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カカオとキャンディー(仮)  作者: 櫻葉きぃ
第一章
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 私立正瞭賢高等学園(しりつせいりょうけんこうとうがくえん)。グラウンドにはピンク色の花が辺り一面に舞っている。まるで新入生の入学を祝っているかのようだった。岩崎(いわさき) 理名(りな)は、入学式が執り行われている体育館の中で、物思いに耽っていた。ここに集まる多くの生徒の目には希望が溢れている。その中の一人がぼーっとしていようが、気にかける者はいないはずだ。同級生であるらしい男の子が壇上に上がって新入生代表の言葉を述べているのにも気づかぬままであった。理名は、薄紅が舞う窓外をぼんやりと眺める。思い出すのは、丁度今の時期に亡くなった母親のことだ。


 それは、理名が中学三年生に進級した春のことだった。まだ桜前線が関東まで来ておらず、桜の花は開花していなかった。その光景がもの寂しかったことを、理名はぼんやりと覚えている。始業式を終えて帰宅しようと、昇降口の下駄箱に手を伸ばした時である。

「三年四組、岩崎理名さんよね? 今、病院から連絡があって、お母さんが……岩崎 鞠子(いわさきまりこ)さんが、亡くなったって……!」

 名前も知らない先生がそう言ったのを聞いて、身体の震えが止まらなくなった。目の前の景色が不気味に歪んだような気がして、嘔気をもよおしそうになるのを何とか堪える。乱暴に上靴を下駄箱に放り込み、紐さえも結ばないままスニーカーを履いて、校門前に停まっているタクシーまで走った。わざわざタクシーなんて呼ばなくても走って行ったのに、と心の中で毒づいた。

「お嬢ちゃん、どうしたの? 気分でも悪いのかね。顔色が悪いよ、飴でもあげようか」

 話しかけてくれるタクシーの運転手の声なんて、耳を通り過ぎていってしまっていた。父から貰った昼食代の余りの千円札を運転手に放るように渡した。

「お釣り、いらないから」


 それだけを何とか呟いた理名は、流想医科大学病院(るそういかだいがくびょういん)の自動ドアを息切れしながらくぐった。母の病室への行き方なら、足が勝手に動くぐらいに身体が覚えている。485のナンバーと「岩崎 鞠子」の文字を確認せずとも分かった。父親のすすり泣きが、外にも漏れているからだ。そっとドアを開けると、父の泣き濡れた顔が真っ先に目に飛び込んできた。視線を移すと、母の顔には白い布が掛けられていた。それをそっと捲ると、母は、まるで眠っているかのようだった。目はしっかり閉じられている。今にも目を開けて、「理名」と声を掛けてくれそうな気がした。母は、ステージ四の子宮頸がんで、余命は半年と言われていた。高校受験の頃まで、母は生きていてくれるものだと思っていた。母が抗がん剤の副作用で苦しんでいるときも、横で見守ることしか出来なかった非力な自分を思い出す。それが悔しくてなのか、母の死が哀しいからなのか。あるいは両方からなのかはわからないままだ。ただ、瞳からとめどなく涙が溢れてきたのを、あれから一年が経った今でも鮮明に覚えている。


 ぴゅう、と吹いてきた春相応の、まだ少しだけ冷たさの残る風で、回想は止まった。気付けば、周りの人は皆、壇上の人を見て拍手をしている。よく見ると、そこにいるのはPTA会長とやらだ。顔すらはっきり見ていない、同級生の男の子の出番はもう終わっていたようだ。そして、今日入学したばかりの新入生が歌えるはずのない校歌をそれっぽく口ずさんでから閉会の辞が長ったらしく語られた。壇上の髪が後退寸前の教頭先生とやらは、ここのパイプ椅子に座っている生徒と保護者の突き刺さるような視線に気付いているのだろうか。絶対に気付いているはずがない。あるいは、素知らぬふりをしているのか。きっとそうだ。そうに違いない。でなければ、こんなに長々と話せるはずがないのだから。教頭がゆっくりとした足取りで壇上から降りた後、終了のアナウンスがあった。入学式はやっと終わった。


 廊下が混雑するので、一年一組から順に教室に移動するように言われる。待つ時間がもどかしい。理名が所属するのは四組だからまだ、このパイプ椅子に座っていなければならないのだ。前を見ても、後ろを見ても、左右を見ても、知らない人だらけだ。小中学校時代は極力、人と関わることを避ける日々だった。高校では、さすがにそうはいかないことは分かっている。しかし、積極的に「どこの中学校?」などと笑顔を張り付けて話しかける気にはなれない。そんな自分を想像すると吐き気がするくらいだ。そんな愛想のよさとコミュニケーション力は、あいにく持ち合わせていない。それにしても、入学式の途中で母のことを思い出してしまったからなのだろう。その当時のことがまだ脳内にフラッシュバックする。母の同僚で医師の女性がずっと理名の傍にいてくれたこと、その日は何も手につかずに、病院のレストランで夕飯を済ませたこと。かつ丼を注文したが、母の味といやがおうでも比べてしまい、箸がなかなか進まなかったこと。いろいろな気持ちがこみあげてきて、目の奥が熱くなった。これ以上はまずい。でも、少し涙がこぼれたくらいなら、怪しまれても「目が痛い」で誤魔化すことは可能だ。そんなことを思った刹那、マイク越しに教頭の声がした。

「一年四組の生徒は、教室に向かってください」

 行かなければならない。いつまでも、過去に浸っている時間はないのだ。理名がそう思ったところで、そう簡単に記憶は途切れてくれそうになかった。こんな時、話しかけてくれる人でもいればいいのだが、期待するだけ無駄だろう。早く教室に到着して、少し落ち着く方が賢明だろうか。そう考えた。他の生徒が少しでも友達を作ろうと話しかけている光景には目もくれず、スタスタと早足で歩いた。教室に入ると、黒板には「入学式おめでとう」赤、青、黄色のチョークを使って書かれていた。ご丁寧に雲のような枠で文字が囲んである。普通の女子ならば、センスがいいなどと思うところなのだろう。しかし、理名はこんなものを今日入学した一年生のクラスの黒板に書いた人の苦労を慮った。さぞかし、労力を使ったことだろう。その脇に、紙が貼られている。出席番号が各々に割り振られた名簿と、座席表だった。番号順に座れということらしい。

窓側の三番目の席に腰を下ろし、窓から見える景色に目をやる。ひらひらと桜が舞っている。この桜は、天上にいる母が風でも吹かせているせいで散っているのか、などと考えてしまう。こんな奇想天外なことを考えてしまうあたり、脳が疲れているようだ。

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