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2人とも、お礼の言葉がハモっていたところからも、仲の良さがうかがえた。渡された冊子を見ると、『宿泊オリエンテーションのしおり』と書かれていた。冊子を配り終えた先生は、声高らかに指示をした。
「今から、このオリエンテーションの部屋を共にするグループを作ってもらう、一グループの人数は人グループ五人で頼む。じゃあ、この時間からは私語も構わないから、各々作るように!」
先生の指示を聞くなり、それぞれがグループを作っていく。皆、自分から話しかけるなどして、積極的に歩み寄っている中、理名と椎菜、麗眞はその流れからは取り残されていた。それが理名からしたら意外というほかなかった。麗眞や椎菜は、人見知りをしない人種だと勝手に思っていたのだ。よく見ると、麗眞と椎菜はそれぞれ、教室の生徒たちを見回している。誰かを探しているのだろうか。でも、探しているなんて、いったい誰を?
そんな疑問が湧いた刹那、ドアが開かれた。姿を見せたのは、黒髪を後頭部で束ねた女の子と、顎付近までの短めの黒髪の女の子だった。ロングヘアの子が、短い髪の子と肩を組んでいる。短い髪の子は、顔色が優れなかった。森田先生が、目を白黒させていた。
「柳下じゃないか。もう具合はいいのか?」
「はい……」
大丈夫と言いながらも何度か咳き込んでいるところを見ると、抱えているのは喘息という名の爆弾だと容易に分かった。吸入器で凌いでいるようだが、それに頼りきりだと気道が敏感になり、発作を起こしやすくなる。すると気道がより狭くなり、また発作を起こす。負のスパイラルから抜け出せなくなってしまう。このことは、彼女と仲良くなってから教えることにしよう。
「本当に大丈夫かは怪しいところだが、まあ、いいだろう。早くグループになれ。ちょうど三人のところがあるから、そこに入ればちょうどいいな」
先生の言葉を聞くなり、二人の女の子は真っ直ぐに理名たちのところにやってきた。
「柳下 碧、っていいます。よろしく……」
身長は160センチもないと思われるボブヘアの子が名前を名乗る。隣の麗眞と椎菜はにこやかに笑顔を返す。
「私は、浅川 深月。よろしくね」
160センチほどだろうと思われる浅川深月という名の女の子。彼女は椎菜と麗眞は見ずに、視線を真っ直ぐ理名に向けていた。何で自分ばかりを見つめてくるのだろう。実はレズとか、ないよね? そう思いつつも、名前だけを名乗った。自分の横にいるカップルのようには愛想よく出来ないからだった。
「岩崎 理名。よろしく」
彼女は、麗眞と椎菜に久しぶり、と話しかけている。どうやら知り合いらしい。会話を邪魔してはならないと、理名はしおりに目を通すことにした。そして、グループが出来たことを知った先生は、明日の予定を話しながら、販売される教科書のリストを配る。明日は教科書販売と、健康診断らしい。
「ちゃんと来るように! 受けなかったものはオリエンテーションに参加できないからな! では、また明日!」
長いホームルームは終わった。各々が教室に出て帰路についていく。椎菜と麗眞は、理名にまた明日と声を掛けてから帰っていく。二人で仲良く帰るのだろう。それに混じって理名も家に帰ろうと、スクールバッグを右肩にかける。すると、後ろから左肩を軽いタッチで叩かれた。先ほど、自己紹介をしてくれた浅川深月が立っていた。
「ね、一緒に帰ろうよ! 理名ちゃんのこと、もっと知りたいしさ!」
にこやかにそう話しかけてくる女の子。理名は、別にその女の子のことに興味なんて微塵もなかった。ただ、宿泊オリエンテーションを無難に過ごせればそれでいいのだ。
「駅までなら、一緒に帰ってもいいけど。でも、私と帰ったところで楽しくはないと思うけどね」
