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03

梨夏の告白未遂事件からおよそ半月。

それからも秋広は変わらぬ日々を過ごしていた。


朝起きて、夜遅くまで働いて、梨夏と雑談をして帰って眠りにつく。

変わったことがあるとすれば、あの時以来、たまに彼女と食事を取るようになった事ぐらいだろうか。


幸いな事にあの一件から、再び梨夏が告白してくる事はなかった。

だから二人の関係は、距離こそ縮まったものの、まったく変化していない。


秋広は梨夏を気安い話し相手として見るようにしていたし、彼女の方も少なくとも表向きはいつも通りの親しさを維持していた。


その事に内心で深い安堵を抱きながら、秋広は悩んでいた。


――このまま梨夏との関わりを続けるか、関係を断つべきか。


理性では梨夏との関係を断つべきだと分かっていた。


不純な行為や行動は一切していないが、外から見たらいかがわしく見られているのは承知しているし、一般に褒められた物ではない事も理解していた。


それは何も彼女の派手な見た目のせいばかりではない。

仮に梨夏の見た目がギャルっぽくなく至って普通だったとしても、自分はアサラーのサラリーマンで、彼女は高校生。

そんな二人の間には年齢が高い壁としてそびえている。


だからもしも梨夏の好意が本心だったとしても――むしろそうだったとしたら余計に――秋広には答えられる気がしなかった。


そこまで分かっていながらも、ずるずると関係を維持していたのは梨夏との交流を秋広自身が楽しんでいたからだ。


他愛もない雑談を交わし、笑いあい、一緒に食事をする。

ただそれだけの、至って普通のやり取りが秋広にはとても心地よかった。

きしくも過去の梨夏が冗談めいて言っていた通り、友情に年齢は関係なかった。


しかし、そのやり取りの先にあるのが恋愛だとしたら、秋広としては関係を断つしかなかった。


(梨夏にはなんて言うかな……)


本当はもっと前に決別するつもりだった。

それが出来ずに、ずるずると半月も関係を維持してしまっている自分の優柔不断さに、秋広は内省した。


オフィスで自分のパソコンに向かい合いながら、秋広は深いため息をついた。


最近の秋広はずっと悩んでいるせいで、なかなか仕事が手につかない状態だった。

それでもまだ他人と比較すれば人一倍仕事をしているわけだが、今までの自分と比較すればすっかり能率が落ちていた。


能率が落ちた状態で同じ結果を出そうとすれば時間がかかる。

つまり必然的に残業が増える。


その日も秋広は遅れを取り戻すかのように、夜遅くまで人気の少なくなったオフィスで黙々と仕事に明け暮れていた。


そんな秋広の机の上に、缶コーヒーが差し入れられた。


「木島君、お疲れ様。残業もほどほどにね」


秋広はキーボードを打つ手を止め、咄嗟に顔を上げた。

そこには見知った中年の温和な笑みがあった。


「小杉部長。お疲れ様です」


そういって秋広はわずかに腰を浮かせて頭を下げた。


小杉・淳平――秋広の上司であり、新卒の頃から色々とお世話になった人だ。


年は四十の後半。にも関わらずその見た目はそれ以上に老けてみえる。

白髪の目立つ頭髪と、垂れ目がちな目元に刻まれた皺。

まるで笑顔がすっかり皺として刻んだような顔つきは、中間管理職という立場から来る多くの心労を表していた。


そんな上司の事を、秋広は悪しからず思っていた。


人柄は温厚で、決して声を荒げる事はない。

自身が仕事が出来るのはもちろんだが、それ以上に部下を良く見て、丁寧に指導してくれる。そんな得難い上司だった。


部署を取り仕切る責任者である彼は、人一倍仕事熱心な秋広に対して仕事のいろはを教えてくれた師匠でもあったし、母親が亡くなった時にはまったく仕事が手に付かない秋広を見かねて手伝ってくれた恩人でもあった。


