にゃんこの恋
神様は、のんびりさんなのでしょうね、と
わたしは思った。
ルーフィは、「僕はなにもしなても良かったんじゃないかな」って
言ってるけど。
でも、そのルーフィのがんばりで
めぐは、命を取り戻したんだし。
「ね、ルーフィ」とわたしは聞いてみた。
赤ちゃんだっためぐに、どうして
魔物が寄ってきたのか?
その後も、図書館で
悪魔くんが、つぎつぎに訪れたのか?
偶然にしては、ちょっと重なり過ぎるような気も。
「そうだね・・・もしかすると、めぐちゃんが、魔法使いの素質がある、って事を感じ取っていたのかも
しれないね。
それに、天使さんが宿っていたから
物珍しい、ってのもあるかな」
そんなことなの(笑)?って
わたしはちょっと笑ってしまった。
魔物とか、って
もうちょっと怖いものかと思ってたり。
「それは、ほとんど物語の世界だね。
いつも恐ろしかったら、魔物くんだって疲れちゃうでしょ」と、ルーフィ。
この世界は、どことなくのんびりしてるなー(笑)
それはそれでいいけど。
「さぁ、今日もがんばらなきゃ!」と
めぐは、元気になって。
にこにこ。
昨夜のいきさつをしらないわたしは
ルーフィから、その事を聞き
ちょっと、びっくり。
「ほんの一瞬で・・・・神様って
すごいのね。」
と、思って。でも、めぐが
能力を封印した、ってあたりは
やっぱり彼女らしいなあ、って。
「にゃごが、転生に成功するといいんだけどね」と、ルーフィ。
そっか。
失敗する事もあるんだ・・・・。
にゃごは、いまは動物界の住人。
のんびりと、育っている。
キャットイヤーだから、すくすく育って。
おばあちゃんは、健康に育っていく
にゃごを、とっても喜んで見ている。
人間には、家族があって。
だいたい、小さな子がいたりして。
かわいい子供を育てる事が、ひとを優しくさせている。
ルーフィが治療につかった、オキシトシンもそのひとつで
人間の心を、優しくするケミカルで
子供を育てる時、ひとの心で作用するもの。
かわりに、猫を飼ったりしても
かわいがる事で、ひとは、優しくなれるから
にゃごたち、猫族は
それで、人間の役にたっている。
もちろん、にゃごみたいに
レスキューして大活躍するにゃんこも
いるけれど。(笑)
それは特別な話。
普通にいきていても、転生はできるんだろうと思う。
いろんな経験して、それが性格を作っていく。
それは、人間も同じだから
のんびりにゃんこは、のんびりした
性格だし
活発にゃんこは、凛々しい性格になったり。
超能力にゃごは、どんなにゃんこになるのかな?
ふだんは、でろーん、って
のびてるけど(笑)
日々の積み重ねが、記憶。
それが、、やがて性格とか
人柄とか、言われているけれど
ずっと、同じ人柄であるわけでないことは
古くから、述べられている通りだけれども
記憶の中でも、幼い時の記憶は
覚えていない事が多いし、初めて
体験する事ばかりなので、結構
印象が大きい。
それで、性格に影響が大きい、とか
言われている。
なので、神様がめぐの人生を
最初からやりなおす、と言ったのには
それなりに、意味があったのだ。
めぐだけでなく、この、めぐが住んでいる時空間に、魔物が入り込んで
エネルギー源である、ひとの悪意、敵意を煽ったせいで
この世界が、すみにくくなった。
それを、最初から直すのは
神様としての使命感であるのだろう。
もちろん、この事を知っているのは
ルーフィと神様、それと天使さんくらいだろう。
魔王も知っているかもしれないが。
もちろん、めぐの父母、祖父母ですら
このことは知らされていない。
一晩で、一気に時間を逆転させて
また、元通りにする、そんな事が
できるのは神様くらいだ。
変わった夢を見た、くらいの
認識で
記憶違いの出来事があったり。
そんな事が誰にでもあるし、
正夢、なんて言葉もあるけれど
それらの時々は、時間旅行かもしれない。
そういう記憶が積み重なって人柄ができるなら
自由に時空間を旅行できるひとは
自由な人柄、になるのだろう。
覚えている事が、
4次元で並んでいるので、発想も自由自在である。
ただ、恋愛となると別かもしれない。
好悪の感情は、複雑だ。
善良な人柄、即ち恋愛対象とも
限らない。
一見大人しそうな女の子が、ロックミュージックを好み
攻撃的な男の子に恋する事だってある。
その場合は、恐らく
周囲への配慮でおとなしく振る舞っているけれど
本当は、攻撃的になりたい、と
心が叫んでいるのだろう。
めぐの、魔物体験が心からなくなった事で、
奇妙に臆病なところ、生への諦観のような
年齢の割におとなしいところ、などが消え失せる。
そうすると、それを好ましいと
恋心を抱いていた人などは、そう思わなくなったりする。
誤解が誤解を呼んでいて、うまくいっていた友好的関係などは
ダメになったりする(笑)。
そういう事も、一晩のうちに起きたはずなので
