ヤンキーとドジっ子⑴
入れ替え戦まで…残り4週間。
「センセー、いつまでこんなのやるんすか?」
飽き飽きとした表情で、宙で動く標的に向けて絶え間無く銃弾を放っているのは、金髪に鋭い目つきのあからさまな不良生徒、しかし根は至って真面目な少年、我妻 桔梗である。
彼は、横に置かれたイスに座る銀髪の小柄な少女…ではなく、桔梗たちのクラスの担任教師、屑山 昴に向けて、愚痴をこぼしながら引き金を引き続ける。
「ふぅぅ…まぁそう言うな。まだ第一段階だからな退屈なのも仕方ない」
昴は桔梗の撃ち抜く的となる空き缶を自身の磁力を操る能力で動かしながら諭すも、彼女自身もやはり退屈なのか欠伸を噛み殺しながら眠そうな目を擦っている。
そんな昴に桔梗は一抹の不安を覚えて思わず尋ねる。
「本当にこれ続けりゃ、入れ替え戦勝てるんすか?」
「アタシの経験と指導にゃ間違いないよ。ついてくれば必ず勝てる」
しかし、そんな桔梗の不安もどこ吹く風、昴は自信に満ちた表情で不敵に笑うのだった。
「さて、今日はここら辺にしておくか」
桔梗が昴の動かす最後の空き缶を撃ち抜くと、一仕事終えた彼女は短く息を吐いて肩を回しながら言う。
そんな彼女に向けて桔梗は両手のベレッタを一瞬で消し去ってニッと笑う。
「まっ、こんなもんっしょ」
「調子に乗るな…アタシの求めるレベルはまだまだこんなものじゃないぞ。明日からは次の段階に移ってもらう」
「あいよ。何があろうと俺は目の前の目標を確実に撃ち抜くだけだ。ほんじゃセンセ、また明日ー」
昴の言葉に、桔梗は手をヒラヒラと振りながら帰路に着くべく荷物を持って特別教室を出て行った。
「ただいまー」
「おかえりーお兄ちゃん。ご飯とお風呂、どっちも準備できてるよー。それともあーちにする?」
日も沈み、ようやく桔梗の家であるアパートに着いて玄関を開けると、パタパタというスリッパの軽快な音と共に桔梗よりも少し幼い雰囲気の少女が出迎えに来る。
彼女は桔梗を兄と呼ぶと、ペロッと舌を出しながら新婚の新妻のように尋ねる。
「なーに寝ぼけたこといってんだ…でも、いつも悪いな椿。俺が遅くなるせいでお前に家事任せっきりで」
「仕方ないよ、お兄ちゃんは学校で頑張ってるんだから、あーちはその分の家事をお兄ちゃんの代わりに頑張らないと!」
桔梗は椿と呼んだ少女へ呆れた表情を見せるが、唐突に労いの言葉を掛ける。
椿は桔梗の従妹で家庭の都合で、桔梗と二人暮らしをしている。
普段、家事全般は桔梗の役割なのだが、桔梗が選抜メンバー入りした為に一時的に椿に交代してもらっているのだ。
ちなみに全く関係無いのだが、「あーち」とは椿の一人称で、これが元で学校の友達には「あーちん」と呼ばれているらしい。
「んじゃ、先に飯食っちゃうわ」
椿からの質問にようやく答えた桔梗は、靴を脱いでからまだ硝煙の匂いが残っている上着を玄関にあるハンガーに引っ掛けて軽く消臭スプレーを噴きかけて居間に上がる。
すると、漂ってきた揚げ物の香ばしい匂いが桔梗の鼻腔をくすぐった。
「おーけー、じゃパパッと盛り付けしちゃうからテレビでも見て待っててよ」
「いんや、俺も手伝うよ」
椿は指でOKマークを作るとまたスリッパをパタつかせてキッチンに戻っていく。
そんな椿の背に向けてそう言うと、桔梗はリビングにあるハンガーに引っ掛けてあったエプロンを着けて、キッチンに向かって行った。
「「いただきます」」