今まで秋広がどんなに辛い事があっても、生きる意義を見失いかけていた中でも、途中で仕事を投げ出したり辞めたりしなかったのも、ひとえにそんな上司へ恩返しがしたいという思いと、期待されているという自覚があったからだ。


「ま、コーヒーでもどうだい。少しは息抜きも必要だろう」

「ありがとうございます。頂きます」


言われて秋広は上司が差し入れてくれた缶コーヒーに口をつける。

冷たいコーヒーが喉を通り過ぎる度、火照った体と頭を覚ましてくれる。

そんな覚醒した頭が、秋広にある事を思い出させた。


「そういえば、部長。今日は私用で早退してませんでしたか?」


秋広の記憶が正しければ、今日の部長は昼過ぎぐらいに私用で退社していたはずだ。にも関わらずこうしてオフィスに居る事が不思議でならなかった。


「ああ……その、予定より早く終わったからね、戻ってきたんだ」

「そうなんですか。それはお疲れ様です」

「いやいや……大したことじゃないから。君ほどは疲れてないと思うよ」


連日のように残業を繰り返す秋広に、部長は苦笑とも微笑ともつかない曖昧な笑みを浮かべていた。


「ところで、今日も遅いのかい」


部長の何気ない一言に秋広はパソコンの時計に目を向ける。

そしてもうとっくに十一時を過ぎていた事に気が付いた。


終電まではまだ時間があるとはいえ、もうあまり余裕はなかった。とはいえ今ここで作業を止めるのはなんともキリが悪い。

出来ればある程度片をつけた状態で明日を迎えたかった。


「そうですね……もう少しだけ進めようと思います」

「そうか。仕事熱心なのは助かるが、あまり根を詰め過ぎないように。君はすぐ無理をする傾向があるが、倒れたら元も子もないからね」

「はい、気を付けます」


小言にも取れるような内容ではあったが、その言葉には労りの色があった。

その事に感謝しつつ、秋広は小さく頷いた。


「すまんね。歳を取るとつい余計な一言が増える。気を付けようと思っているんだが」

「いえ、自分を思って言ってくださっているのは分かりますので」

「はは、そんな持ち上げないでいいよ。若者にとっては年寄りの言葉なんてうるさいだけだろう」


その言葉に秋広は曖昧な笑みを返す事しか出来ない。

学生である梨夏にとってはおじさんでも、四十を過ぎた上司にとっては秋広はまだまだ若造だった。


「娘にもよく言われてたのにな……本当に歳は取りたくないものだ。そのせいで、よく怒らせてしまっていたというのに」

「お子さんがいらっしゃると大変でしょうね」


秋広は自分の親を振り返りながら本心からそう言った。


父がなくなった後の母も多くの苦労を抱えていた。

仮に自分がおらずに身一つだけの状態ならば、もっと苦労しない選択肢があったに違いない。


「……よかれと思ってやった事や言った事が裏目に出てばかりだよ。親の心子知らずなんていうけれど、子供の心もきっと親はいつまでも理解出来ないんだろうな」


部長が弱々しい苦笑を浮かべる。

子育てなどとは縁がない秋広だが、上司の顔からは多くの苦労が垣間見えた。

秋広が部長のこんな困り果てた顔を見るのは初めての事だった。


相談というか愚痴に付き合った方がいいだろうか。

しかしあまりプライベートの話に突っ込み過ぎるのも気がとがめた。


なんて声を掛ければいいか分からずに窮していると、部長がふっと表情を緩めた。


「おっと……君にとってはどうでもいい話を聞かせてしまったな」

「いえ、貴重なお話で、とても参考になります」

「はは、お世辞はいいよ。むしろすまないね、仕事の手を止めさせて――それじゃあ、僕は先に失礼するよ」

「はい、お疲れ様でした」


頭を下げる秋広に小さく頷き部長はオフィスを後にする。しようとして、入口の所で何かを思い出したかのようにこちらに振り返った。


パソコンに向き直った秋広はそんな上司の様子に首を傾げた。


