手の掛かった自慰行為
ドロドロに溶けた意識が少しづつ覚醒へと向かっていく。
だがそれは決して幸せな事ではない。
トラウマという精神の痛みが身体を支配していく。
名前が私に禍を齎す。
だから適当な名前を名乗った。
甘い甘いお菓子の名前。
あるいは自らの根源。
私の名前は斬殺礼儀
◇◆◇◆
目が覚めると、其処は木造造りの部屋だった。
今では貴金属と同等の取引価格を見せる純自然木造をふんだんに使った家、
……価格はあまり考えたくはない。
「……何時の間に眠った?」
誰に問いかけるでも無く口から溢れる素朴な疑問、外は既にとっぷりと日が暮れているようだ。
「お目覚めですかマスター?先程私を抱きしめながら気絶して運ぶのが大変でした」
緋桜が壁に背を預けながら此方を見据えている。
「……何故意識が堕ちた?」
「過剰なトラウマの刺激が原因かと、マスターの元たる精神は酷く脆弱です、
如何に電子的に脳をコントロールしているとはいえ、環境の変化に精神が追いつかなかったのでしょう」
「俺の未熟が――――」
そこまで言うと不意に緋桜から抱きしめられた、有機的な素材で構成されたそのボディは、確かな肉と熱を持ち、俺を優しく包み込む。
「……申し訳ありません、あまりにも平然とされていたので、
このような状況になるまで心の歪に気付く事ができず……名前まで頂いておきながら、この緋桜一生の不覚です……くだらない事の心配よりもまず貴方の心配をするべきだった」
緋桜の震える手をそっと取り、見上げる。
涙が流せるならば今にも流せそうな程に思いつめた顔をして此方を見つめていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
「構わん、俺自身気づけなかった事に気づけというのは酷な話だ」
「です――――!」
そっと、その唇を塞いだ。
暑い熱が伝わる、プログラム仕掛けの少女の排熱が伝わる。
「構うな」
「―――――はい、構いません」
恥ずかしそうにうつむく人形、愛おしき我が身の傀儡。
己が娘、己が半身、己が傀儡、己が努力、己が力。
だから弱みを見せるのも2体だけ、自慰行為ではあるが……どのような形であれ慰めが無ければやってられない。
「……神楽椿は?」
「情報収集を、私よりも外交的ですので……呼び戻しますか?」
「いや、今はいい」
目をつぶり人形の排熱にて人寂しさを誤魔化す。
俺には努力しか無いのだ、本当はもう一つ何かあった気がするけど今は思い出せない。
ならば俺にはこれしかない、自らが作り上げた力であり拠り所なのだから。
*
私の名前は神楽椿、主であるキルト・カルトの創造した人形だ。
姉妹機である寒緋桜よりも火器管制能力、情報処理能力、メンテナンス性等に優れる。後、何故か人格ベースが社交的に設定されており、潜入工作や情報収集に向くらしい。
姉妹機である寒緋桜は瞬間処理能力と馬力、直接戦闘力に優れこそするものの、
長時間の稼働や連続的な全力戦闘に向かない。
まぁその概ねの理由というのが、試験的な機能を盛り込み過ぎたせいで定期的なメンテナンスが必須というのが大きな理由なのだが。
ちなみに、私にも世間一般でいうところの試験的機能が一つだけ搭載されている、それと言うのが、四方50m程を圧縮し持ち運べるという空間圧縮機構だ。
これにより私は弾薬や短ミサイル等を持ち運び運用している。
四方50mというと、結構なキャパシティに感じるが実際問題ミサイルの発射台や、それらの簡易運用設備を考えればかなりギリギリである。
尚、この機構自体は少し前から開発されていたのだが、いち早く運用にこぎつけたのが、我々の派閥であったというだけで、近い将来どこも似たような装備を搭載した超高級兵器は登場するであろうというのが主人の考えである。
例えるなら私がトラックで寒緋桜がスポーツカーと言った所だろうか?
