第13話
その時、スマホに着信があった。百合ちゃんからだ。
「もしも~し!」
──「あ……翼くん?」
「そうだよ!って何処にかけたの♪」
──「つ、翼くんだけど……」
「だよね~♪」
──「その……マグカップありがとう……」
「どういたしまして!俺が行くまで、誰にも男用は使わせないでね!」
──「つ、使わないよ!誰も来ないし!」
「ぷぷ!そんなに焦らなくても♪」
あ~、やっぱし百合ちゃんと話すのは楽しい~♪
「それを言う為に、わざわざ電話してくれたの?」
──「えっと……明日はマグカップ使いに来る?」
「えっ……?」
───「いや、忙しいようならいいんだけど……」
うわっ!百合ちゃんから誘って貰えたのって、初めてかも♪だけど明日は無理だったような……
「明日は夜の撮影があるから無理かな?明後日なら大丈夫だよ♪」
──「そっか……何か食べたいものはある?」
「だったら肉じゃがが食べたい♪」
──「わかったわ。」
「あっ!材料は俺が買うからね!」
──「カレーの人参と玉ねぎが残ってるし……」
う~ん……ここで無理強いすると、また気を遣わせるか……
「だったら、今回は買い足さなくても大丈夫かな♪」
──「うん、こっちで用意しとくね!」
「よろしく~♪」
やったぁ~!次の約束が出来たぁ~♪
通話を切った時、ふと、一人でニヤけている事に気付く。
「ヤバっ!顔を引き締めないと!」
急いで頬に手を当てて、顔を引き締めた。
よしっ!NG出さないように、マンションに戻ったらもう一回台本に目を通しておこっと♪
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《百合子目線》
翼くんがご飯を食べに来る日、売り場の女の子達の会話が聞こえてきた。
『この前ヒカルくんが撮影してたドラマって、いつが放送なの?』
『えっと……確か火8だから、来週から放送開始かな?まっ、私は翼派だけどね~♪』
『えぇ~!私は断然ヒカル派だよ!』
へぇ~。翼くんが今撮影してるドラマって、もう少しで放映なんだ……
「……」
ヒカルって、この前翼くんの悪口言ってた男の子よね……翼くん、気を遣い過ぎて疲れて無いかな……
「森崎さん?」
オーナーの声に、ハッ!と我に返る。
「は、はいっ!」
「手が止まってるよ。丸めているうちにも発酵が進んでいくから、手早くお願いね。」
「すみません!」
いけない、いけない……集中しないと……
気を取り直して、パンを丸めた。
夜になり、大名山へ一緒に買いに行ったテーブルの上に肉じゃがやご飯を並べ、翼くんと一緒に夕食を頂く。
「うん!やっぱ百合ちゃんが作るご飯は美味しい~♪やっぱ結婚したいっ!」
「大袈裟だって。これくらいは普通よ。」
「そんな事無いって!きっと何食べても美味しいんだろうな♪」
は、ハードル上げられた……
「が、頑張ります……」
「気は遣わないでね♪俺も百合ちゃんには気を遣わないようにするから!」
「うん……わかったわ。」
それから貰ったマグカップにコーヒーを入れ、ドラマの事を聞いてみる。
「翼くんがやってるドラマって、もう少しで放送されるんだね。」
すると翼くんは、曖昧な笑顔を浮かべ始めた。
「うん……でも、百合ちゃんには見て欲しく無いな……」
「どうして?」
「いや……俺って演技下手だし……」
やっぱりこの前、ヒカルって男の子に言われた事を気にしてるのかなぁ……それか……
「……もしかして演じるのが、あまり好きじゃぁ無いの?」
「いや、演技自体は好きだよ。ただ、下手なのは自覚してるから進んではやりたく無いかな……モデルの方が気が楽かも……」
「そっか……」
「俳優やってるのは、事務所の社長の方針なんだ。モデルだけで一生食べていけないから、30歳までに俳優へ転向しないといけなくて……」