「ん?今日の唐揚げ、何かいつもと違くない?」
夕食のメインである唐揚げを一口頬張って食べた桔梗がふと気付いて椿を見ると、彼女は誇らしそうな表情を浮かべ、腰に手を当ててふんぞり返る。
「ふふーん、分かる?ちょっと下味を変えてみたんだ」
「へーこりゃ美味いや。俺の唐揚げよりも美味い」
「わーい♩お兄ちゃんに褒められたー」
「でも、料理全般の腕はまだまだ俺のが上だな」
無邪気な笑顔でピースする椿。
そんな彼女の相変わらずの無邪気さに桔梗はクスッと微笑みを浮かべながらそう言ってデコピンする。
「いたっ…うー…そんなの、お兄ちゃんの料理が上手過ぎるんだよー」
少し赤くなった額をさすりながら涙目で頬を膨らます椿。
そんな彼女を見て、優しく頭を撫でると桔梗は食器を片付け始める。
「悪い悪い。まぁ、今日の唐揚げは間違いなく美味かったし、そのうちどの料理も俺より上手くなるさ…ほんじゃ、ご馳走様」
「はーい、頑張るよー。あ、タオルはいつものとこねー」
「はいよ。んじゃ、その前に着替えてくるわ」
食器を流し台に置いた桔梗は入浴の準備をする前にシャツとズボンから着替えるために寝室に向かっていった。
「ふー…ただいま睡蓮」
リビングと寝室を隔てる襖を占めて、桔梗は自分の勉強机の上に置かれた小さな箱に話しかけながらシャツを脱いで洗濯物カゴに放り入れる。
「…今どこで何をしてんだよ…睡蓮…」
そう言って桔梗が思い出すのは、恐らく一生忘れることは出来ないであろう数年前のある日の出来事。
「すぅ姉ちゃん、また留学行っちゃうの!?」
「うん、今度はドイツに3年くらい行くつもりなの」
「一体、すぅ姉ちゃんは何個の言語を覚えれば気が済むの?」
この時の桔梗はまだ10歳の少年だった。
そんな桔梗少年は目の前で微笑む少女に驚き半分、飽きれ半分の表情を向ける。
彼女の名前は我妻 睡蓮。
椿の姉で桔梗の3歳年上の従姉である。
桔梗の両親は共働きで、更に仕事の関係上、海外出張などで家を空けることが多く、そのために桔梗は親戚である睡蓮と椿の両親の元に預けられていて、3人は本当に血の繋がった姉弟の様に仲が良かった。
そして従姉である睡蓮の底無しの探究心に桔梗は思わず苦笑した。
「目標はもちろん、言語の全国制覇よ!」
グッと握り拳を作り立ち上がる睡蓮。
そんな優秀な睡蓮に昔から尊敬の念を抱いていた桔梗はグッと握った拳を前に突き出した。
「そっか、なら尚更頑張ってよ。僕も応援する」
「ありがとう、きーちゃん。私、頑張るから…私がいない間でも、きーちゃんは自分のことを頑張ってね」
睡蓮は自分の夢を素直に応援してくれている従弟の思いに答えようと、彼女もまた握り拳を桔梗の拳にコツンとぶつけた。
「そうだ。これあげる」
そして、何かを思い出したように睡蓮が自分の勉強机の引き出しをゴソゴソと漁り始める。
そしてそれを眺めている桔梗だったが、振り返った睡蓮が手に持っていたのは彼女の掌よりも小さな箱だった。
彼女の「開けてみて?」という言葉に従い、桔梗が小箱を開けると、そこに入っていたのは小さな花の種だった。
「これ何の種?」
「これはね、私と同じ名前の睡蓮って花の種。これをね、私が帰るまでに綺麗な花を咲かせて欲しいの。できる?」
「分かった!じゃあ、この花が綺麗に咲いたらさ、すぅ姉ちゃん。僕と結婚してよ!」
「ふぇ!?」