それだけを言って、理名は追いすがる初対面の二人を無視して、教室から出た。昇降口で靴を履き替えたところで、携帯電話の電源を入れる。メールが一件来ていた。件名は「理名へ」となっている。たったそれだけのことで、父からのメールだと分かってしまうことが悔しかった。
『今日は残業だから、遅くなる。先に帰ってご飯を食べていてくれ。 父』
絵文字もない、ただの文字の羅列がそこにはあった。この残業の後に何をするのかまでは明示されていないことにも不信の芽は成長するばかりであった。
「理名ちゃん? 顔、怖いよ。誰かからメール? 別れた元カレとか?」
突然声が掛けられたことに、理名は肩を震わせた。その主は、浅川深月であった。
「ありえないから。私に彼氏とかいたことないし。大体、私を何だと思ってるわけ? 気安く話しかけないでほしいんだけど」
理名の塩対応ですらない、“氷”対応に、深月にくっついてきた碧がオロオロしている。
「愛想はよくないけど、磨けは光るダイヤの原石、って思ったよ。きっかけがあれば変わる子、とも思ってるんだけどね」
初対面なのに、ほとんど話したことがないはずなのに、深月は理名にそう言ってのけた。その目は真剣そのもので、嘘を言っているようには到底思えなかった。父に分かったと一言だけメールを打ってから、言った。
「気が変わった。もう少し、貴女たち二人と話してもいいかも。父が帰り遅いから、せっかくだし、一緒に外食とか、どう?」
深月と碧は、パチパチと二、三度瞬きすると、豊かな表情筋を使って口角を上に上げた。
「そうと決まれば、行こうか!」
ローファーを履いた深月と碧は、理名の手を引いて、学園の門を通り、放課後の学生でにぎわう街に繰り出した。到着したのは、学園の最寄り駅近くのファミリーレストラン。喘息持ちの碧のために、入口で待ってでも禁煙席を選択した。メニューを見て、各々が食べたいものを決めていく。理名は親子丼、深月はハンバーグ、碧はドリアをそれぞれオーダーして、人数分のドリンクバーも注文した。理名はアイスコーヒー、深月はアイスカフェラテ、碧はホットアールグレイティーをそれぞれ持ってきた。
「さて、ドリンクも持ってきたし。理名ちゃんには、さっきのメールの相手が誰なのか聞かないとね? 気になるし」
深月と碧の好奇な視線に耐え切れず、理名は父との確執について、ゆっくりと話していった。
母がガンで亡くなったこと、父が母の仏壇に手を合わせているところを一度も見たことがないこと。最近の父の帰りが遅いこと、父は好まない派手なネクタイや甘い香水が匂うこと。父が「新しい母」を探しているのではと疑念を持っていること。父とは最近、最低限の会話しかしないこと。全てを話した。
自分たちのテーブルだけ、重苦しい沈黙が支配していた。
「バイアスがかかって思考が凝り固まってるのね、理名ちゃん。本当に、新しい母親探しをしているのかな? 理名ちゃんのお父さん。もしかしたら、扱いが分からない年頃の娘に戸惑って、接し方を同僚とか部下に飲みの席で聞いてるのかもしれないじゃない。思い込みはよくないよ? 一度、話し合いの機会を持つべきだよ」
深月が理名を諭した。
「そうは言っても、今更話すことなんてないし」
そう吐き捨てた理名に、今度は碧が口を挟んだ。
「だからって、面倒なことから逃げるの? それじゃ、何にも変わらないじゃない! 学校の話とか、雑談から打ち解けてみるとか、少しは歩み寄ってみょうよ。心配だから、メール送ってきたんだよ、そうじゃなかったら、メールなんて送らないで好きにさせておくよ」
そこで言葉を切った碧は、ゴホゴホと咳き込んだ。言わんこっちゃない、とばかりに深月がドリンクバースペースで水を汲み、碧に手渡す。
「ごめん。発作、大丈夫? 私のせいだね。……二人が真剣に、ドン引きしないで話を聞いてアドバイスまでくれたから、少し話してみる。ありがとう」
理名の向かいに座る二人は、一瞬目を丸くさせた後、目を細めて笑った。