いろいろ、ルーフィたちには
異変に見える事もあったりも、する。。。
いろいろあった土曜日。
だけど、過去が変わったから
この、土曜日の出来事も
もちろん、変わっていたりもする。
日曜日の朝を、爽やかに迎えためぐを
ちょっと心配っぽく見守っている
ルーフぃと、Megだった。
お父さん、お母さんも
何事も無かったように
朝を迎え、朝餉を送る。
おばあちゃんから、ごはんをもらって
おいしそうに食べてるにゃごを、にこにこしながら
眺めて。
めぐは、図書館に向かった。
日曜日は、ホントは
図書館に来なくてもいい、って
司書主任さんは、お気遣い。
でも、元気なめぐは、さらに元気になって(笑)。
張り切って仕事。
「おはようございます!」と、だーれもいない事務室で
主任さんにご挨拶。
「やあ、おはよう。今日も元気だね」と、主任さんはにこにこ。
事務所の壁面にある、黒板を見ると
昨日あった筈の、映画鑑賞会に、司書主任さんの甥御さんの名前が、入っていなかったりする。
たぶん、めぐ、以前のめぐに恋心を抱いていて。
それで、ラブレターのように個人映画を撮影して
めぐに、見せたかった。
そういう、ロマンチストだったらしい。
でも、それは、彼のファンタジーだったようで
魔物に襲われた経験のない、今のめぐは
臆病なところのない、明るい元気な少女である。
それが、彼にとって幻想を呼ばない存在になった、と言う事のようだ。
多くの恋は、誤解である。
過去の経験の中で好ましいと思った記憶、そこに存在したイメージを満たせる人を好むのである。
大抵はよく知らないうちに好きになるのであるから
多くの場合、誤解である(笑)
だが、その差異を
認め、その人を愛おしむ時、それは愛と呼ばれる。
彼は、まだ若いので
自らの好みだけで、女の子を求めていたのであろう。
もう少し、成熟すれば
良い男になるかもしれないが。
いずれにせよ、めぐにとって
それは良い事だったが
その事を、めぐ自身は
覚えていないかのようだ(笑)。
それは、もちろんいい事だと思う(笑)。
めぐ自身が、もともと
興味を覚えていない理由に
そんな、男の子の身勝手な感じ、もあったのだろうから。
優しいお兄ちゃんのような、ルーフぃへの気持ちを
さて、めぐは覚えているのだろうか...
そんな、人の見た目とホントの性格、は
「思ってること」
と
「すること」
の違いなので
そのあたりに、変化があるのはアタリマエ(笑)なんだけど。
その、「すること」を見て、「思ってること」を推測して
好きになる、ってのは至難の技であるから
大抵、誤解なのであるけれど。
でも、ひとの思ってる事なんて、大したことはない。
なので、縁あって好きになった人の
嫌いなところが多少あったとしても
それで、愛する事ができないのは
わがまま、だろう。
めぐが、ルーフィに抱いた気持は
そうではなくて、確りとした生き方の人、なので
原基として安心、だと言う事だから
そのあたり、めぐは審美眼がある、のだろう。
もちろん、神様が人々の世から過大な欲望と
争いを抑制したせいで
女の子たちも、安心して生活できる世の中になった。
男どもが欲に駆られると、ろくなことはない。
元々、争って淘汰されるべき性なのである。それが
淘汰されなくなったので、性能の悪い種が生き延びてしまった。
そういう連中が、性能の良い種の利益を搾取しようとしていたのが
この国の戦後復興後であった。
つまり、品質の悪い種が増えてしまった。
進化生物学的に言って、これほどおかしな事はないが
そのせいで、「悪い人の方が利益を得る」おかしな社会になってしまったが
全て過大な欲のせい、である。
もともと、動物として獲物を得て、生きていたが
農耕をして貯蓄をする事を考え、エネルギーが安定したので
貯蓄を、農作物ではなく
農作物の引き換え証で代用するようになる。
貨幣の起こりである。
そのうちに、貨幣をより得ようと考える。
欲である。
貨幣は、食物の引き換え証であったものを
一度に引き換えに来ないので、貨幣だけを増やしても
大丈夫だ、と悪い考えを起こして(笑)儲けた者が居た。
欲の起こりである。
いつか、その貨幣の価値は低いと
信用がなくなるので
沢山の貨幣を持っていても、得られる食物は減る。
そういう中で生きていると、男も女も
不安である。
無意識に競争するから、こころの豊かさは失われる。
それが幸せなのだろうか、と
神は考えるのだろう。
必要にして十分な富があれば良いのである。
欠乏を恐れるのは、社会制度が信用できないからである。
今は、ふたたび安定が訪れたので
ひとは皆、穏やかに暮らす事が出来たし、自由と平和を謳歌する
世の中になった。
社会が安定して、信頼できれば
貯蓄も程ほどで良いし、むしろ経済は豊かに巡るのである。
不思議なことに、めぐに好意を持っていた映画作家くんは
めぐの上辺だけを見て判断していたのだろうか?
