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未完成の絵

作者: 円山翔




 その絵は、日野が通う中学校の美術室の片隅の壁に掛かっていた。

 奇妙な鉛筆画だ。長方形の画用紙の外枠に沿うように額縁らしき枠が描かれており、その内側に少し間を空けて額が、そのまた内側に額が、という具合に、画面の奥へ向かっていくつもの額縁が描かれている。そしてそれぞれの額縁の左下には額を抑えるように置かれた左手が、右下には鉛筆を持った右手がある。更に、その鉛筆の先が一つ奥の額の内側に伸び、そこにある右手の輪郭線上に置かれている。内側の手の線はその鉛筆の先で止まっており、内側の手になるほど手を構成する線が少なくなっている。手前の手が一つ奥の手を、その手がまた一つ奥の手を、持っている鉛筆で奥から順に少しずつ描いているような構図である。見ているだけで奥に引き込まれそうに感じるのに、少し視点を動かすと、額縁が絵の中から飛び出してくるように見える。

 何時(いつ)見ても、不思議な感じのする絵だ。単調なリピテーションのはずなのに、マグリットやエッシャーの絵と同じような種類の不思議さを、その絵は持っている。だが、奇妙なのは絵そのものだけではない。

 他に手を加える所が見当たらないほどよく出来た絵である。――にも関わらず、その絵のタイトルは『未完成の絵』なのであった。


「天気のいい日に、こんな所で芸術鑑賞ですか」

 背後から聞こえた女性教員の声で日野は我に返る。

 一昨年からこの学校に赴任したという、美術教諭の黒崎だ。廃部寸前だった美術部を建て直し、この二年で数多くの生徒コンクール入賞へ導いた。やり手の教員だと日野は聞いていた。

「私は日の光が苦手ですから」

 顔だけを黒崎の方へ向け、日野は応える。黒崎はそんな日野に「そうですか」と短く言って、奥の部屋へ戻っていく。

 日野自身もそうだが、この黒崎という教員も他人と話す姿をあまり見かけない。授業の説明も生徒の質問への対応も最小限のことしか話さず、それ以外の時間は机に向かって黙々と何かを書いている。

 そんな黒崎が、自分から声を掛けて来た。始めは手持ち無沙汰になって顔を上げた時に自分が見えたから声を掛けたのだと日野は思った。だが、それは少し違うような気がしてきた。「天気がいいから外で遊べ」というニュアンスの言葉を、果たしてこの黒崎が発するだろうか?いや、ないだろう。むしろ美術に興味がある者ならば誰でも歓迎するはずである。ただし、無言で。

 では何故か、と日野が考え始めた時、

「その絵はね、私がここにきて初めて持った生徒が描いたんですよ」

 思い出を懐かしむように告げながら、黒崎が戻ってくる。その手には、一枚の新聞記事が握られていた。それは、絵画コンクールの受賞者が綴られたものだった。

「ほら、ここに」

 黒崎が指で示したところには、最優秀賞と書かれた隣にそのタイトルと作画者の名前が記してあった。

「高城大貴・・・・・・今は三年生ですね」

「ええ。彼が一年生の時、秋の総合文化祭に向けて描いたものです」

 黒崎はそこで言葉を切った新聞記事を机において、小さなため息を一つつく。

 「見ての通り、コンクールでは最優秀賞に輝き、少しの間市の美術館に飾られることになりました。ですが」

「高城先輩が、それを拒んだ訳ですね」

 横から割って入った日野に、黒崎は少し驚いたような顔を向ける。が、すぐに薄く笑って言葉を続けた。

「ええ。完成品は美術館では見せられないからと言っていましたね」

 日野は改めてその絵を見る。別に完成していない訳ではないと思った。仮に作者が高城大貴でなければ。

 日野は高城大貴という男を知っている。その絵の作者を見た時も、高城大貴ならこれ位の事はやりかねないなと思うくらいに。

「あの人なら、まあ分かりますね」

日野は思った通りを口にした。

「で、何故その話を私にするんですか」

「あなたは、知っているのでしょう」

そう続ける黒崎の表情は、笑っているとも怒っているともつかなかった。

だが、その目に宿る光が僅かに濁っているのを日野は見逃さなかった。

黒崎が何を望んだのか分かった上で、日野は聞き返す。

「何をですか」

「決まっているじゃありませんか」

 笑っているのかいないのか分からないくらいに、黒崎は口角を上げる。

 それは、短い期間ながら授業内外ででよく顔を合わせた、日野が知っている美術教員の黒崎ではなかった。


    *


 自分は何も知らなかったのだ、と日野は思った。

 あの後、黒崎は日野にボイスレコーダーを手渡した。

「あなたは察しがいいようですから、何をすればいいか分かりますね」

 何も言い返さなかったが、日野の心は重く沈んでいた。

「お断りします」と一言いえば、それで済んだのかもしれない。だが、日野には断れなかった。黒崎が恐かったのか?いや、そうではない、と思う。何かもっと大きくて、得体の知れない感情が、日野を動かしている。