「あ、そうそう。一つ言い忘れていた」

「どうかなさいましたか。仕事のことですか?」

「いや、たいしたことじゃない。帰る時に傘を忘れないようにね」

「……雨が降っているんですか?」


天気予報では雨なんて言っていなかったはずだ。

事実、午前中までは多少の曇り空ではあったものの、雨が降る気配はまったくなかった。


秋広は思わず窓に目を向けた。

しかしブラインドが下がっているために外の景色はうかがえない。


「ああ、結構前から土砂降りだよ。もしかして傘がないのかい。それなら予備を貸すけれど」

「いえ……折り畳みを持っているので平気ですが……」


改めて確認してみたら鞄の中にはたしかに折り畳み傘が入っていた。

その事に安堵しつつ、秋広は梨夏の事を思い浮かべていた。


梨夏と出会ってから今まで雨が降った事は一度としてなかった。

彼女は今日、傘を持っているだろうか。そもそもあの場所で待ちぼうけているのではないか。

自分を待つために、そんな大雨の中で。


秋広はそこまで考えて急いで立ち上がった。

そんな部下の行動に小杉部長は目を見開いて驚いたが、慌てる秋広はまったく気づかない。


「ど、どうしたんだね」

「すみません、用事を思い出しました。急いで帰ります」


言うが早いか、秋広はソフトを保存してパソコンを終了させていく。

作業のキリなんて既に頭の中から抜けきっていた。


「そ、それなら僕と一緒に帰るかい?」


秋広の様子に驚きながらも部長がそう問いかけてくる。

部長と秋広は同じ路線に住んでいる。駅こそ違うものの、少なくとも途中まで帰り道は同じだ。


いつもなら受けるであろうその申し出を秋広は謝辞した。


「いえ。申し訳ないですが、少しでも早く帰りたいので走ります」


言うが早いか、パソコンのシャットダウンが完了するのも待たずに秋広は駆け出した。

それでも上司にすれ違い様、小さく一礼する事だけは忘れなかった。


「それではお先に失礼致します」

「あー、うん。転ばないように注意するんだよ」

「はい!」


背中にかかる上司の言葉に短く応え、秋広はオフィスを後にした。



-----



「本当にすごい雨だな……」


地元についた秋広は厚い雲に覆われた空を見上げながら、呆然と呟いた。


目の前の光景はまるで季節外れの台風が通過したかのように有様だった。


駅前の広場には池のような大きな水たまりが出来上がり、排水溝からは溢れ出した雨水が逆流している。

時折、風が強く吹くせいで雨は横殴りの様相を呈しており、あまり傘が意味をなさなそうだ。


まさしく土砂降りと呼ぶにふさわしい雨だった。


相変わらず、終電間際の駅には人気がまったくと言っていいほどなかった。

街灯が地面に影を色濃く落とすばかりで、どことなくうすら寒さすら感じられる。


「で、梨夏は……」


秋広は折り畳み傘を開いで駅前へと出て、いつも梨夏が待っている場所へと目を向ける。

そして見つけた。

駅前広場の片隅。一際大きな路樹の下で傘を差して佇む彼女の姿を。


「梨夏!」


声を上げるが、激しい雨音のせいで梨夏はまったく気づかない。

秋広は水たまりに足が浸かるのも気にせず、大粒の雨が降る中、梨夏の元へ駈け出した。


「おい、梨夏!」

「おじさん……?」


秋広が間近まで接近してきたでようやく気づいたのか、梨夏が驚いたように顔を上げる。

そんな彼女の様子に、秋広は小さく呟いた。


「……ひどいな」


その姿は全身が濡れ鼠とまではいかないまでも、かなり長い間、外で待っているのが分かる程度には濡れてしまっていた。

湿った髪は頬に張り付き、顔はメイクが溶けてパンダのよう。

ローファーはすっかり変色し、シャツもうっすらと下着が透けてしまっていた。


「木の下なら平気かなって思ってたんだけどさ。全然駄目だったよ」