本質も良い子、なのだけれど。
映画作家くんの心が変わったのは、神様が
魔物の居た時代まで時間を逆転させ、無き物としたから、
つまり、人々の過大な欲と悪意を無くしたから、であろう。
それまでのめぐ、は
臆病なところがある、おとなしい少女であり
活発で生き生きとした彼女を愛せない、それは彼の嗜好である。
めぐを従順な子、だと思って恋したのかもしれないが
本質は何も変わっていない、見た目と行動が変わっただけ、だ。
また、映画作家くんも
従順な子を好む、即ち異性親が抑圧的であったので
恋人はそうでない人が良い(笑)と思っていたのかもしれない。
ふつう、母親が子に対して抑圧的に接するのは
多くの場合が過剰な心配、つまり
それまでの母親の人生に不安が多かった経験から、である。
限りなく広い自然空間で、伸び伸びと育てば
そんなに社会に不安を抱く事は少なく、そうでないと
不安は多くなる。
つまり、母親の環境に他人の欲が入り込んでいたので
母親の心を不幸にしていた、それが
映画作家くんの人生を左右していたのである。
それを、神が粛清した。
母親が健康的で優しければ、映画作家くんも
殊更従順な女の子に強く惹かれる理由もなくなる。
その変化が、めぐ、への求めが無くなった理由、かもしれない。
何れにせよ、ふたりにとって良い事だろう。
誤解を招いていたのは、めぐの心にあった
魔物への無意識の畏怖、だったのだから。
その日曜日は、結構忙しかっのだけど
めぐは、元気いっぱい。
にこにこしながら、返却カウンター、貸出カウンター、図書整理と
頑張った。
そんなに頑張らなくてもいいのだけど
若さ故、である。
返却図書の中に、星占いの本が
あったりした。
「占いねー。」
クラスメイトが、時々
占い雑誌を見ていたりしたのを
一緒に見たくらいで、それほど
気にした事もなかった。
でも、面白いかも。
夕方で、ひとの少なくなった書架で
めぐは、その
至って真面目な本に、ちょっと興味を持った。
わたしは、書架でめぐを見かけて、声を掛けた。
「ごくろうさま」。
めぐは、にっこりして星占いの本、ホロスコープ、と言う
割りと専門的なものを見ていたので
....神秘に惹かれるのは、どことなく.....。
封印してしまった、めぐ自身の能力者としての才能が
どこか、呼んでいるんじゃないかしら?
などとも思った。
もしかすると、ルーフィに恋してた事も、忘れていないのかも。
そんな風にも思って。
...強敵、再登場(笑)。
あ、でも。
今は、もう...。
私達が元の世界に戻れば、めぐとの接点も無くなる。
でも、帰る術はまだ、見つかっていないんだった。
来るとき、自然に飛んできたので
帰りたい、と思えば自然に戻れると思うけど。
今、帰りたいとわたしは思っていないのかもしれない。
「わたし、ちょっと興味あるんです。星の動きで推理するって
なんとなく、不思議で」と、めぐは
楽しそうに言う。
「結構、理系よね、それって」と、わたし。
「うん」と、背後で静かに囁いたのは、ルーフィだった。
「ああ!そうだ。ルーフィさんに教えてもらえばいいんだ。
魔法使いさんだったら、詳しいでしょ?」と、めぐは
楽しそう。
そういう風に、アクティブなところはちょっと、愛らしい。
前から、親しいわたしたちには見せていた表情だったけど
今は、自然にそう振舞えるようになって。
so,cute.