 絵とはこれ程までに、人を動かすものなのか――最早、魔力といっても過言ではないような、そんな大きな力を持っているというのか――――放課後の廊下を急ぎ足で進みながら、日野は考える。目指すのは高城のいる三年A組の教室。

 だが、そこに高城はいなかった。そのクラスの生徒に聞くと、こんなことを言っていた。

「あぁ、高城?あいつ、最近学校来てないんだよ。ケータイに電話しても出ないし、家訪ねようにも、あいつの家知ってる人、いないんじゃないかなぁ」

 この後誰に聞いても同じような答えが返ってきたので、日野は高城の家をたずねることにした。高城とは小さい頃から仲が良く、互いの家に遊びに行くことも少なくはなかった。それも高城が小学校に入学するまでであったが、日野は今でも高城の家を良く覚えている。

 ただ、不安がない訳ではない。何故彼がこの時期に学校に来ていないのか、そして彼が果たして日野を受け入れてくれるかどうか――――


 高城の家の前まで来た時も、ドアチャイムを鳴らすのを一瞬躊躇(ためら)った。だが、不安を飲み込むように湧き上がった強い知識欲が、日野を後押しした。

 チャイムを押すのは一瞬だが、その後のことはどれほど短い時間でもとても長く、(つら)く感じる。

 言葉と同じだ。一度やったことは、もう元には戻らない、そういう危うさを(はら)んでいる。


「あら、日野さんとこの。大輝に何か用?」

 出迎えたのは高城の母だった。日野は何も言わずに頷く。小さい頃からいつもそうだった。その頃はいつも、あたたかく微笑んで出迎えてくれた。

 だが、今日は違った。高城の母は困ったような顔をして、

「ごめんね、大貴、最近誰とも会いたがらないの。というより、部屋から全然出てこなくて・・・・・・」

「そうですか。じゃあ、また今度伺います」

 仕方がないとばかりに、日野は丁寧に礼を述べて去ろうとする。その背中に、

「日野か?」

 低く微かな、それでいて存在感のある声が降ってくる。日野が振り返ると、丁度二階から高城大貴その人が降りてくるところだった。

今日(こんにち)は。いくつか聞きたいことがあってきました」

「そうか」

 よれよれのシャツに身を包み、髪はぼさぼさにはねていた。だが、その目に宿る光には、力強い少年時代の面影が窺えた。

「ここじゃ何だから上がってくれ。俺の部屋に行こう」

 それだけ言って、高城は再び階段を上っていく。

「ちょっと、大貴。久々に出てきたと思ったら、また引きこもるの?」

 高城の母が少し声を荒げて言う。無理もない。息子が何日も部屋に閉じこもっていたのだ。心配するのも当然だろう。だが、

「夕飯、ご馳走様でした。味噌汁は出汁がきいてて美味しかったよ。今日は昆布使ったんだね。ただ、煮付けはちょっと味濃かったかな。皿は後で洗っておくから」

 満面の、とはいかないまでも、心からそう感じているような優しい笑顔で淡々とした言葉を包み込んで、高城は自分の部屋へと戻っていく。

 そんな息子の様子を見て、高城の母は呆れたようにため息をひとつつく。

「全く・・・・・・でも、あの顔でああ言われちゃあ、そうそう憎めないのよねぇ」

 立ち尽くす日野に「どうぞ」と言い残して、高城の母は家の奥へと去っていった。

 一人取り残された日野は何も言わずに、高城の部屋へと続く階段を上っていった。


    *


「で、何を聞きに来たんだ?」

 高城は短く、簡潔に問いを発した。

「美術室の入り口に飾ってある絵なんですが」

「黒崎の差し金だな」

 日野が言い終えるや否や、高城は重い声で応えた。先ほどの笑みからは考えられないほど、表情の見えない顔だった。静かな剣幕を発する高城に、日野は両手を上げて続ける。

「半分は正解。でも、半分は違う」

 日野は持っていた鞄から、黒崎から預かったボイスレコーダーを取り出した。その画面には、何も表示されていなかった。

「元々、電源を入れてなかったんです」

「・・・・・・」

「黒崎先生、あの絵をどうしても美術館に展示したいみたいですよ」

「名を売りたいだけだろう」

「さあ。そこは私にも分かりかねます」

 日野は高城の警戒を解くように薄く微笑む。だが、高城の表情は変わらない。

「断る、とだけ伝えておいてくれ。で、もう半分は?」

 問われた日野は、ボイスレコーダーを鞄に収めながら続けた。

「完成品を、見せていただきたいんです」

 鞄の中から、今度は小さめの額縁を取り出す。

 それを見た瞬間、高城の口から呻くような声が漏れた。

「それを、どこで・・・・・・」

「美術室の掃除をしていたら、偶然見つけたんです。同じ絵が美術室に掛けてあるのを見たのでもしかしてと思ったのですが。ちなみに、黒崎先生には見せていません」

 額縁を丁寧に外し、中の絵を取り出す。それは何でもない、普通のプリント用紙だった。そしてそこに描かれた線は、紛れもなく鉛筆のそれだった。

「先輩があの絵を美術館に飾りたくない理由、それは、あの大きな絵が『複製』だからなのではありませんか?現物はコンクールの応募要項に合わないから、黒崎先生がそれを複写(コピー)したと、そんなところでしょう」

