第31話
「翼くん、ありがとう……」
浦和くんと別れた後、アパートまで送ってくれている翼くんに改めてお礼を言った。
「いいって!春樹とは偶然会って、百合ちゃんの話をしてみただけだしっ♪」
「……私も頑張ってみようかな……」
「百合ちゃんは今でも、充分頑張ってるって!だから、もっと我が儘になってもいいと思うよ♪」
ホテル勤務に戻れば、翼くんに食料品代を出してもらう必要も無くなるし、もう少しセキュリティの高いマンションへも引っ越しが出来る……それこそ、化粧品だって節約しなくても済む……
「……私、英語の勉強を始めるね。感覚を取り戻さないと。」
「うん、うん!その調子♪」
人との付き合いを避けたいなんて、言ってられない……翼くんだって、頑張っている……私だけがウジウジしてられない!
「翼くん!本当にありがとう!もう一度頑張ってみる気になれたのも、翼くんのおかげよ♪」
自然と笑みをこぼしながら、翼にお礼を言う。すると、翼くんが、ピタッ!と歩く足を止めてしまった。
「ん?どうしたの?」
「い、今……」
「何?」
訳がわからず、キョトンとしながら翼くんの顔を覗き込む。翼くんは腕で口元を覆って、私から目線を反らした。
「な、何でも無い……」
「そう?」
気のせいか、翼くんの顔が赤いような……
「お、遅くなったし、急ごうか……」
「うん……」
再び並んで歩き出したけど、翼くんはブツブツと何かを呟いている。
「今のは、アリかナシか……本人は気付いて無いよな……」
「翼くん、何か言った?」
「い、いや!何でも無いよ~♪」
“心から笑った時は、熱いキス……”
そんな話をすっかり忘れていた私に、翼くんの葛藤なんて知る由もない……
アパートの前へ着き、送ってくれた翼くんに向き直る。
「翼くん、ありがとう。」
すると翼くんは言い難そうに、上目使いをしてくる。
「そ、その……百合ちゃん、次の木曜日は一日中空いてる?」
「確か、バイトのシフトでは休みだったわ。何かあるの?」
「あの……俺、一日休みになってさ……」
「……」
「前にもキャッシーに言われたし、一緒に温泉なんてどうかなぁなんて♪」
お、温泉?!一緒に?!
「つ、翼くん……それって……」
「モチロン、日帰りだよ♪」
「そ、そうよね……」
あ~、焦った……
「それなら構わないかな……」
「やったぁ~♪んじゃ、朝、迎えに来るね!」
チュッ♪
一瞬、翼くんの顔が近付いたかと思うや否や、掠めるように、唇に柔らかいものが触れた!
えっ?えっ?
「へへっ!隙有りっ♪じゃぁ、おやすみ~!」
ダッシュで走り去っていく翼くん……
い、今のって……キスされた……いやいや、今更よね……
「……」
わ、わからない……小悪魔ならでは?!それとも若い子のスキンシップ?!挨拶みたいなもの?!
ジェネレーションギャップに悩む、アラフォー……
迎えた店休日、翼くんと一緒に新幹線へ乗り込んだ。目的地まではローカル線を乗り継いで、二時間くらいかかるらしい。
「今日は隠れ家的な宿なんだ~♪」
「や、宿?泊まりでは無いわよね?!」
「空いてる時は、日帰りでも部屋を貸してくれるんだ♪」
「へぇ~、そんなところもあるのね。」
「この前週刊誌に撮られてから、自重しろって言われたし、部屋でゆっくりできるように、お昼御飯も頼んでおいたよ♪」
やっぱり何か言われていたのね……
でも、新幹線の中でずっと手を繋いでいるのは、自重にならないのでは……
「あれ?百合ちゃん、何か難しい事を考えてる?」
翼くんが不思議そうに、顔を覗き込んでくる。
「な、何も……温泉、楽しみね♪」
きっと、小悪魔的には自重の範囲外なんだわ……諦めよう……
乗り継いだローカル線の駅を降り、徒歩10分程で温泉宿に到着した。部屋は全て、離れになっているようだ。
「ここって……かなり高いんじゃ……」
高級老舗旅館の雰囲気が漂うエントランスを前に、足が止まってしまう……これには、翼くんも想定外だったみたいだ。
「う~ん……相談した相手が悪かったかな……」
「誰に相談したの?」
「春樹に、お忍びで行ける所を教えて貰ったんだけど……」
「それは相手が悪かったわね……」
超セレブに、お手軽価格の引き出しがある訳無いじゃない……
「まっ、俺、一応有名人だし、泊まりじゃぁ無いからその辺は心配しないで♪」
「う、うん……」
「どうせなら、楽しんじゃおうよ♪」
「そ、そうね!」
人間、開き直りが肝心よ!