そう、ルーフィも思っている事だろう。
これから、いろんなステキな出会いがあるんだろうな。
「星の運行は神秘だね」と、ルーフィは言った。
その進行に沿って、時間が定められている、とも。
その、物理的な時間は、例えば
待ち合わせに使ったり、仕事の時間を決めたり。
社会に沿っているものである。
ひとつひとつの星に、それぞれの時間があって。
それを、星の運行として地上から
みていたりする。
けっこう、多次元的である。
地上でも、地球がまわるので
昼と夜があって。
でも、ひとりひとりの記憶の中には過去があったり、未来があったり。
空間があったり。
それは、そのひとだけのもので
外からは見えないけれど、ひとつの世界だ。
神秘的に思えるけれど、科学的には分析ができている。
星占いと理論的類推も、アルゴリズムが違うだけで
考え方は似ている。
「ルーフィさんは、得意ですね、」
と、めぐはにこにこしながら。
「めぐ、覚えてるの?」と、わたしは
気づいて。
神様は、魔物の記憶を消すために
世界の時間を逆転させた。
それで、めぐの記憶も
リセットされたはずだった。
「はい!楽しかったですね。
温泉に行ったり、パン焼いたり。
ルーフィさんがお風呂のぞいたり(笑)」
と、あっけらかんと言う感じは
いままでのめぐにはないものだけど。
・・・・神様は、めぐの、ルーフィとの
思い出を消さなかったのね・・・・
格別、消してしまう必要は
ないのだけれど。
そういえば、幼い記憶と違って
意識されている記憶は、性格への影響はそんなにない。
よく言われるように、傷つきやすい心は
幼い記憶、無意識の影響が大きい。
だから、神様は・・・・
最初から、それを知っていたのだろう。
「なるほどね・・・」
ルーフィも、うなづいた。
ここの神様も、なかなかたいしたひとだわ(笑)
星の動きで、その日いい事がある、とか
気をつけること、がわかる。
それも、空想的で楽しいと
めぐは思ったり。
それは、生まれた時の星の配置と
その日の、星の位置が
どのくらい似てるか?
それを、分類にしたものなので
幾何学的なもの、で
コンピュータでプログラムを作れたりする。
結局、時間の経過に沿って星は動いているから、で
生まれた瞬間に近い星の配置の時に、その人は
能力を発揮する。
そんな神秘。
神様に出会う夜は、いつも満月だとか。
そういう、不思議なめぐり合わせ。
めぐは、その、星占いの本を
図書館から借りていった。
あまり、借りて帰る事は
そういえば無かった。
毎日図書館に来ていると
借りなくても、よかったりして(笑)
でも、その本は
星の運行表が書いてあったので
それが楽しみで。
「図書館のコンピュータに、占いのプログラムを
作れないかな」
そんな風に、めぐは思って。
学校で、コンピュータの授業があったので
なんとなく、作り方は知っていた。
星の運行表を、全部、縦横配列にして。
日時に沿って、検索させればいいだけ、だ。
生まれた場所、時間。
それに沿って、星の配置、角度を
計算させるだけで
吉凶は、角度で計算するので
結局は、全部が計算。
「でも、大変そう(w)」
とか思った。
「ルーフィさんなら、魔法で作れるのかなぁ」
空間に魔方陣を一瞬で書けるくらいだもの。
........魔方陣、って天球図に似てる。
めぐは、ふと、そんな事を思った。
ルーフィの使う魔法は、至極科学的なものなので
座標をそれで示しているのだけど
それを魔方陣、と
めぐが思っているのだけ、だ。
神秘のように見えるけれど、根拠は科学なのかも。
めぐは、そんな風に空想しながら
星占いの本を読んでいた。
それも、楽しいひととき。
夜は、短い。
「星って言うと・・・」
めぐは、思い出す。
おじいちゃんが、天国へ行った時
おばあちゃんは「おじいちゃんは
お星様になったのよ」なんて。
言ってたっけ。
「星の、ひとつひとつに
そんな、見守ってくれる人の
願いがこもってれば
星が、遠かったり、近かったり。
いろいろな、力の働きで
運勢が決まる事
あるかも」
星占いの本を見ても、
たとえば水星は、言葉に長けた星、
金星は人気とか、なんとなく
特徴があるお友達、みたいな。
そんなふうに見えたりして
楽しくなったりした。
「でも・・・」
おじいちゃん、天国へ行ってしまって
やっぱり寂しかったり。
飼ってたみーこみたいに
さりげなくいなくなってくれたら
死んじゃったなんて、悲しい気持ち
にならなくて済むのにな。
なんて、思ったりした。
実際、めぐの親戚には
旅人も多くて。
行方知れずになった人も、いたりした。
それは、ひょっとすると
異次元に旅立ったのかもしれないのだけれども。
