第15話
「百合ちゃん……」
知らない男の車を見送って振り向いた百合ちゃんに、声をかけた。俺に気づいた百合ちゃんは、驚いた表情を浮かべている。
「つ、翼くん……いつからここへ?」
「……パン屋に行ったけど、居なかったから……」
「そう……」
「さっきの男は誰?」
少し棘のある言い方になってしまう……だけど、自分を止められない……
「パン屋のオーナーよ。」
「……二人きりで何処に出掛けてたの?」
「それは……」
百合ちゃんが口ごもる……何も言い訳しない百合ちゃんに、イライラが募っていく……
「何回も電話したんだけど……」
「ごめん……スマホの充電が切れて……」
「本当に?」
「……」
「ちゃんと答えろよ!」
ガシッ!と手を握ると、百合ちゃんが顔をしかめた。見ると、そこには包帯が巻かれた手首が……
「この怪我、どうしたの?」
「……転んで……」
「本当に?」
「……」
「俺よりも、車持ちの男の方が頼りになる?」
「そういう訳じゃ……」
百合ちゃんに一歩近づくと、ハッ!としたように、百合ちゃんが顔を上げた。
「そのコロン……」
「コロンがどうかした?」
「……何でも無い……」
プチッ……
何かが切れるような気がした。
駄目だ……何も言ってくれない百合ちゃんにイライラが爆発した!
「どうして何も言ってくれないんだよ!」
「……私に構うより、ちゃんと本命の彼女を見てあげて。」
「はぁ?本命の彼女って何だよ!意味わかんねぇ!」
「……」
「だよな!俺達、付き合ってる訳じゃ無いもんな!」
「……」
頼む!否定して!せめて傷ついた悲しそうな顔をして!それだけで全てを許せるから!
俺の願いも虚しく、百合ちゃんは無表情で答えた……
「そうね……」
何かに堪えるよう、グッと拳を握り締める……
「もう、いい……」
これ以上百合ちゃんと話しても無駄だ……
踵を返して、その場を立ち去った。
ドン、ドン、ドン、ドン……
重低音が鳴り響く、いつものクラブ。踊る事もせずに、一人、バーボンを煽った。
「手料理を食べ損ねたのか?」
シュウのからかいにも応じる事なく、フォアローゼスのプラチナの瓶に手を伸ばす。
百合ちゃんと初めて出会ったその日に覚えた酒……これを飲んでいれば、また偶然出会える気がして、シュウに頼んで店に入れて貰っていた。
「何があったのか知らないけど、明日も撮影だろ?程々にしとけよ。」
「……わかってるよ。」
返事をしながらも手を休める事なく、バーボンが入ったグラスを口に運び続けていると、リナが俺の隣に座ってきた。
「翼……飲み過ぎだよ……」
「……」
「オバサンと翼は釣り合わないって!やっぱりリナがいいっしょ♪」
そう言いながら腕に手を絡ませてくるリナに、違和感を覚えた。
何でいきなり、百合ちゃんの話を?それにリナの匂い、俺のコロンと一緒だ……
ふと、百合ちゃんが俺のコロンに反応したのを思い出して、嫌な予感が走った。だけど問い詰めても、コイツは吐かないだろう。
リナの肩に手を回して、抱き寄せる。
「だな。リナのおかげで目が覚めたよ。」
「もうっ!本命彼女をほったらかす翼がいけないんだからね!苦労しちゃうよ♪」
本命の彼女……これも、百合ちゃんが言ってた……
点と点が繋がった……こいつ、百合ちゃんに何かしたな……
わざとらしく頬を膨らますリナに心底嫌気を感じながらも、更に探りを入れる。
「助かったよ。何て言ってくれたんだ?」
「私が本命彼女だから、二度と翼に近づかないでって、ちょっと脅しちゃった♪てへっ♪」
ドンッ!
頭にカッ!と血が上り、立ち上がってリナの両手首を壁に押しつけ、動きを封じる!
「翼!何やってんだよ!」
「煩い!黙ってろ!」
シュウの制止も聞かず、リナを睨み続ける。
「……彼女に何をした……」
「えっ?つ、翼……?」
「彼女に何をしたのか言え!」
「べ、別に……」
「彼女と同じように、手首を折ってやろうか?」
「嘘っ……そ、そんな……」
リナがガタガタと震え出す。
「てめぇ、次、彼女に手を出したら絶対に許さないからな……」
俺の気迫に怯えるリナの手を離して、そのままクラブを後にした。
【嫉妬に用心しなさい。嫉妬は緑色の目をした怪物で、人の心を餌食にしてもて遊ぶから。 ─ シェークスピア】
クラブを出てタクシーを捕まえ、マンションに帰り、速攻でシャワーを浴びる。
お気に入りだったコロンの香りが、嗅ぎたくもない匂いに変わったからだ。
「落ちろ……落ちろ……」
何度も身体を洗い、念入りにシャンプーをする。それでも足りないくらい、嫌な匂いになっていた。
「百合ちゃん……」
百合ちゃんはリナが本命の彼女って聞いて、俺が気に病まないように何も言わなかったんだろう……
それに比べて俺は、つまらない嫉妬で本質を見逃してしまった……
こんなのじゃ、子供っぽいって思われても仕方ないよな……他の……もっと大人の男に百合ちゃんが惹かれても当たり前だ……
謝ろう……許して貰えないかもしれないけど、謝ろう……
バスルームから出て着替えると、髪の毛を乾かす時間も惜しんでマンションを飛び出した。
──「おかけになった電話番号は、現在電波の届かない……」
何度電話をかけても、百合ちゃんのスマホは通じないままだ。
行く事を伝えたかったけど、直接アパートまで行って部屋のドアをノックする。暫くして、百合ちゃんの声が聞こえてきた。
──「……どちら様ですか?」
「俺……翼……」
──「どうして?彼女のところに居ないと駄目じゃない。」
「百合ちゃんに渡したいものがあって……」
少しの沈黙の後、ガチャ……とドアが開いた。
「これ……」
顔を出した百合ちゃんに、来る途中で買った食料品が入ったコンビニの袋を手渡す。
「……これは?」
「手が不自由だと思って……レンジでチンするだけのパスタや炒飯なんだ。」
「ありがとう……」
「その……」
言葉を続けようとした時、百合ちゃんが俺の頭を撫でた。
「えっ?な、何?」
「髪の毛が濡れてる……中へ入って……」
「う、うん……」
促されるまま、百合ちゃんの部屋へ入った。