第35話
渋沢駅前で、出てくる人混みに目を凝らす。暫くすると、その中から走って出てくる百合ちゃんの姿が見えた。
「百合ちゃ~ん!」
わかり易いよう、大きく手を振って百合ちゃんを呼ぶ。
改札を走り抜けた百合ちゃんが、そのまま俺の胸へ飛び込んできた!
「ゆ、百合ちゃん?」
「……」
百合ちゃんの身体は震えて、堪えられない程の何かがあった事が、安易に想像できる。
「百合ちゃん……もう大丈夫だよ……」
「……」
ふわりと抱き寄せて、百合ちゃんを包み込むよう背中に腕を回す。落ち着かせるように、震える百合ちゃんの背中を何度も撫でた。
百合ちゃんの震えが落ち着いた頃を見計らって、ゆっくりと身体を離して話しかける。
「百合ちゃん、落ち着いた?」
「うん……いきなりごめん……」
「いいって……真っ先に連絡をくれて、嬉しかったよ……」
「……」
「それで、何かあったの?」
「元夫が……」
「離婚した旦那さん?」
「まだ離婚届けを出して無いって……私を迎えに来たって……」
「えっ?どういう事?」
それから百合ちゃんは、結婚生活の事を語り出した。それは、想像とは全く異なるものだった。
百合ちゃんの仕事を辞めさせる為に、わざわざ田舎へ引っ越した事……
実家にも帰れず、同窓会にも参加できず、友達とも縁が切られ、精神的に孤立していった事……
姑から毎日のようにいびられていた事……
想像も出来ない程の現実に、愕然とする。
百合ちゃんに笑顔が無かったのは、愛する旦那と別れてしまった悲しさでは無く、逃げ道を塞がれ、束縛されて、心を閉ざすしか自分を守る手段が無かったからなんだ……
百合ちゃんは堰を切ったように、話を続けた。
そんな日々を送っていたある日、愛人に子供が出来たと離婚を切り出された事……
だけど、元旦那は離婚届けを出さず、嘘がバレた愛人と手を切って百合ちゃんを迎えに来たと、実家まで押しかけてきた事……
「酷い……」
あまりにも身勝手な元旦那の行動に、俺までもが震えが来る程の怒りを覚える。
「……それで、実家を飛び出してきて……」
「そっか……よく頑張ったね……」
百合ちゃんの背中を撫でるよう、再び抱き締める。
「私……二度とあんな生活に戻りたく無い……だけど、どうすれば……」
「大丈夫……俺が百合ちゃんを守るから……」
はっ!そこまでする元旦那の事だ。アパートを探しだして、百合ちゃんを強引に連れ去るかもしれない!
「百合ちゃん!すぐにアパートへ戻って、荷物をまとめて!」
ガバッ!と肩を掴んで身体を離す。
「えっ?ど、どうして?!」
「元旦那がアパートまで来るかもしれないだろ!拉致られるぞ!」
「で、でも、行く宛なんて……」
「俺のマンションへ来ればいいから!」
「そこまで迷惑をかける訳には……」
「何言ってんだ!守るって言っただろ!」
強引に百合ちゃんの腕を掴んで、アパートまで引っ張り帰り、鞄へ詰めれるだけの着替えを入れて貰って、再び駅へ急ぐ。
渋沢駅が見えてきたところで、百合ちゃんの足がピタッ!と止まった。微かに震えながら目を見開いている視線の先には、スーツを着た一人の中年男性が……
こいつが元旦那……やっぱり来たか……
「百合子、アパートへ荷物を取りに行ってたのか。いきなり飛び出していくから、心配したよ。」
薄ら笑いを浮かべて、自分がした事を何とも思って無いような口調……そして、百合ちゃんが自分の元へ帰る事を当たり前だと思ってる……
「さぁ、今からなら最終の新幹線に間に合う。行こうか。」
百合ちゃんに伸ばそうとする手を払い除け、百合ちゃんを背中に庇う。
「な、何なんだ!君は!邪魔をしないでくれたまえ!」
「百合ちゃんはアンタのオモチャじゃぁ無い。自分に都合良く物事を決めんな。」
腹の中は煮えたぎっている。だけど、敢えて冷静な口調を努めた。
「百合子、この男は何だ?まさか、僕を捨てて、若い男と浮気してたのか?」
「愛人作って離婚を切り出しておいて、何が浮気だ。いつまでも百合ちゃんを苦しめるな。」
「百合子を苦しめる?何を言っているのか、わからないな。」
元旦那は、呆れたように鼻で笑っている。
「元彼をいつまでも忘れない百合子に苦しめられたのは、僕の方だ。それでも僕は許してやると言っているんだ。」
「それは、お前が元彼を越えられなかっただけだろ。自分の足りなさを百合ちゃんのせいにするんじゃね~よ。」
「なっ!若僧が偉そうに夫婦の問題に首を突っ込むな!百合子!こっちへ来い!君は僕の妻だろ!」
ビクッ!
百合ちゃんが怯えているのが、背中越しに伝わってくる。
「百合ちゃんは絶対に渡さない……」
元旦那は、俺に構わず百合ちゃんへ笑いかけている。
「百合子、今度こそ幸せになろう。君は何もしなくていい。僕の側にいるだけで幸せに暮らせるんだ。死ぬまで一緒にいてあげるから……な?」
こ、こいつ……目が完全にイッテる……まるでヤバい薬をやってるかのようだ……
きっと百合ちゃんを、ずっと閉じ込めておくつもりだ……
「か……帰って!二度と顔を見せないで!」
震える百合ちゃんが、声を振り絞って、俺の背中から叫ぶ。
「百合子……どうしたんだ?この男に騙されているんだろ?そうだろ?」
「ち、違うわ!」
「可哀想に……こっちへおいで……」
「嫌っ!来ないで!」
百合ちゃんから完全に拒絶された元旦那は、信じられないものを見るかのような顔をしたものの、今度は怒りの形相で俺を睨み始めた。
「貴様!百合子に何をした!」
「……」
威嚇にも怯まず、負けじと睨み返す。
「……あっ!お前、何処かで見た事があると思ったら、テレビに出ているヤツだな!」
それを聞いた瞬間、百合ちゃんが俺の前へ出て、バッ!と手を広げた。
「彼は関係無いでしょ!」
百合ちゃんの身体はガタガタ震えている。そんな百合ちゃんを嘲笑うかのように、元旦那はビシッ!と百合ちゃんを指差した。
「予言だ。百合子、君は一ヶ月以内、いや、一週間以内に僕の元へ帰ってくる。」
「そんな事しないわ!」
「その強がりが何処まで通用するか、楽しみだな。」
元旦那は嫌な薄ら笑いを浮かべて、駅の中へ消えていった。
「百合ちゃん……元旦那が戻ってくる可能性も捨てきれない。俺のマンションへ行こう。」
「うん……」
跡をつけられないようタクシーへ乗り込み、マンションへ向かった。