めぐの血統なら、十分
考えられる事だった。
いつか、にゃごが
転生して、天使さんと一緒に
天国へ向かったら。
そのあと、めぐの
能力は解放されるかもしれないーー
天使さんは、その
めぐの気持ちに感謝していた。
それで、めぐを自由にしてあげようと
いろいろと考えていた。
方法はいくつか、あるらしいけれども
新米天使さんは、あまり
その方法に詳しくないのだった。
確実に言えるのは、天使を捨てて
人間にでも転生すれば
めぐは自由になれる。
でも、そうなれば
また天使になれるとは限らなかった。
めぐは、天使さんの幸せのために。
天使さんもまた、めぐの幸せを思ったのだった。
言葉を交わした訳ではないけれども
なんとなく、そう感じながら生きていた。
それらもすべて、この星の上での時刻に沿って
起こっている事で。
そこだけは、良くなったと
ルーフィも思っていた。
でも、天使さんは
望んで天使になったわけでもなかった。
それまでの行いで、転生が行われ
任命されただけ、だ。
いまも、それは同じ。
めぐのために、自らを変えようと
思っている....。
それは、めぐとて同じで
望んで能力者に生まれた訳ではなかった。
どんな赤ちゃんも同じで
自ら望んで出生する子はいない。
それは、父母の願いであるが....。
めぐの場合、その能力のせいで
数奇な運命に晒されてしまった。
神とて知るところにはなく
運命とはそんなものだ。
悪魔や魔物が来るように、時空の歪みが生じたのも
単なる偶然なのだろうか。
神はそれを粛清した....。
無辜の生命。
とはいえ、生命維持にはやはり、食料が必要なので
それは、多くの場合、無辜の生命を食する。
原罪と呼ばれる所以である。
そうした原罪を持つのが人間である。
動物である。
そして、動物に食われるのは植物である。
相互に転生が行われ、相互の世界を往来する。
星占いで言うと
冥王星、死と再生を意味する惑星が
12番目の室に入る時、終生と新生が起こる、などと
神秘主義で語られたりも、するけれど
社会を意味する6番目の室と、丁度180度、緊張関係にある時
変革は、革命的に起こったりもしたり。
古代エジプトの進軍の将は、そんな風に
星占いを活用していた、行軍に天体の力を使う、との意図で
言ってみれば、その時代の呪術である。
上手く行くと、それは魔法と呼ばれたりした。
なので、ルーフィは星占いの知識は当然持っていたし
めぐが、興味を持ったのも自然な流れかもしれない。
めぐは、ルーフィに「魔法で、コンピュータのプログラム作れませんか?」
などと、無茶な事を言う。
でもまあ、コンピュータプログラムと言うのは
コンピュータの中で、電荷、つまり電気がある、とかない、と言うことで
数字や文字を表しているだけ、だから
翻訳する部分を、魔法でやれば
簡単にできるかもしれない。
と、ルーフィは思った。
時系列を横軸に採って、縦軸に星座上の惑星の位置を採る。
グラフを書き、惑星の進行を近似式に置換すれば
あとは、式の未知数に占う日の数字を入れればいいのだ。
例えば、 Y=2Xと言う惑星があったなら、Xに日時を入れればY、即ち
星座上の座標が出るので
天球図上の位置に置換すれば、惑星相互の角度が出るから
90度近似
180度近似
60度近似
30度近似
120度近似、と、これは算術計算で
吉凶は算出される。
と、これは幾何学的なプログラムで
魔法、と言うのは
それを直接変換する、そういう訳だ(笑)。
「グラフ書いた方が楽ですね!」と、めぐはにこにこ。
「うん。これならプログラム書かなくても、表計算ソフトで書けるんじゃない?スクリプトで」
と、ルーフィは言った。
もともと、魔法使いは科学者であった。古代では。
(笑)
早速、スクリプトを作ってみて。
グラフまでは表計算で作って
近似式を、ソフトで作った。
ほんの二月ぶんくらいを
表計算のセルに入力すれば
あとは、グラフを勝手に書いてくれて。
そのグラフから、近似式を出すのも
簡単だった。
12星座の座標は、カレンダーと
似ている。
そこを基点にして、半年なら180度、その半分が90度。
日付順に、これもグラフから
式にして
未知数に数値代入して、
連立方程式にすればいいのだった。
「でも、ちょっと味気ない」
って、アプリケーションに
かわいいイラストを入れたり。
ボタンをグラフィックにしたり。
占いの結果を文章にしたり。
「できたっと」めぐは、楽しそうだ。
生まれた日時と、場所をコンピュータに入れると
ホロスコープが表示される。
図書館のコンピュータだから
「あとは、占いの本みてね」