一応、主人からはその安定性を買われ主人が行動不可時の司令塔として稼働するように言われてもいたりするので主が気絶している今、私は緋桜に主の防衛を任せ、現地住民との接触を測り情報を収集していたりする。
そして情報収集中幾つか驚きの事実があった。
「魔法?」
「ええ、魔法です……もっとも帝国以外での馴染みはあまり無いかもしれないですが」
どうやら此方の世界では魔法が使えるとの事であり、全人類に対しマジックユーザは3割程。
もっとも、昔は精々1割ぐらいであったが、魔法使い狩り―――まぁ、有り体に言えば魔法の使える女や男を連れてきて、産めよ増やせよやんややんやしたらしい。
その結果、マジックユーザー達が身を守る為に集まり作られたのが帝国との事。
その成り立ちからか、女性と男性の発言権はほぼ同等であり、魔力こそ全てな魔力主義社会との事だ。
同時にその魔力主義という理由から、魔法を使えない者は差別される風潮があるらしい。
尚、今回主人であるキルトは、魔術の使えないメイリアの腹違いの兄であり、貴族の恥と怒ったメイリアの父に殺されかけたが、間一髪他国に逃げ出し、事無きを得たという設定らしい。
ちなみに、今まで密にメイリアと連絡を取り合い、父の裏切りを受け再度帝国に舞い戻ったというところまでが筋書きだったりする。
それなりにお涙頂戴な話であり、魔力を使えないとはいえ皆の反応は悪く無いだろう。何より素手で人形を圧倒した上に、強力な人形を2体従えている、ついでに言えば立場的には時期クロニアク家……クロニアクというのはメイリアの家名なのだが、どうやら主人は嫡男扱いであり次期後継者候補というのも柔和な態度の理由の一つだろう。
とはいえ、メイリア自身も「父の裏切りにより資産の没収と土地の没収を食らったとはいえ、未だにその人脈と資産は侮れず、命さえあれば返り咲ける事も可能であるらしい。ついでに本当に主人が使える男ならばそのまま嫡男として突っ込むという考えもあるのかもしれない、貴族とは強かであるらしいので色々考えて行動せねば。
そういえば返り咲く云々の話なのだが、中にはそれを快く思わない者もおり、今現在分隊長の一人としてこの場にいるのもそれが理由とか。
難儀な話である―――そしてもう一つ、難儀な話が増えた。
「……現状で指揮系統が決まっていないと?」
石造りの城壁の上から深い森を見下ろしながらメイリアに問いかける。
ぶっちゃけありえないとはこの事だろう。
「ええ、ですがおそらくは決まらないでしょう、あの人形達は最優先で指揮系統をつぶしに来ます。指揮官狙いは指揮系統を麻痺させる有効な手法ですが、あそこまで徹底されると」
成る程、皆名乗り上げたら殺されるから怖くて上げないヘタレという事か。
「メイリア、貴殿に指揮権は?」
「―――ありません、侯爵ですが父上が裏切った件もあり自らの手勢と連絡を取る事も……先程出会った際に引き連れていたのが、私が指揮を取る事を許された兵達です……もっとも全て敵対者の息の掛かった者達でしたが」
(侯爵、即ちOF-6からOF-8に匹敵するか?)
OF-6とは現代の軍階級において大凡准将に相当する。
だが、メイリアの話を聞く限りでは指揮権があっても指揮する兵が居ないという事だ。
成る程、お飾りか。
それはそれとして、1点スルーするとまずそうな事を言っていた。
「この国は貴族制を採用しているのだろう?その状態で指揮系統が潰されているという事は、貴族の嫡男次男が死にまくりじゃないのか?」
「おっしゃる通りです……このまま戦争が続けば国は……」
その瞳には諦めが写っている、持たないし持たせる気も無いと言った所だろうか?
我々には分からない感性だ。我等は電子部品の一片からネジの一本まで主の物でありその全てのリソースは、全て主が為に尽くされる。
滅び行く主が居るのならば、ソレを意地でも救い出し再起させる。
痛みなぞ何れ消え失せる、であれば痛みを耐えさせるぐらいの事はやってのける、それが真の忠臣という物だろう。
「メイリア、貴殿は忠臣でも無ければ痛みを背負うのも怖いと見える、良くも悪くも自己保身に走りすぎなのだ、敢えていうがソレは悪い、染み付いた貴族感が抜けていないのだろう」
驚いたように此方を振り向くメイリア
「財産土地も没収されているという事は守るべき民も居ない、ご恩と奉公という形が無いという事は国への忠誠の対象も無い物であると言える、ならば一人の人間として生きる事を覚えるべきだ。それが相応の身分という物……形ばかりにこだわったヒトガタに成った時点で、人間としては終いだ、人形が言うのだから間違いない」
ノブリス・オブリージュは貴族や持つ物にのみ発生する、彼女は現状人脈しかもってない訳だし、別に無理しなくてよいのでは?ということを少し回りくどく言ってみた。ここまで言えば多少は考えるだろう、後はメイリアの問題だ。これで何も考えないようであれば―――まぁ、我々には関係無い、しっかりと金を支払ってもらえるのであればな。
「人形に説教される日が来るとは思いもしませんでした」
「私とて人間に説教する日が来るとは思わなかった」
しばしの沈黙が流れる。
彼女は何も言わない、きっと色々と思う所もあるのだろう。
彼女がまともに使える手駒は我々3名のみ。
沈黙が流れ、微妙な雰囲気が流れたとて我等の仕事を御座なりにする事は許される事は無いのだ。目前に広がる自然を見つめ、再び集中して索敵を行うもいまだ反応は皆無、時々小動物が居るぐらいだ―――もっとも見えてないだけの可能性もある。オカルトで隠形を行われたならば、主人が居なければ確認は難しい。
(……あるいは、夕の出来事を警戒してるのかもしれないな)
楽観視するのも問題だが、その逆も然り……ならばここは一旦メイリアの休憩がてら相談してみても良いかもしれない。
「メイリア、指揮系統云々に関しての相談がある、次の交代の時間まで後どれぐらいだ?」
「いえ、事情を話して交代して頂きましょう」
クルリと踵を返し進むメイリアの後ろについて歩く、メイリア本人としても結構気になっていた内容なのだろう。一応事が事なので主人にも確認を取るのがモアベター、ほうれんそうは大切なのだ。
『主人は?』
確認の為に緋桜に連絡を取る。
『―――未だ寝ています』
『そうか、引き続き護衛を頼む』
―――なら此方で決めてしまっても問題ないだろう。
――――たとえ嘘だとしても、それが必要なのだと緋桜が判断したのならば。
「……普遍の代名詞たる人形も変わる物だ」
クルリと最後に暗闇の森を一瞥した後、再びメイリアの後ろを5歩遅れて歩みだした。