第33話
ピピッ、ピピッ……
セットしたスマホのアラーム音で、目が覚めた。外に目を向けると、雨上がりの晴れた空が青々と広がっていた。庭木の葉っぱにある夜中まで降っていた雨粒が、朝の日射しを受けて、宝石のようにキラキラと輝いている。
そろそろ始発が動き出す頃だな……
隣で寝ている百合ちゃんに声を掛ける。
「百合ちゃん、朝だよ♪」
「ん……」
ぷぷっ!寝ぼけてる、寝ぼけてる♪
このまま見ていたい衝動を抑えて、もう一度起こしてみる。
「百合ちゃん♪そろそろ起きないと、遅刻しちゃうよ!」
「うん……」
「起きないと、キスしちゃうよ~♪」
「ん……ん?」
パチッ!と百合ちゃんの目が開く。
「おはよう♪」
「お、おはよう……私、いつの間にベッドへ……」
そりゃ、記憶に無いよな♪俺が運んだし!
「いつだろうね~♪」
「……」
頭を混乱させながら、百合ちゃんはやっと起き上がった。
「ほら、見て!雨上がりの晴れた空が気持ちいいくらい綺麗だよ♪庭も宝石を散りばめたように……」
綺麗な空や景色を百合ちゃんに見せようと、思いっきり障子を開く。
すると、百合ちゃんは顔をしかめて、窓から顔を背けてしまった。
「……百合ちゃん?」
「ごめん……障子を閉めて……」
「どうかした?」
「……」
何か嫌な事をしちゃったか……
百合ちゃんの前に回り込んで、顔を覗き込む。百合ちゃんの顔は、怒っているというよりは、泣くのを堪えるような、悲しさが浮かんでいる。
「百合ちゃん?何かあったの?」
出来るだけ優しく諭すように、声を掛ける。すると、観念したのか、百合ちゃんはポツリと語り始めた。
「龍二が……」
「リュウジって人?」
「龍二は、雨の日に私を車で実家まで送ってくれたの……」
「うん……」
「また明日……って手を振って見送って……」
「……」
「その帰り道、スリップしたトラックが対向車線にはみ出して……龍二の車と衝突して……即死だった……」
前に言ってた、リュウジって人が亡くなった事故の事だ……
「連絡を貰って駆け付けた時、雨が上がった後の晴れた空だったの……そこには、私を送ってくれた車が無惨な姿になっていて……」
ガバッ!
自分で聞いたくせに、それ以上悲しい出来事を思い出させたくなくて、言葉を遮るよう百合ちゃんをきつく抱き締める。
「つ、翼くん!」
「……思い出の上書き……」
「えっ?」
「大切な人を亡くした思い出って、消えないよね……」
「……」
「だから、雨上がりは、俺に抱き締められた思い出も追加しておいて……」
「うん……ありがとう……」
百合ちゃんは黙ったまま、俺に身体を預けてくる。
過去の亡くなった男に、対抗する事なんて出来ない……だけど、生きている俺は、今から思い出を積み重ねる事が出来る……
やっと百合ちゃんが、辛い思い出を話してくれるようになったんだ……俺に出来る事はただ一つ……
少しでも、百合ちゃんの心の傷が癒えますように……
そんな思いを込めて、百合ちゃんの頭をそっと撫でた。
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《百合子目線》
バイトが休みの日には、図書館へ通い詰めるようになった。
インフィニティホテルへの復職に向けて、少しでも英語力を取り戻す為だ。
「えっと……この単語は……」
洋書や英字新聞を広げて、わからない単語はスマホで調べていく。
語句は何とかなるけど、問題は会話の実践よね……英会話教室なんて行くお金は無いし、教材なんて買えない……
何かいい方法は……
「百合ちゃん……」
洋書を広げたまま考え事をしていると、撮影が終わった後で図書館へ来る約束をしていた翼くんが、向かい側へ座ってきた。
「翼くん、仕事は終わったの?」
「うん……最近百合ちゃんがデートしてくれないから、いじけ気味……」
「デートって……翼くんも調べ物があるじゃない。それに、梅雨に入っちゃったし……」
「そうなんだけど……」
翼くんもコラムの連載が決まり、二人で外出と言えば、図書館が定番になっている。
「百合ちゃんが、本に隠れてキスでもしてくれたら嬉しいな~♪」
「しません……」
翼くんはテーブルに顔を置いて、口を尖らせながら私へ視線を向けてくる。
ふふ!本当にワンコみたいで可愛い~♪
ちょっと厚めの洋書をテーブルの上に立てて、内緒話をするように、翼くんへ顔を近付けた。
「翼くん、今日は何が食べたい?」
「えっ♪行ってもいいの?勉強は?」
「たまには脳を休ませないとね。」
「やったぁ~♪じゃぁね、シチューが食べたい!」
「わかったわ。帰りに買い物をして帰ろうね。」
「うん♪」
話が終わるとスッと顔を離して、読みかけの洋書に目を戻す。
「チェッ……キスしてくれるかと思ったのにな……」
「ふふ!残念でした♪」
「百合ちゃんって、小悪魔……」
「翼くんに言われたくありませ~ん♪」
温泉へ行った時、龍二の話を翼くんに聞いて貰ってから、少し心が軽くなった気がする。
本当に、翼くんには頭が上がらないな……
この時は、このまま新しい生活に踏み出せそうな気がしていた。
【真実の愛は、うまくいかないものだ。 ー シェークスピア】
その日、いつも通り、バイトの後で翼くんにご飯を作る約束をしていた。だけど、仕事が終わってスマホをチェックすると、実家から連絡が入っていた。
「何だろう……」
すぐに連絡を入れると父親が電話に出て、今すぐ帰って来いとの事だった。
「翼くん、本当にごめん!」
パン屋の裏口で待っていた翼くんに断りを入れる。
「いいって!俺はシュウの店にでも行ってくるよ♪」
「うん……本当にごめんね……」
一緒に渋沢駅まで歩いていく道のりも、足取りが重い。
「百合ちゃん……実家へ帰りたく無いの?」
「うん……離婚して戻ってきた直後に、お見合いをするよう言われてね……ちょっと気が進まないかな……」
「だったら、俺も一緒に行こうか?未来の旦那で~す♪ってさ!」
「ふふ!両親が翼くんを見たら、若過ぎて倒れちゃいそう♪」
「な~んだ!せっかく、『お嬢さんを俺に下さい!』『お前にはやらん!帰れ!』って、ちゃぶ台をひっくり返されるのを、生で見れるかと思ったのにな~♪」
「ぷっ!いつの時代よ!」
翼くんと話をしているうちに、気分も少し楽になり、渋沢駅前で翼くんと別れた。
「ただいま。」
お洒落な夏服でも、何枚か持って帰ろうかな……また、翼くんと出掛ける機会があるかもしれないし……お気に入りのサンダルもあったような……
そんな事を考えながら電車に揺られて約40分、数ヶ月振りに実家へ足を踏み入れると、母親がパタパタと小走りに玄関まで迎えに来てくれた。
「あらあら、百合子お帰りなさい♪」
「お母さん、ただいま。」
「今日もアルバイトだったの?」
「うん。」
「遅くまで大変ねぇ……」
そうだ!ホテル復職の話をすれば、少しは安心して貰えるかも♪
「お母さん、聞いて!実はね……」
話をしながらリビングへ入り、言葉が止まった……
「な、何故あなたが……」
父親と向かい合わせにソファへ座っている人を見て、身体が固まってしまう……
そこには、元夫の姿があった……