って書いたりして(笑)
簡単な占いを書いた。
「すごいねー」ルーフィは驚く。
これって、魔法みたいだ。
「学校で習うのね」と、わたしは
ちょっと驚く。
そんな授業あったかしら?(笑)。
簡単に作れちゃうんだ。
「さっそく、図書館のコンピュータに入れてみたいですー」って
めぐは、にこにこ。
いつだったか、ルーフィが言っていたみたいに
科学と魔法って、似てるんだ。
そんなふうに思ったり。
作ったものは、早く使ってみたい。
その、わくわく感は
もの作りをする人には、誰にも
わかる、とても楽しい時間。
ルーフィの魔法?で
簡単に作れてしまった
星占いプログラムを
早く、使ってみたかったけど
きょうは月曜日、学校の後、だから
少し、おあずけ感(笑)。
こういう時の、心の中の
わくわく感って、時間を先走りしてる、ルーフィの言葉なら
4次元が、こころにある。
そんな感じかも。
はやく、学校に行って
帰ってきて、途中で図書館に行って。
その空間、時間を
想像していて。
それまでの時間は、省略されちゃったり。
忘れ物とかしそうで、危ない(笑)かも。
それなので、いつもより確実に
確認をしながら、学校に行く
支度をした、めぐだった。
パジャマの上にスカート、そのまま
出掛けたりしないように(笑)。
かばんの中身も確かめて。
お部屋から、階段を下りて
ダイニングへ。
まだ学生だから、コスメチックとか
気にしなくて良かったので
気楽で良かった。
それは、聞くところによると
結構、めんどくさいらしい(笑)。
毎日するのは、確かにそうかも(笑)。
でもまあ、オシャレでたまにするなら
遊んでみたい、とか
思ったりもした。
「にゃご」
階段のとこで、にゃごが
おはよう、をした。
首を伸ばして、背中反らして。
あくびをひとつ
「おはよ、」
めぐは、にこにこして
にゃごの頭を指先で撫でた。
「にゃご、ちょっとおおきくなった?」と、めぐが言うと
「にゃご」
いつも、それだけだけど
にゃごは、めぐと
おばあちゃんのお気に入り。
もちろん、おかあさんも、おとうさんも
にゃごを、可愛がっている。
にゃごの前にも、にゃんこやわんこを
飼っていた。
いつも、どこかで拾ってきたり、
もらってきたり。
可愛がっていると、和めるからかな?
「にゃごー、ごはんよ」と
おばあちゃんは、いつもみたいに
お魚を焼いて、ごはんに載せて。
「おばあちゃん、にゃんこの缶詰、なかたっけ?」めぐは気にして。
最近は、猫用の缶詰のほうが
猫の健康にいい、って(笑)。
おとうさんの好きな、鯖缶より
よっぽど高い(笑)のを、めぐは
買ってきたり。
おばあちゃんは、にこにこ。
「そうねぇ、にゃごが、食べたがるのよ。ふつうのお魚。変な猫ねぇ」
と、おばあちゃんの言葉からすると
にゃごの味覚は、すこーしだけ
人間に近いみたい(笑)。
悪魔くんは、人間に近づいたのかな?
おいしそうにお魚をたべている
にゃご、を眺めていると
お魚も、いいかな?
なんて、思うめぐは
どっちかと言うと、お魚って
そんなに好みでもなかったりして。
なので、朝はだいたいパンとか、クロワッサンとか。
マカロニとか。
軽いものが好きだった。
この日も、ミルクティーとサラダ、とか
そんな感じで。
おかあさんが「もういいの?」ってくらいに
少しだったりして。
きょうは、やっぱり特別に
軽い感じだったのは
放課後の図書館の事が、気になって。
「いってきまーす!」って、元気に
学校へおでかけ。
きょうも、お空がきれい。
学校の授業も、なんとなくそわそわ(笑)。
「こんな時、時間旅行が出来たらいいなぁ」
なんて、思ったりもする
めぐだった。
そんな訳で、学校が終わるまでの
出来事は、あんまり覚えてない
めぐだったりする(笑)。
そういうもので、何か気になる事があると
こころのイメージが、それで
一杯だったりするので
他の事が、目に入らなかったりする。
ちょっと、危ないから
そういう時は、気掛かりを
早く無くせばよくって。
めぐの場合、学校のコンピュータで
テストしてみれば良かったのだけど。
めぐの希望に沿うように
午後2時。
きょうは、短縮授業だった!(笑)
忘れてたけど、ちょっとでも早く
図書館に行ける、そう思うと
わくわくして。
赤いお屋根のスクールバスが待てなくて
ポプラ並木を駆け降りていっちゃうめぐ、だったけど
途中でバスが追いついて、
乗っけてもらったりした(笑)。
「よくできでるねぇ」
図書館の検索コンピューターに
ソフトウェアを入れたら、司書主任さんや
みんな、司書さんが
喜んでくれた。
「貸出コンピューターも作ってみて」
なんて、主任さんが言うので
