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カカオとキャンディー(仮)  作者: 櫻葉きぃ
第一章
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3

 父はもう、亡き母、鞠子のことは「過去の人」として忘れることにしてしまったのだろうか。そうだとしたなら、理名はこの父と縁を切ることも考えていた。理名にとっては、父より母が大事であり、慕うべき存在だったのだ。その母を忘れるなんて、考えられなかった。思案したのち、理名はスクールバッグを掴んで、階段を昇ると、自室ではないほうの部屋に入った。ここには、母の仏壇が設置されているのだ。仏壇の前に膝をつく。

「お母さん。理名です。ただいま。無事、入学式は終わったよ。友達なんてまだいないけど、自分なりに高校生を謳歌したい。空の上から見守っていてくれると励みになるから、よろしくね」

心の中で、母に向けてのメッセージを告げた後、五分ほど手を合わせた。手を合わせていると、どうしても涙が溢れてきた。いくら医学部進学率が高い高校といっても、それ相応の努力をしなければ、医療の道には進むことはできない。母が生きていてくれたのなら。いろいろなアドバイスもしてもらえたかもしれないのに。そもそも岩崎 理名という人間が、医療に携わることは最善の選択なのだろうか。不安なこと、心配なこと。現実にこの制服を母にお披露目出来なかったこと。不安と哀愁の波が心の中に沸き立った。自然に、目から雫が溢れてきた。その衝動を我慢することなく、本能に従って大声で泣くことで抑えることにする。次から次へと溢れてくるそれを拭うこともせず、ひたすらに声を上げて仏壇の前で泣いた。


 それからどれほどの時間が経ったのか、理名には分からなかった。まだ四月だ。茜色の空が暗くなる時間も当然、早い。身体を起こして目を擦ると、母の仏壇が見えた。理名自身が「自分はそのまま泣き疲れて眠ってしまった」ということを悟るまで、そう時間はかからなかった。部屋の時計を見ると、もう二〇時をさしていた。新品の制服をシワだらけにしては困ると、急いで自室に戻り、制服を脱ぎ捨ててTシャツと中学校のジャージの下に着替えた。制服は、ゆっくりとした手つきでハンガーに掛け、クローゼットに仕舞った。明日も制服を着て学校に行かなければならないのだから、制服くらいは大事に扱うべきだ、と理名は思っていた。着替えた後は、ばふん、と音を立ててベッドに寝転がった。カーペットで眠っていたため、ベッドのふかふかは心地よかった。思い出すのは、入学式の後に話しかけてきた男女二人のことだった。

 理名が人と距離を置いているのは何となく雰囲気で分かったはずなのだ。いきなりパーソナルスペースなんておかまいなしに、屈託のない笑顔で話しかけてきた茶髪ロングの女子。その笑顔に危うくペースを乱されるところだった。同時に、どこか上から目線で人を見下したような口調の男子の顔も脳裏に蘇った。一番思い出したくない顔のはずなのに、なぜ思い出すのだろう。気味が悪い。何より許せないのは幼なじみ女子には態度を変えていたことだ。人によって態度を変える人は信用ならない。そして、なるべくなら関わりたくないタイプだ。そこまで考えて、何度か首を横に振る。いけないいけない。先入観で人を判断してはいけない。母からそう教わったのだ。そうは言っても、あの後も話しかけられることのないように理名は目線を合わせないようにして、スタスタと教室から出てしまった。だから、ゆっくりその男子と話したことはないままだ。あの数秒で人間性を掴めるはずがなかった。明日、勇気を出して話しかけてみよう。そう心に決めて、ベッドから降りる。

 冷蔵庫を漁り野菜炒め用パックが入っていたため、適当にフライパンに放り込んで調理した。そして、汁物が欲しくなったため、コーンスープを作り、カトウのご飯パックをレンジに投入した。自分一人のために炊飯器でご飯を炊くのは忍びなかった。