心の中で開き直って、セレブ御用達の宿へ足を踏み入れた。
「す、凄っ!」
案内された離れは、部屋に露天風呂が付いている、テレビでしか見た事が無い高そうな部屋だった。
居間の他にベッドルームも完備……そこから脱衣室に繋がっていて、露天風呂に直行出来るようだ。
ついでに調度品も高そう……
翼くんはリードを外して貰ったワンコみたいに、はしゃいでいる。
「見てみて!露天風呂があるよ~♪お昼御飯の前に、温泉に浸かる?」
「そうね。じゃぁ、翼くん、先にどうぞ。」
「百合ちゃんからどうぞ♪」
いやいや……連れてきて貰った身分で、先になんて入れないし……
「翼くんからで……」
「百合ちゃんからどうぞ♪」
二人、押し問答が続く。
「じゃっ、仕方ないから、一緒に入る♪」
「いっ……?!」
想定外の申し出に、言葉が詰まる!
「ぷぷっ!先に入らないなら、一緒になっちゃうよ~♪」
「わ、わかったわ!お先に頂きます!」
備え付けのタオルを手に、そそくさと脱衣室へ行った。
二人別々で露天風呂を堪能し、お昼御飯のお膳を頂いている時だった。
ピカッ!ゴロゴロ……
「きゃっ!」
急に聞こえてきた爆音に、一瞬、身を縮こませてしまった。
「ぷぷっ♪百合ちゃん、雷が怖いの?」
「ち、違うわよ!結構近そうだと思ったから、びっくりしただけよ!」
「はい、はい。怖かったら俺にしがみついてもいいからさっ♪」
「だから、違うってば!」
うぅ……本当に怖く無いのに、弱味を握られた気分……心なしか遊ばれているような……
だけど、そんな雰囲気は、すぐに消えていった。
「まぁまぁ、ビールでも飲んで落ち着こうよ♪」
「だから落ち着いてるから……」
翼くんに瓶ビールを差し出され、条件反射のようにコップを手に持って注いで貰う。
「明るいうちからお酒なんて、悪い事している気分……でも、美味しいかも……」
「だよね~♪」
「翼くんもどうぞ。」
「百合ちゃん、ありがとう♪」
ザァーーー!!
翼くんにビールを注ごうとした瞬間、外からどしゃ降りの音が聞こえてきた。
「つ、翼くん……雨が……」
「そろそろ梅雨だしね♪」
「でも、完全に豪雨よね……」
翼くんが立ち上がって、外の様子を見た。
「間違いなく豪雨だ……駅まで歩いて行けないかも……ちょっと早めに帰ろう。」
そう言って内線電話で、フロントにタクシーの手配をお願いしてくれた。
だけど、暫くして仲居さんが、驚愕の事実を告げにやってきた。
「お客様……この雨で電車が止まったらしく、タクシーは全て出払っているそうです。」
「ま、マジで?!」
「はい……新幹線も止まったとの情報も……」
翼くんと仲居さんのやり取りを聞いて、すぐにスマホで調べてみる。
み、見事に止まっているわ……しかも、雨は夜中までの予報……
二人の会話へ割って入り、仲居さんに尋ねてみる。
「あ、あの!レンタカー会社はありませんか?可能なら、都内で返却出来るところが助かるのですが……」
「生憎、この近辺にそういった会社は無く……」
た、退路が断たれた……
「つ、翼くん……」
「百合ちゃん……明日は朝から仕事だよね?」
「うん……10時には出勤……」
「10時か……俺は昼からの撮影だから、最悪、朝イチの電車なら何とかなるか……」
や、やっぱりお泊まり決定ですか……
「ご宿泊にご変更されますか?」
仲居さんが気遣うように尋ねてくる。
「百合ちゃん……し、仕方無いかな……?」
「そ、そうね……」
ついに、お泊まりが決定してしまった……