それは、さすがに無理、って
笑って、ご辞退した。でも、
主任さんは「司書資格の他に、こういうことができると、就職に有利だね。」と、希望のある事を言ってくれて。
ずっと先だと思ってた、司書の仕事の事、とかを
めぐはイメージして、楽しくなった。
・・・・いつかは、ハイスクールも
卒業するんだな・・・
なんて、思ったりもした。
天使さんは、もちろん神様のお使いだから
にゃごが、どんな感じで
人命救助(にゃん救助かしら笑)を
したか、は
理解していた。
特別、いい行いをして
神様に認めてもらおうとか。
そんなつもりでもなくて。
ただ、魔力のある者たちとの
毎日の争いの中で
荒んでいた気持ちが、ひとりになってから
生き物らしい感情を取り戻した。
そんな感じ、なのではないかと
天使さんは、感じ取っていた。
例によって、にゃごは寡黙である。
そのあたりは、悪魔くんだった頃からと
あまりかわらない。
でも、今のにゃごは思う。
悪魔になる前、人間界で
荒んでいた頃も、べつに
好んで悪いことをしていた訳じゃなかった。
周りがそうしていたから、そうしてた
だけ、だった。
環境は大切である。
いま、にゃごは
転生してよかったと思っている。
魔力はなくなったが、元々
悪魔になりたかった訳でもない。
いま、にゃごは幸せだ。
それだけでも、天使さんに出会えて
良かったと思っている。
天使さんを大切に思うから、幸せになれた。
でも・・・・・
天使さんは、このまま
人間界に居続ける事はできないから
そのことは、にゃごにも感じ取れていた。
天使として、人間界に居る事ができたのは
めぐ、の命を助ける為だったし
自らも、癒しを得る必要があったから。
でも、それが済んで。
いまは、にゃご、と共に
いつか、転生して
天国へ昇れる日を待っている。
そうして、にゃごの幸せと共に
生きていく事が、天使さんの願い。
でもあったのだけれども。
そのために、めぐが
魔法使いの能力を封印したのを知り
天使さんは、ちょっと、それが
気になってしまった。
ひとを幸せにするのが、天使。
なのに、ひとに気遣いをしてもらっているのは・・・・・
ちょっと、天使さんはそれを恥じた。
「めぐさんにも、しあわせになっていただきたいのです・・・・」
もちろん、にゃごは猫なので
普段、そんなに深く考えてはいない(笑)。
ごはんが好みでなければ、文句を言うし(笑)。
雨の日には、あそびに行きたくて
柱をがりがり、爪とぎしたりする(笑)。
そのたびに、おばあちゃんが
にこにこして、にゃごを愛でてくれるので
それが、とってもうれしいにゃごだった。
思えば、悪魔になる前、人間で
生まれたばかりの頃、そんな触れ合いが欲しかったような
そんな気もするのだけど。
長い時を経て、ようやくそれに
出会えた。
そんな気もする。
「なご」
「おや、ごきげんね、にゃご」
おばあちゃんとにゃごの会話は
そんなふうに、続く。
よく言われるように、猫は
人間より早く年を取る。
でもそれは、人間
から見ると、そう見えるだけ。
にゃごも、もちろん猫だから
スピード感のある毎日を過ごしていた。
それでも、まだまだ子猫。
はじめて、お散歩をした時は
ちょっと、感動ものだったり。
おうちの縁側から、外に出るにしても
ステップがなにしろ、猫にとっては
大きいので、こまったりして。
最初は、おばあちゃんに
下ろしてもらって。
お庭を、ちょこちょこ歩いたくらい。
それでも、十分冒険だった。
お庭の石も、畑のトマトやきゅうりも
猫から見ると、大木や岩のようだし
しなやかな脚に、土の感触は
ちょっと、湿っていて。
にゃご。
ニガテだったりした。
きれいな芝生の上だと、足元が
爽やかだったけど。
あしのうらに土が付くの、ちょっと嫌だったりもした。
なぜか、おばあちゃんは
外に行く事をふつうに許してくれたので
お散歩そのものは、好きだった。
庭石を伝って、土に触れないように行き、ジャンプして木に昇ったり。
木登りも、楽しかった。
このあたりには、他に猫はいないらしくて
のんびりとお散歩ができた。
お空で、鳥の声が聞こえても
にゃご、が狩人でないと思うのか
のどかなさえずりを、聞かせてくれるのだった。
草原を見下ろしながら、梢でお昼寝するのは
とても、いい気持ちだった。
お昼頃になると、おばあちゃんが
呼ぶ声が聞こえて。
「にゃごー、ごはんよー」
その声は、どこかめぐの声にも似てる。
のどかな響きだった。
時々、草原の向こうにまで
お散歩する事もあったりもした。
にゃごは、キジトラだけど
茶色で、ちょっと本当に虎みたい。
おおきくなったら、虎になるのかしら?