「色々と大変なのね……」
「そんな事無いよ~!頑張ってるのは、百合ちゃんも同じだよ♪」
私は……自立する手段である正社員の道を取り上げられ、役に立たない人間だと姑から罵られ続け、龍二の影に怯えた元夫からの乱暴に近い営みから逃げる事だけを日々考えて……
真綿で首を絞められるよう徐々に追い詰められ、気が付けばからくり人形のように感情を持たず、死んでいるように生きていた……
ううん……せっかく自由になれたのに、人との関わりを避け、逃げているのは自分自身……
今の私は空っぽだ……頑張ってると言えるものが何も無い……翼くんが眩しくて、自分が嫌になりそう……
その日を境に、何となく翼くんの事を避けるようになった。何かと理由をつけて、食事も断っている。
「はぁ……私は何をやってるのか……」
一人でアパートへ帰り、簡単な食事を食べて、テレビを見る代わりにスマホのニュースをチェックする。
「あっ……今日からドラマが始まるのね……」
何気なくスマホのワンセグを立ち上げて、ドラマのチャンネルを表示する。
ドラマは両想いなのにすれ違いつつも距離を縮めていく二人の話で、男主人公はヒカルという人だ。そして、女主人公に想いを寄せるのが、翼くんの役……
見入ってしまった……ストーリーではなく、主人公でもなく、少ししか出番が無い横恋慕役の翼くんに……
何だろう……決して下手な演技では無い……特別上手い訳でも無い……強いて言えば、個性的……まるで……
スマホを取り出して、翼くんに電話をかける。5コールの呼び出し音の後に、翼くんの声が聞こえた。
──「百合ちゃん?久しぶり!」
「うん……今、仕事中?」
──「もうマンションに戻って、シャワーを浴びたところだよ♪」
「そう……」
──「……もしかして、オンエア観た?」
「うん……観たよ。」
──「……」
「その……」
言いかけたところで、明るい声が聞こえてきた。だけど、かなり無理している感じがある。
──「やっぱ俺の演技、下手だったよね~!」
「そんな事無いよ。」
──「いいって!百合ちゃんだけは、本当の事を言ってくれても、嫌いにならないしっ♪」
「じゃぁ、はっきり言うね。」
──「……覚悟をして聞くよ。」
一旦、息を吐き出して、敢えて落ち着いた声を出してみる。
「個性的だと思った……」
──「うん……」
「主役よりも、引き込まれた。」
──「……えっ?」
「主役よりも存在感あった。」
──「……」
「名脇役ってこんな人が多いよねって思った。」
──「……」
翼くんの返事が無い……やっぱり脇役って失礼だったかな……と思っていると、急に笑い声が聞こえてきた。
──「ぷぷっ!名脇役って!あははっ♪」
「……翼くん?」
──「やっぱ百合ちゃん、サイコ~♪」
「えっと……」
──「だよね!みんなと同じように主役を狙わなくても、俺は俺の個性を活かせばいいんだよね!マジで、百合ちゃん、ありがと~♪」
「ど、どういたしまして……」
声が変わった……いつもの自然な翼くんの声だ……
──「あ~!もうっ!今すぐ抱き締めに行きたいのに、明日は早朝から雑誌の撮影だよ!」
「だ、抱き……」
──「ぷぷっ!そんなに動揺しないでよ!何度も言ってるけど、今更じゃん♪」
「まぁね……」
──「……百合ちゃん、本当にありがとう……おかげて吹っ切れた気がするよ。」
「私は別に……」
──「明日、ご飯食べに行ってもいい?」
「うん……いいよ。」
それから、明日、パン屋まで迎えに来てくれる約束をして、通話を切った。
「何で私、電話したんだろう……」
その時の私は、自分の代わりに、翼くんには光の中で生きて欲しい……そう思っていたのかもしれない。