第18話
手首の捻挫も治り、パン屋のバイトに復帰した頃、ふと思い出した。
そういえば、翼くんの誕生日って明後日よね……いつもお世話になっているし、何かプレゼント……
って、私が買えるものなんて、たかが知れてるわよね……
「……」
それに、最近、撮影が忙しそうだしなぁ……
翼くんはドラマの出番を増やされたとの事で中々会えず、電話で話すだけの日が続いていた。
『勝手に台本書き替えられた!』なんて言ってたけど、少し嬉しそうな声で電話がかかってきた事を思い出す。きっと翼くんの演技力が認められたからなのかも……
当日も会えないかな……って、彼氏でも無いし……
「はぁ……」
悩みに悩んで、いつでもお祝いが出来るように、ケーキキットをスーパーで購入した。
翼くんからの電話は、いつも夜にかかってくる。その日の夜も、翼くんから着信があった。
──「百合ちゃん♪今、何してた?」
「もう少ししたら寝ようかと思っていたところよ。」
──「ご、ごめん!変な時間に電話しちゃって……」
「大丈夫よ。まだ眠たくないから。」
──「なら良かった~♪」
「翼くんはまだ撮影なの?」
──「うん。今は次の出番待ちしてるところ!」
「そっか。」
──「……ね、ねぇ、明後日なんだけど、百合ちゃん空いてる?」
明後日?丁度翼くんの誕生日よね……
「うん、バイトの後なら大丈夫よ。」
──「そ、その……久しぶりに百合ちゃんのご飯が食べたいなぁ……なんて思ってさ♪」
いつもはグイグイ来るのに、やけに遠慮がち……もしかして、誕生日って言うと私が気を遣うと思っているのかな?私が知っていた事は、内緒にしておこうかしら……
ちょっとした悪戯心も手伝って、素知らぬフリをする。
「特に用事も無いから大丈夫よ。何が食べたい?」
──「良かった~!前に食べ損ねたパスタがいい♪」
「わかったわ。パスタなら材料があるから、準備しておくわね。」
──「ありがと~♪」
その時、翼くんの声とは別に、翼くんを呼ぶ声が聞こえてきた。
──「って、そろそろ行かないと!百合ちゃん、またね~♪」
「頑張ってね。」
通話を切った後は、明後日の段取りで頭がいっぱいになる。
「どうしよう……」
ケーキのスポンジとパスタソースは明日のうちに作っておいて……って、ご飯がパスタだけでは寂しいかも……ピザを作るにも、発酵に時間がかかるし……市販のピザ生地を買おうかな……
そんな事を考えながら、眠りについた。
「お先に失礼します!」
「森崎さん、お疲れ様!」
迎えた翼くんの誕生日当日、オーナーに挨拶して、いそいそと店を出る。スマホをチェックすると、翼くんから『撮影が20時くらいに終わるから、直ぐにアパートまで行くね♪』と、メールが入っていた。
30分くらいでここへ着く筈だから、パスタはギリギリに茹でて……オーブンは余熱をしておこうかな……って、ケーキのクリームを泡立てないと!
「はぁ……はぁ……日頃の運動不足が恨めしい……アラフォーに全力疾走は無理ね……」
でも、いつもお世話になっている翼くんに喜んで貰いたい……
その一心でパン屋から急いでアパートへ帰り、準備に勤しんだ。
「よしっ!準備完了!」
何とか準備は間に合い、翼くんに買って貰った卵型の小さいテーブルに、所狭しと料理を並べて行く。
誰かの為にこんな準備をするなんて、いつ以来かしら……
翼くんの事を考えていると、待っている間も苦にならないから、不思議だ。
だけど、約束の時間になっても、翼くんは来ない。
「撮影が長引いているのかなぁ……何かあれば必ず連絡をくれるし……」
30分、1時間と、時間だけが無情にも過ぎていく……
「こんな事なら最初から、誕生日を知っているから待ってるって、言っておけば良かった……」
ゴロンと横になって待ってるうちに、ウトウトしてしまった……
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《翼目線》
「はい!カット!」
監督の合図で、今日の撮影が終わる。
予定よりも少し押したから、すぐに百合ちゃんへ連絡しなきゃ!
「お疲れ様です!」
スタッフに声をかけて楽屋へ急いで戻ろうとすると、何処からともなく、歌声が聞こえてきた。
『ハッピーバースデー、トゥユー♪』
う、嘘だろ?!もしかして、サプライズ?!
スタジオに運び込まれたケーキは俺の前まで運ばれ、そこにはしっかりと俺の名前が書かれてある。
「翼!おめでとう!」
「ひ、ヒカル、ありがとう……」
「何だよ、もっと喜べよ!」
「いや……びっくりしてるだけだから……」
「コイツ、感動のあまりに、声が出ないらしいぞ~♪」
「あはは……そうなんだよ……」
共演者であるヒカルのからかいに、苦笑いで答える。
みんなの気持ちは嬉しいけど、今日ばかりは有り難く無い……だけど、それを顔に出す訳にはいかない……
「さっ!翼、火を消して!」
監督に促されて、ケーキに顔を近付ける。回りを見渡すと、期待に笑みを浮かべたスタッフ達の顔……そして、スタジオの脇にサンドイッチやピザなど、みんなで食べるであろう軽食が準備されている。
か、帰れない……百合ちゃんのパスタが……
笑顔を作り、心で泣きながら、蝋燭を吹き消した。
「ヤバいっ!日付けが変わるっ!」
俺のサプライズバースデーパーティーがお開きになり、すぐタクシーへ乗り込んだ。
途中、百合ちゃんに電話をかけるけど、出る気配が無い。
怒ってるよな……連絡も無しに遅くなっちゃって……
いつもなら百合ちゃんは寝ている時間だ。申し訳無いと思いながら、直接アパートへ向かう事にした。
「うぅ……心が折れそう……」
俺の溜め息だけが、タクシーの車内に響いた。