆっくりと近付き、温かい腕で優しく包み込んでくれた。
「今日、あんな事があったばかりだし、怖かったよね……」
「……」
「もう大丈夫だから……ここに居れば心配無いから……」
「ありがとう……」
温かい……安心する……
すべてを包み込むような腕の中の温かさに、少しずつ身体の震えが落ち着いてくる。
「翼くん……ありがとう……もう大丈夫よ。」
「でも、一人で寝るの、怖いでしょ?」
「……」
大丈夫……その言葉はすぐに出てこなかった。
また、あんな夢を見るくらいなら、もう寝たく無い……でも、これ以上迷惑をかける訳には……
「もう少しだけ起きておく?お酒でも用意するよ。」
「でも、翼くんは早く寝ないと……」
「大丈夫。今、コラムの案を考えていたからさ。行こうか。」
促されるようベッドルームを出て、リビングへ向かった。
リビングのテーブルに、お酒の瓶と氷が入ったグラスが置かれた。
「あっ……フォアローゼスのプラチナ……」
「これを持っておけば、また百合ちゃんに会える気がして、買ったんだ!願掛けみたいなもんかな♪」
初めて翼くんと出会った時のお酒……覚えていてくれていたのね……
リビングのソファへ二人で並んで座り、ロックを頂く。
コク深いバーボンが身体に染み渡る。
「百合ちゃんは、このお酒が好きなの?」
「好きというか……龍二とよく一緒に行っていたライブハウスでこれを飲んでいたの。当時は学生でお金が無かったから、一番安い白ラベルだったわ。」
「ふ~ん、って事は、俺の勝ちかな♪」
「何が?」
「だって俺、プラチナだしっ♪」
翼くんも龍二も、どちらも楽しい思い出ばかり……
「勝ち負けでは無いけど、翼くんとの思い出のお酒にもなったわね。」
「口移しの強烈な印象のね♪」
「もう……あれは忘れてよ……」
「忘れる訳無いじゃん!俺、女の子から口移しでお酒飲ませて貰ったのって、初めてだし♪」
まぁ、普通は体験しないわよね……しかも、初対面でいきなりなんて、日々反省だわ……
そんな話をしているうちに再びウトウトし始め、朝まで二人一緒に、ソファで眠った。
ピロロン……
翌朝、翼くんのスマホが鳴って目が覚めた。
寝起きの翼くん、何だか可愛いかも……普段は私よりしっかりしていて頼もしいのに……
起き上がった翼くんがスマホを手に取り、気だるそうに話し始める。
「はい……何だよ、シュウか。こんな朝早くからどうかしたか?」
電話の相手はシュウくんみたいだ。
「……えっ?テレビ?ちょっと待ってろ。」
話をしながら翼くんがテレビのリモコンを手に取って、電源を入れる。
「な、何だ?これ!」
えっ……?!
朝のワイドショー、そこに書かれてある文字を見て、二人とも息を飲んだ。
《ドラマで一躍有名になった翼の不倫スクープ!》
《抱擁ダンスのお相手は、人妻!》
《相手女性の夫が涙の告白!》
テレビの中には、涙ながらにインタビューを受ける元夫が映っている。
『……では、奥様の家出の原因は、翼くんにあると……』
『はい……恐らくですが……』
『奥様に伝えたい事は、ありますか?』
『今、帰ってくれば、全てを水に流すから……頼むから帰って来てくれ……まだ君を愛しているんだ……』
一体これは、何……?!
二人、茫然としながら、テレビを見つめた……