そう言って笑う彼女の笑みもこころなしか今日は弱い。

よく見れば華奢な身体は寒さのせいで細かく震えていた。


「笑ってる場合か」


秋広はスーツの上着を脱ぎ、梨夏の肩に掛ける。そして透けてしまっている意外と地味な下着を極力見ないように気を付けながら、ボタンを閉じてやった。

その行動に梨夏は目を見開いている。


「スーツ濡れちゃうよ」

「どうせこの雨ならすぐに濡れるから気にするな」


そう言って秋広は真上を指さす。

時折、風が強く吹くせいで雨は横殴りの様相を呈しており、あまり傘が意味をなしていない。

既に秋広の足元も濡れ始めていて、革靴どころかズボンの裾までびしゃびしゃだった。


「あはは……そうだね」

「ああ、だろ? だから気にするな」

「……ありがとおじさん」

「まったく。土砂降りだって聞いて、心配になって帰ってきたら案の定だ。こんなずぶ濡れで……」

「そっか……心配してくれたんだ……そっか」


秋広がかけたスーツを手でさすりながら、梨夏はしきりに『そっか』と繰り返していた。

その顔はわずかに笑みを浮かべていたが、いつものような明るさは欠片も見当たらない。


「それより梨夏。今日はもう家に帰れ。このままだと風邪を引くぞ」

「……やだ、帰りたくない」


その声はとても小さかったが、明確な拒絶の色があった。


梨夏はじっと雨に濡れた地面を見つめたまま、一向に動こうとしない。

秋広はそんな梨夏を見つめ、今まで薄々とは察しながらもあえて触れていなかった話題を出した。


「……家出か?」


前々からおかしいとは思っていた。


毎晩、梨夏は秋広の事を待っていた。

それがどんなに遅くとも、逆に早くとも。

彼女は常にこの駅前に居たし、逆に居なかった事は一度としてない。

つまりそれは梨夏が秋広より早い時間からこの場所で時間を潰していた事を意味している。


なにより彼女は、去り際にいつも住宅街ではなく、繁華街へと消えていくのだ。


「…………」


長い沈黙があった。

それでも秋広は何も言わずに梨夏が口を開くまで待ち続けた。

その間も雨はまったくやむ気配がなく、むしろその雨足を強めていく。


秋の雨は思っていた以上に冷たく、足元から身体の熱を奪っていく。そのせいで自然と秋広の身体も震えてきた。

一体彼女はどれだけの時間、雨に降られながらここに佇んでいたのだろう。


秋広は知らぬ事だが、当初の梨夏は駅前広場のすぐ近くにあるファーストフードに避難していた。


しかし十八歳未満でなおかつ高校生である彼女は十時を過ぎたあたりで店を追い出され、そこからずっとこの場所で秋広を待ち続けていた。


秋広が駅に到着するまで、かれこれ二時間はいた計算になる。


「……うん。家出してる」


秋広が問いかけて数分。

ようやく梨夏は、雨音で消えそうなほどか細い声で、秋広の問いかけに首肯した。


「いつも、着替えとかどうしてたんだ?」

「学校終わってすぐに家に戻って、お父さんが帰ってくるまでの間にすぐに済ませて、そのまま家でてた」

「……母親は?」


その問いかけに、かすかに梨夏の肩が震える。

彼女は顔を上げる事なく、そのままかぶりを振った。


「……いない」


離婚か、それとも死別か。あるいは他の理由か。

気にならないと言えば嘘になるが、秋広には聞くことが憚られた。

だから秋広は、そのかわりに別の質問を投げかけた。


「じゃあ夜はどうしてたんだ」

「……えっと、一人暮らししてる友達の家に泊まってた。漫喫とかファミレスは深夜になると追い出されるし。ただ友達の家が無理な時は……その……公園とかで」

「野宿は危ないだろ……」

「あはは……だよね……」


力なく笑う梨夏に、秋広はため息を返すことしか出来ない。

事件や事故に巻き込まれたらどうするつもりだったのか。


ましてや梨夏は若い少女だ。

今まで何もなかったのは、単純に運がよかっただけだ。