 一人の食事は早く済んだ。食べ終わると、お風呂に湯を張りにバスルームに向かった。お湯が溜まるまで時間を持て余した。スクールバッグに詰めるものは今日と同じでいいはずだ。体育館に移動する間に貴重品がどうかなっては困るから、トートバッグでも入れておくか、と思い、鞄に詰める。しかし、そんなものは不必要だったことを翌日になって知ることになるなんてこの時は思っていなかった。翌日の用意も終わって、メイクポーチだけは机に置いたところで、パジャマ代わりのジャージを持ってバスルームに向かった。

 明日はどんな一日になるのだろう。そんなことを想像しながら湯船に浸かり、一日の疲れを癒した。洗髪した後の髪を乾かすのも、10分あれば終わる。ショートヘアは楽だ。自分が夕食時に使用した食器を洗って食器乾燥機に放り込んでから、冷蔵庫内のミネラルウォーターを飲み干した。時刻は二十三時。ちょうどいい頃合いだ。自室に戻ってベッドに潜り込み、深い眠りについた。


 翌朝、けたたましい目覚まし時計の音で目が覚めた。時刻は7時になっている。眠い目を擦りながらリビングに降りる。スーツを着たままの父が、涎を垂らしながらソファで爆睡していた。だらしがない父だ。仕事はデキるのに。まぁ、父親なんてどこもそんなものか。軽蔑に近い眼差しを父に向けながら洗面所に向かった。炊飯器を開けると、立ち上る湯気と共に白い米粒がびっしりと詰まっていた。ご飯だけは炊いておいてくれたらしい。白米を器に盛り、味噌汁だけは手早く作ってそれらを胃に流し込む。終わると、自室に籠ってアイシャドーとアイライン、マスカラを使ってアイメイクを施す。昨日の夕方、泣き疲れて眠ったせいか、肌のコンディションもメイクののりも最悪だ。けれどアイメイクだけをすれば、眼鏡でごまかせる。無理やり化粧をのせ、制服のブレザーと鞄を手に持ち、ローファーの踵をつぶしたまま履いて家を出た。

 電車に乗っている最中、父親にメールを送る。

『起きろ! 仕事でしょ! 遅刻しても私に責任はないからね。このメールが証拠』

 というそっけないものだったが、送らないで文句を言われるよりはマシかと、送信ボタンを押した。そんなことをしているうちに、車内に車掌に低いアナウンスが響いた。

『まもなく、正瞭学園前、正瞭学園前です。お降りの際は、足元に十分お気をつけになり、電車から降りましたら、黄色い線の内側をお歩きください。誠に恐れ入りますが、ドア付近にお立ちのお客様は、一度ホームにお降り頂き、降りるお客様を先にお通しください』

 降りる人波に誘導されるようにつり革から手を放して降りる。車内でブレザーは着ていたため、鞄を持って行かれないように気をつけながらホームに降り立った。階段を昇り、改札を出ると、駅ナカのパン屋やスーパーを横目に、階段を降りる。放課後には活気づいている店も、今はまだ朝だからか、眠っている。商店街を抜けて勾配のきつい坂を上ると、ようやく学校の敷地が見えてきた。

 昇降口で靴を履き替えて教室のドアを開ける。中にはまだ人っ子一人いなかった。教室の時計を見ると、まだ八時を少し過ぎた頃だ。8時45分までには着いている必要がある。そうでないと遅刻になるのだ。そろそろ、誰か来てもいい頃だ。そんなことを思っていると、教室のドアが横に開いた。ドアに目線を移すと、入ってきた人物と目線がぶつかった。あのいけ好かない男子だ。確か、麗眞とかいう名前だった。名前までカッコいいのも癪に障った。

「早いのな」

 朝の挨拶の定番「おはよう」ではなく、第一声がそれだったことに拍子抜けしながら、何とか理名も言葉を返した。

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