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エピローグ

それから秋広と梨夏がどうなったか――


結論から言えば二人はなんやかんやあって付き合い始めた。

正しくは梨夏の熱烈なアタックにほだされて、秋広が白旗を上げた。


なにせ梨夏は毎週末にほぼ必ず家へと押しかけてきたのだ。


どれだけ追い払っても決して諦めない彼女に、はじめは頑なだった秋広もやがては陥落してしまった。


意外にも小杉部長が秋広の事を歓迎したのも大きかった。


部長は秋広の生真面目で仕事に真摯な所を評価しており、貧乏籤を引きやすいタイプである事も十二分に承知していた。


梨夏の家を訪れた日、烈火のごとく怒られることを覚悟していた秋広は、逆に『うちのワガママ娘をよろしく頼むと』と頭を下げられた事に困惑した。


外堀を埋められて退路を失った秋広は、断腸の思いで梨夏との交際を受け入れた。


とはいえ、その関係が悪かったわけではない。

むしろ良好であったとすら言える。


秋広は梨夏を決して悪く思っていなかったし、また彼女自身は言うに及ばず。


年齢という壁はあるものの――その事に梨夏は『どうせ十年ぐらいすれば誤差になるよ』という大物感溢れる事を言い放ち、秋広を納得というよりも呆れさせた――二人は緩やかな速度で、仲睦まじく関係を築いていった。