「……少しは自分を大事にしろ」

「……ごめんなさい」


秋広はうなだれる梨夏にため息を返す事しか出来ない。

そして内心ではバツの悪さを覚えていた。


薄々は彼女の家出を察しておきながら、諭すことも怒る事も避けていたのだから。

本当は彼女を怒る資格なんてどこにもなかった。


「家族も、心配してるだろ」

「……どうだろ……」


梨夏が漏らした言葉は驚くほどに弱々しく、秋広は何も言えなかった。


「今日はどうするつもりだったんだ」

「えっと、今日は友達の家に泊まれなくて……それでどうしようか考えてたら雨が降ってきて……とりあえずファーストフードに入ってたんだけど、遅くなったから追い出されて……そっから先は、おじさんに会ったら考えようって……だから、ここで待ってた……」

「……俺の事なんかより自分を優先しろ」


呆れたように秋広がそう呟くと、梨夏は小さく首を横に振った。


「……やだ。おじさんに会えないと、寂しい」


梨夏がようやく顔を上げた。その目は不安げに揺れている。

良く見れば彼女の目は赤く充血し、頬には流れたアイシャドウの跡がいくつも残されていた。

彼女は明らかに泣いていた。


「……ごめんね、おじさん」

「別に、謝る必要はないだろ」

「ううん、おじさんに心配かけた……ありがとう、嬉しかった」

「……友達を心配するのは当然だろ。前に梨夏が言ったんだろ。俺たちは友達で、友情に年齢は関係ないって」

「うん……言ったね」


梨夏が健気に笑って見せる。その姿が余計に痛ましい。

彼女のそんな姿を見ていられずに、咄嗟に秋広は思いついた事を口走った。


「泊まれる友達の家なら一つ心当たりがある」

「えっ……」


梨夏の顔から目を逸らさず、秋広はきっぱりと頷いた。

言葉の意図をおぼろげに察し、梨夏は期待と不安の入り混じった顔で秋広の事を見上げていた。


「正直狭いが、たぶん野宿よりはマシだろう。シャワーも浴びれるから少なくとも温まれるぞ」

「……いいの?」


理性では良くない事だとは分かっていた。

何としても親元に帰すか警察に任せる方が、良識ある大人としての行動だとも理解もしていた。


それでも秋広は、独りで泣く梨夏の事を見捨てられなかった。

なにせ彼女は人生で初めて出来た友人なのだ。


「今日だけだからな」

「ありがと……おじさん」

「その代わり、家出の理由を説明しろよ。友達だろ、俺たち」

「うん……うん……」


開き直った秋広は友達というポジションを最大活用する事にした。

話を聞いてなんとか出来るかは分からなかったが、言う事で楽になる事もあるはずだ。


そんな秋広の言葉に頷きながら、梨夏は感極まったようにぽろぽろと泣いていた。


「……よし。そうと決まったらさっさと行くぞ。このままだと風邪ひきそうだ」


秋広がそっと手を伸ばす。

梨夏は涙を零しながらも小さな笑みを浮かべて、その手を握りしめた。


その瞬間、強風が吹き、秋広の差す傘の枝が大きくたわんだ。

あわや折れるかと思った所で風が止んでなんとか一難を免れたが、その様子に二人は揃って大きく息を吐いた。


「……途中で折れるかもな」

「ふふ……そしたら、濡れちゃうね」


幾分か元気を取り戻した梨夏が小さく笑う。

秋広は改めて傘を持ち直して首を振った。


「……ま、その点についてはもう手遅れだな」


大雨の降る野外で話をしていたせいで、秋広もすっかりしとどに濡れてしまっていた。雨も滴るアサラーだった。


わずかに胸より上だけは傘のおかげで守られていたが、この様子ではいつ傘が壊れてもおかしくはなかった。


「ほら、じゃあ傘が壊れないうちに行くぞ」

「うん」


そうして秋広と梨夏は夜の町を並んで歩き出した。

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