なんて、めぐは面白い事を想像するけれど
もちろん、そんなことはない(笑)。
時々、草原で
美人猫さん(笑)に出くわす事もあった。
けれども、にゃごは
どういう訳か、あんまり
美人猫さんが、それほど気にならなかった。
当然かもしれないけれど、にゃごは
天使さんと一緒で、しあわせだった。
それで、にこやかに
美人猫さんにご挨拶。
にゃごの、しあわせそうな感じは
美人猫さんにも伝わるのか
美人猫さんも「ごきげんよう」などと
ご挨拶を交わすのだった。
風爽やかな季節、猫たちには
恋の季節であったかもしれない。
猫は、人間と違って
恋の季節感があるから
その時期は、猫たちにとって
楽しい時期だった。
お祭り、みたいなものかもしれなかったり。
そういうわけで、パートナーのいない
美人猫さんなどは、紳士たちからの
お誘いが、ひっきりなしだったりする。
それで・・・・・ある時。
楡の梢でのんびりしていたにゃご、に
いつもの美人猫さんは、声を掛けた。
「そっちへ行っていいかしら?」
断るのも悪いし、と
にゃごは、無言でうなづいた。
しなやかな細い足首で、美人猫さんは
にゃごの隣に訪れた。
近くで見ると、確かに美人だな、と
にゃごは思ったりした。(笑)。
彼は、もと人間、そのあと
悪魔になってから、動物界に転生した、と言う変わり種である。
猫や犬には、そういう者が多く、明妙に人間性のある犬(笑)と猫が
多いのは、そんな背景がある。
反対に、人間界でも人間性がない、攻撃ばかりする人、とかは
やがて、転生したら
人間ではなくなってしまうひと、だたりもする。
それで、転生した者が虫になって
時々、大発生したりするのは
悪い人が、たくさん転生した後、
だったり。(笑)。
そんなところから、にゃごから見る
美人猫さんは、ふつうの猫ちゃん
みたいに見えた。
生き物として、ありのままに生きるが故に愛らしい。
そんな、猫らしさを
にゃごは、好ましく思った。
美人猫さんは、でも猫だから
猫なりの生を生きている。
それだけに、にゃご、が
美人である自分に好意を抱かない事に
不審を思う(笑)。
美人ではあっても、そういう
自尊心はあったりする(笑)。
猫ゆえの不幸は、文化に乏しい事である。
人間ならば、人間性に訴える事も
できる。
人柄がよくて、好まれる人、とか。
もちろん、人間の美人は
人柄が良い事が条件である。
社会の中で、やがて家庭を持つ
のだから、それは当然であった。
上辺だけきれいにしても、それは
人間性が伴っていなければ
狐つき、などと言われて
いつか、狐に転生するであろう事を
見抜かれて、社会から逸脱するのであった。
人間界もまともだ(笑)。
美人猫さんは、そんな訳で
木訥としているにゃごが、文字通り
木の上でのんびりしているので
その事に多少の焦燥を覚えたり。
美人ゆえの不幸である(笑)。
「いつも、のんびりしてるのね」と
美人猫さんは、話掛ける。
いつも、自分から
話し掛けた事などなかった。
美人故、回りが
大切にしてくれたから、である。
なので、たどたどしく
話し掛け、その不安を
ときめき、とおぼえる
猫ちゃんは、それが誤解であったとしても
恋、に堕ちてしまったりするのも
それはそれで、恋は楽しいものである。
猫の恋は、人間よりずっと
シンプルである。
それは、家族制度や租税、などと言う
面倒なものがないせいもある。
人間界でも、そういうものがない
社会は、自由で明るいのと同じ、である。
人として
楽しく生きるなら、経済的困窮は
厭わない、そういう生き方もあったりするように。
イタリアの猫は、そうすると
自由で至上なのだろうか?
などと、にゃごが思っている訳では、
もちろんない
(笑)。
にゃごの心には、天使さんが居るので
美人猫さんが、猫として
魅力的であったとしても
それは、やはり
満ち足りたしあわせ、と
競合するものでもなかった。
生き物としての制度から自由な
天使さんの愛、は
やはり至上なのであったり。
それは、美人猫さんにとっては
やや不幸な事、でもあった。
シンプルな猫の恋、それとは異なる
にゃご、の恋に
強く惹かれたちもした。
美人猫としての自尊心が、後押ししているのも事実である。
シンプルな猫の恋心に沿って
にゃごに寄り添う美人猫さんは
片思いのような、甘美な感覚を
初めて味わった。
それは、美人猫さんにとって
高貴な感覚であった。