そうして彼女と付き合い始めておよそ一年。

秋広の三十路の誕生日を大きく過ぎ、梨夏が高校を卒業して少しした頃。

秋広は梨夏に連れられ、とある場所へと赴いていた。


そこはウェディングの記念撮影――いわゆるフォトウェディング――が行えるというスタジオだった。


「ねえ、おじさーん。見て見てっ」


タキシード姿で落ち着きなく椅子に腰かけていた秋広はその声に顔を上げる。

視線の先には長い金髪に整った顔立ち、そして豊満なプロポーションを持つ美しい女性――梨夏の姿があった。


高校を卒業して今年から大学生となる彼女は、かわいらしい少女から美しい女性へと変貌を遂げつつあった。


そんな誰もが目を見張るような美女はいま、レースの刺繍がふんだんにあしらわれたAラインの純白のドレスをまとい、その身を更に美しく飾りたてている。


秋広はその姿に思わず声を失った。


「ねえねえ、似合ってる? 似合ってる?」


絶世の美女の口から、その見た目とは裏腹な軽い口調が飛んでくる。

秋広はその言葉に我を取り戻し、小さく首肯した。


「あぁ、似合ってるよ」

「さっきのドレスとこっちだと、どっちのがいいと思う?」


そう問われて秋広は少しだけ考え込んだ。


「……甲乙つけがたいけど、今のドレスの方かな」

「そっか、ならこれにしよっかな」


たれ目がちな眼差しを嬉しそうに細め、梨夏はしきりに頷いている。


「いいのか、それで?」

「うん、私としてはどっちもいいし。おじさんの好きな方にする」


そう言って彼女はドレスが決まったことをスタッフへと伝える。

スタッフは頷き、スタジオの奥で撮影の準備を開始していった。


その様子に目を向けながら、秋広は梨夏へ問いかけた。


「なぁ、梨夏」

「んー? なあに、おじさん」


呼びかけに応じながら、梨夏はドレスの裾を踏まないように慎重な足取りで秋広の元へと近寄ってくる。

秋広は立ち上がり、着なれぬドレスに苦労する彼女に手を貸した。


そして何度目か分からぬ問いかけを投げかけた。


「本当に、結婚式はしないでいいのか?」


二人は結婚式は挙げない予定だった。

てっきり式をするものだとばかり考えていた秋広は盛大な肩すかしを食らってしまった。


三十を超えて趣味らしい趣味を持たない秋広にはそれなりの貯蓄がある。

あまりに大規模なものだと難しいが、こじんまりとした式ならば挙げれる程度の余裕があったし、梨夏の父親である小杉部長も援助してくれると言っていた。


しかしそれを梨夏が固辞したのだった。

その梨夏の反応は、女性は結婚式をしたがるものだと思っていた秋広におおいな衝撃を与えた。


「うん。別にいいよ。ドレスは着たかったけど、式は面倒だし勿体ない」


秋広に助けられて隣に腰かけながら、梨夏は大きく頷いた。


「でも、一生に一度の事だぞ。友達とかにも見せたいんじゃないのか?」

「んー。でもそれで新居に引っ越すのが遅れるのがなぁ」


近いうちに、秋広たちは引っ越す予定を立てていた。


今の秋広が住むワンルームのアパートでは二人で住むには手狭であるため、梨夏の実家のすぐ近くに新たに家を借りる予定だった。


もしも結婚式を挙げるとすれば、当然引っ越し費用はそちらに回さざるをえなくなり、必然的には転居は後ろ倒しになってしまう。


それが分かっていたからこそ、梨夏は結婚式を挙げる事を避けていた。

年齢の割に彼女は金銭感覚がしっかりとしていた。


「もしかして、おじさんの方が結婚式したかった?」

「いや、俺の場合、呼ぶ人がいないしな……」


結婚式ともなれば普通ならば両者の親族や友人知人を呼ぶものだ。

そうすると、親族がおらず、交友関係の狭い秋広にとっては、誰を呼ぶかは頭の痛い問題だった。


一番呼びたい相手は小杉部長だが、彼は新婦の父親だ。

他に呼べる相手などさほど親しくない会社の同僚ぐらいしかいなくなってしまう。


新郎と新婦で呼べる人数に大きな偏りがある式ほど面倒くさいものはない。


「なら問題ないよ。記念写真だけ取れれば私は満足だから」


秋広はじっと梨夏を見つめた。

彼女の様子からは嘘をついている気配は全く感じられない。

それを認め、秋広は素直に矛先を収めた。


「まあ、梨夏がそれでいいなら、いいけど」

「うん、いいのいいの。それに私はもういい物を貰ってるし」

「いいもの?」

「こ・れ」


首を傾げる秋広に、梨夏は左手の薬指を掲げて見せた。

そこには先日二人で選んだ、真新しい結婚指輪が燦然と輝き放っている。


「あぁ……指輪か」

「そそ」


秋広は無意識の左手にはめた結婚指輪を弄んでいた。

普段アクセサリーをつける習慣のない秋広は、未だにその指輪をつける感覚に慣れていなかったが、その違和感こそが梨夏との結婚を強く認識させた。


「えへへ。これ見てると嬉しくてニヤニヤしちゃう」


純白の花嫁衣装を身にまとい、心の底から嬉しそうなその姿は、傍目からでもまさに幸せ一杯だという事が伝わってきて、見ている秋広の方が恥ずかしくなるぐらいだ。


先ほどから撮影の準備をしているスタッフたちも暖かい視線を二人へと向けている。


「おじさんと結婚出来るなんて夢みたい」

「それはこっちのセリフだよ」


少し前まで、秋広は天涯孤独だった。

このまま一人で人生を終えると思っていた。

しかし今はこうして伴侶を得て、共に笑いあっている。


「まさか梨夏と結婚するなんて、思ってもいなかったよ」

「もしかしておじさん、私だと不満?」

「逆だよ逆。本当に俺でよかったのか?」


整った容姿に人当りのいい性格。そして釣り合わない年齢。

梨夏と秋広はお世辞にもお似合いのカップルとは言い難い。


「俺よりいい男なんて他にもいくらでもいるぞ」

「そっかな。おじさんだっていい男だよ?」

「……それはどうなんだろう」


それは惚れた弱みというものではないだろうか。

そう漏らす秋広に、梨夏は大げさに首を振った。


「分かってないなぁ。おじさんは。私はいい男だったからおじさんと付き合ったわけじゃないの。おじさんだから付き合ったし、結婚するの」


梨夏だって何も最初から秋広が好きだったわけではない。

その出会いは一目ぼれとはほど遠く、たまたま家を出た先で父親から聞いていた部下の人を見かけたから――あと相手が死にそうな顔をしていたから――声を掛けてみたに過ぎない。