ずっと大切な従弟だと思って接してきた桔梗からのまさかの要求に目を丸くする睡蓮だったがすぐに微笑んで「分かった、きーちゃんが綺麗な睡蓮の花を咲かせたら、私、きーちゃんと結婚するわ。」と小指を絡ませあって約束を交わすのだった。
そして、その数日後、睡蓮はドイツへと旅立っていったが悲劇は起きた。
その日、桔梗がテレビを見ていると、お昼のバラエティ番組が中断し、ニュース速報の画面に切り替わった。
"今入った速報です。本日13時50分頃、成田発ドイツ行き547便が墜落したとの情報が入りました。乗客には日本人が含まれていたのことで安否の確認を急いでいます"
「お兄ちゃん…これ、パパ達の乗ってる飛行機だよ…?」
アナウンサーが発表した便名に反応した当時9歳の椿は、リビングにやって来ると心配そうな様子で桔梗に墜落した飛行機が睡蓮たちの乗っていた便であることを告げる。
この時、付き添いで睡蓮の両親も搭乗していたが、まだ幼かった椿は日本に残り、桔梗の家で預かっていたのだ。
「ほんと…?椿…」
「うん、ママのチケット見せてもらったから間違いないよ」
「すぅ姉ちゃん…生きてるよね?」
そして、桔梗も椿と同様にどうしようもない不安に駆られるのだった。
それから数十分後、新たな速報が入った。
"えー、続報です。乗客、乗員合わせて254名。内、日本人204名全員死亡との情報が入りました。同時に日本人の乗客の名前が発表されましたのでお伝えします。"
"アガツマ アヤメさん
アガツマ コウシロウさん
アガツマ スイレンさん
…………"
聞きたくはなかった名前が聞こえた瞬間、信じたくは無い一心で、桔梗の頭の中は真っ白になった。
「お兄ちゃん、いつまで着替えてるの?お風呂冷めちゃうよー」
ふと襖の向こうから椿の声が聞こえ、桔梗は現実に引き戻される。
「…っ…今行くよ」
慌てて干してあったバスタオルを掴むと桔梗は寝室を後にした。
「ふー…何で思い出してんだよ…俺はバカか…」
桔梗は椿に勘付かれないようにそそくさと浴室に向かい、湯船に飛び込むと浸かりながら深いため息をつく。
「お兄ちゃん、湯加減どう?それから着替え、ここに置いておくね」
「んー丁度いい…サンキュー」
そんな中、彼の着替えを持ってきた椿が浴室内の桔梗に声をかけてきた。
「お兄ちゃん、また思い出してたの?」
「ん?あぁ…まぁな」
椿に気付かれ、桔梗はバツの悪そうな表情を浮かべて答える。
そんな彼に椿は一時の慰めと分かっていて言葉を続ける。
「お兄ちゃんは悪くないよ。姉さん達の運が悪かっただけ…いい加減忘れたら?姉さんもお兄ちゃんに彼女ができても文句言わないと思うよ?」
「忘れられねぇから今の今まで待ってんだろ」
しかし、桔梗も彼女に当たるのはお門違いと分かっていながらもイライラを隠しきれず語気を強める。
そんな桔梗の様子が扉越しでも伝わった椿は口ごもってしまう。
「そりゃそうだけど…」
「この話はもう終わり。洗ったら出るからお前もそろそろ入る準備して来いよ」
「ん、分かった。お兄ちゃん、あんまり思い詰めちゃダメだからね?」
これ以上は椿を傷つけてしまうと思った桔梗は無理矢理話を終わらせると、湯船から立ち上がって髪を洗い始める。
そして、そんな桔梗の言葉を聞いて、少し寂しそうな声で答えた椿の気配は脱衣所から無くなった。
「はぁ…何やってんだよ俺は…」
そして椿の気配が全くなくなった後、桔梗は自分の不甲斐なさに大きく溜め息をつくのだった。