「……」

 高城はしばらく黙っていたが、やがてその重い口を開いた。

「ああ。あいつは、黒崎は、俺の描いたこの絵を、コンクール用に複製しやがったんだ。あいつの絵が上手いのはよく知っている。それを、生徒のものだと偽ってコンクール出す。それが、あいつのやり口なんだよっ」

 だんだん声に力がこもってくるのが分かる。無理もない。自分のものではないものを自分のものとして出品されたのだ。高城のプライドが傷つくのも無理はない。

 黒崎の目は、だから濁って見えたのだと日野は合点がいった。

「だから、あいつには教えない。絶対に・・・・・・」

 ほとんど自分に言い聞かせるように、高城は声を落として言った。それから、ゆっくりと日野の方を見た。

「その絵を、額に戻して」

 ほとんど懇願するような高城の声に、日野は素直に従った。薄っぺらいその『原作』を額縁に入れ、元通り蓋をする。

「左手で、絵と同じように、額を抑えて」

 日野は言われた通り、額の左下に左手を置く。

「これを持って、その先を、右手の線の終わりに・・・・・・」

そこまで聞いて、日野は理解した。完成したかに見えるこの絵を、高城は何故『未完成』と言い続けたのか。

 高城に手渡された鉛筆を右手に持ち、一番手前の「絵の右手」の線の終わりに天日角先を置いた瞬間、

 パシャッ

 どこか間の抜けたシャッター音が、日野の耳元で響いた。

 音の主のインスタントカメラが、今度はジーッという音とともに、一枚の写真を吐き出した。それを日野に渡して、高城は言った。

「君にだけは教えておく。それを他人に見せるか見せないかは自由だ。でも、黒崎にだけは、教えないで欲しい」

 日野は無言で高城を見、そして手渡された写真に目を落とした。

 まだほんのりとあたたかい写真は、写し出した『完成品』の姿をうっすらと現わし始めていた。

「いいんですか、写真なんか渡して」

 日野は高城に問いかけた。後半の言葉に、自分がそれを黒崎に見せる可能性を疑わないのか、という意味を込めて。

 その意味を受け取ったのかどうか、高城は母に向けたのと同じ優しい笑顔で日野に言った。

「いいんだ。君はそれを誰にも見せないだろうからね。君自身の記念としてとっておいてくれ。君はこの絵を完成させた、おそらく三人目の人間だ」

 三人目……ああ、そうかと日野は思い当たった。高城がそれを認めているというのは、少し意外だったが。

「それに、写真はまた未完成に戻ったからな」

 悪戯をする前の子供のように、高城はニッと笑った。


    *


 その後彼の絵は、未完成のまま美術室の片隅の壁に飾られることになった。

「先生も一度、この絵を完成させたのではありませんか?」

 黒崎に問い詰められた日野がそれだけ言って『原作』を見せると、黒崎は満足そうに笑って『複製(コピー)』を外した。そしてそれ以降、黒崎が自らその絵のことを口にすることはなくなった。日野には、黒崎の目が徐々に輝きを取り戻し始めたように見えた。

 その絵は今も、美術室を訪れたものなら誰でも手の届く位置に掛かっている。

 未完成のまま、次に自分を『完成』させる人間を待ちわびるかのように、ひっそりと眠っているようだった。






朝に読まれる方はおはようございます。

昼に読まれる方はこんにちは。

夜に読まれる方はこんばんは。

そして、初めての方は初めまして。円山翔です。


この作品は、私が過去に書いた一次創作小説のひとつです。書いた当時のままほとんど手を加えずに投稿していますので、設定等は穴だらけではあるかもしれませんが、楽しんでいただければ幸いです。

この小説の鍵となっている絵なのですが、私がかつて美術の時間に描いた絵が元になっています。自作自演のように思えるかもしれませんが、その絵はコンクールに出していませんし、賞をもらったということもありません。この辺りは完全な創造(捏造)です。今はまだ美術室に眠っているのやら、もう廃棄されたのやら……


ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


2016年1月11日 投稿・加筆・修正

円山翔

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― 新着の感想 ―
[一言] 地の文も、会話文もそつがなく、上手さと安定感を感じさせるが、全体的に硬い。そして、日野が生徒なのか、先生なのか、物語の中盤くらいまで分からなかった。というか、冒頭のやりとりと、書き方で、黒崎…
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