つまり梨夏にとって秋広はただ気まぐれに話しかけた相手でしかなかった。


それが次第に会話を重ねているうちに興味を引かれ、悪くなく思うようになり、いつのまにか毎日秋広と話をすることが楽しみになっていた。


歳は離れていたけれど不思議と話があったし、妙に生真面目な所も気に入った。

顔つきは可もなく不可もなくだが、笑う顔が子供っぽい所も好きだった。


それを自覚した時、梨夏は十数年生きてきて初めて恋に落ちた。


「ね、おじさん」

「……ん?」


梨夏が秋広に肩に頭を乗せる。

ふわりと漂う甘い香りが秋広の鼻孔をくすぐった。


「私はおじさんが好き。おじさんは私の事、好きじゃない?」

「……好きじゃなかったら付き合わないし、結婚もしない」

「そっか。ならよかった」


恥かしそうに頬を染めてぶっきらぼうに呟く秋広を見て、梨夏は幸せそうに頬を緩めた。


「これから、ずっとずっと、よろしくね」

「あぁ。病める時も健やかなる時も、これからずっと一緒だ」

「うん。私も。おじさんと一緒にいる」


かなり砕けた誓いの言葉を口にしながら、梨夏が力強く抱きついてくる。

その柔らかな感触に驚いた時には、秋広の唇は彼女によって奪われていた。


「んっ……ちゅっ……」


秋広の首に両手を回し、マーキングのように体を擦りつけ、梨夏は唇を貪っていく。

唇と唇が触れ合うだけでは飽き足らず、舌を相手の口に入れ、吸い付くように唾液を啜る。


新婦の熱烈な口づけに、周囲に静かなどよめきが走る。

秋広は妙に冷静にその事を意識しながら、梨夏の身体を強く抱きしめ返した。


「ん、はぁぁ……」


やがて、梨夏の唇が離れていく。

熱い吐息を漏らしながら、彼女は頬を朱に染めていた。

秋広も負けないぐらい顔が真っ赤だ。


「えへへ……」


照れるように微笑を浮かべ、梨夏が耳元で囁く。


「初夜が楽しみだね、おじさん」

「……雰囲気が台無しだよ」


その発言が彼女なりの照れ隠しであることを理解しながら、秋広は叱るように背中を叩いた。


「子供は三人ぐらい欲しいな」

「……善処する」

「うん、頑張ってね。おじさん」


肩に頭を預けながら梨夏は秋広の事を見上げていた。

秋広はそんな彼女の艶やかな髪をゆっくりと撫でていった。

よく手入れされた細やかな髪は撫でているだけで心地よい。


「ところで、もう結婚するんだからおじさんはやめてくれないか」

「あ、そっか。そうだね。じゃあ改めて――これからよろしくね、あなた」

「あぁ、こちらこそ」

「あ、ひどい。私の事もちゃんと呼んでよ」


わざとらしく唇を尖らせる梨夏の瞳は、その言葉とは裏腹に、媚びるような艶を帯びていた。


「なんて呼ばれたいんだ?」

「ハニーとかどう?」

「……勘弁してくれ」


深い嘆息を吐く秋広に、梨夏はくすくすと笑って返した。


「ふふ、冗談だって。今まで通り梨夏でいいよ」

「そっか。じゃあ……よろしくな。梨夏」

「はい、あなた」


梨夏が笑う。つられるように秋広も笑う。


二人は何も言わずに、もう一度長い口づけを交わした。

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