教室
教室には、見知った顔がいくつかあった。予想はしていなかったが、この学校はここらの地域で最も巨大だということを考えると、まあ、あり得るだろう。
そうは言っても、知った顔の大半は仕事仲間である。
知った顔その一。MROの誇る、最年少にして最強のブレイン、多摩橋和夜。たしか、学校には通っていなかったと思うのだが。
そう尋ねると、鼻で笑われた。こいつの人をバカにした態度や、やたらと上から目線な口調にはもう慣れているが、出会ったばかりの頃はよく口論になった。結果は言うまでもなく、僕の全敗だ。
「鞍葱局長の命令だよ。おそらく、霜のことが心配だったんだろーよ」
そんなに心配なら、人の意思を無視して高校に入学させるのをやめろと言いたい。
「ふん、それだけじゃないさ…。今まできちんと向き合ってこなかった、いわゆる日常というものとふれあって欲しいっつー思惑があったんだろ」
毎度思うが、多摩橋は鞍葱を買い被りすぎだ。以前も気になり、尋ねたことがある。曰く、多摩橋にとって鞍葱は、自分より優れた頭脳を持つ、数少ないリスペクトすべき偉人だそうだ。実際、多摩橋はそこまで言えるほどの頭がある。しかし鞍葱はどうだろう?
常にアホな表情と友達をやっているようなヤツだし、何事にも能天気。危機感と呼べるものを全く持っていない。君子危うきに近寄らずというが、鞍葱の場合夏の虫のように嬉々として飛び込んでいく。
そんなヤツであるから、僕は怪訝な顔でそうかな、と呟いておいた。
知った顔その二。MROで共に霊狩師を勤めている珠崎茜。
声をかけると、嬉しそうな顔をして近づいてきた。
「ひとり…寂しかった」
女の子らしい、甘えた声でこんなことを言う。言っておくが、これは素だ。そして…
「私をひとりにしとくなんて、ひどい」
そういいながら平気で僕を窒息死させようとする女だ。目にも止まらぬ速さで僕の首もとへと手を伸ばし、見た目と反する剛力で締め上げる。僕の足が地面から僅かに離れているのはどういうことか。
「ぐ…。今日も相変わらず元気だな、茜」
「霜も相変わらず。何も変わらない」
解放された襟元を正しながら咳き込む。なんでこんな可愛らしく清楚な見た目を裏切ってしまうのだろう、勿体無い。
「でも、霜がいてよかった。私一人なら、鞍葱はミジンコの餌になっていた」
「それはよかったな…!鞍葱が!つーかどれだけ細かくするつもりだったんだろう!?」
「顕微鏡なら見える」
「顕微鏡じゃないと見えないんだ!」
本当に勿体無い。
まあ、僕としてはもじもじしてはっきりしないやつよりは、ズバッと物を言えるやつの方が好ましく思えるので、昔より今の茜の方が好きだったりする。昔の茜は…いや、過去の話はやめておこう。
丁度、教師が教室へ入ってきた。慌てて席につこうとするが、何処だろう、確認し忘れていた。
いや、皆の様子を伺い最後に残った席が僕の席なのだから、慌てなくてもいいではないか。そう思ってゆるりと教室を見回す。が、考えが甘かったようだ。皆次々と席に着いていくが、空いている席は1つでは無かった。欠席者でもいるのか、その事を全く念頭に置いていなかった。
担任に訪ねた方が早いのかもしれない。悪目立ちは必須だろうが致し方ない。
こんな様で友達なんて作れるのだろうか…中学時代の記憶が甦り、途方に暮れた。
「お前、神無月…だよな?席ここだぞ」
声のした方を向くと、春なのに夏真っ盛りみたいに焼けている男子生徒がいた。そのゴツくて黒い指先が示すのは、男子生徒の隣の席だった。
「さんきゅ、助かった。…けど、なんで僕の名前を?」
尋ねると、笑って答えてくれた。眩しい笑顔だ。やはり夏が似合う。
「さっきかわいい子と話してたじゃん。そん時、ショウって呼ばれてたろ。隣の席のヤツの名前くらいチェックしとかなくちゃと思ってたし、難しいから印象に残っててな」
「なるほど。ああ、俺はそんなマメな性格じゃないからさ、失礼だけど名前おしえてくんないか?」
一般人と会話するのは久しぶりだが、頑張って友達を作らなければならない。多少の緊張は飲み込んで、なるべくフレンドリーな会話を心がける。
そんな努力が功を奏したのか、それともこいつがそういうヤツなのか、また笑って答えてくれた。よく笑うヤツだ。普通はこうなのだろうか?MROには作り笑いをする者や、酷いヤツは笑うことを忘れてしまったのか、目も顔も死んだまま動かない者もいる。そんな環境で育ったため、‘普通’がよく分からない。
なんだかこんな話をすると、どっぷり浸かっていることが分かって嫌気が差すが。
まあとにかく、隣の黒いヤツの名前は覚えた。喬木将嘉と書いて、タカギマサヨシ。
窓際だから、後は前の席の女子と、後ろの席の…。
「なんだ、多摩橋か…」
「なんだとはなんだ。落胆するな、失礼だとは思わんのか」
「うん、ごめん。まあ知った顔が近くにいて安心したわ」
「気持ち悪いな、やけに素直じゃないか」
そんなことを言うが、多摩橋も多少頬が緩んでいた。一般人の中に突然放り出されて不安だったのはこいつも同じだったのだろう。
「お、何?もしかして同じ中学?」
喬木がすかさず
「いや、まあ幼なじみみたいなもんだよ。あとこいつ、やけに尊大な態度とるけど虚勢だから気にすんな。あれだあれ、ツンデレなんだよ」
「心配して損したな。いつものバカだった。というかツンデレとはなんだ。虚勢ではなく、きちんと実力が伴っている。見栄っ張りなお前と一緒にするな」
「見栄っ張りだと…?おいこらちょっと表に出ろクソガキ」
「はっ、これだからお前は…。負けを認めず、挙げ句は武力行使か?」
「あーそうだよ。だがな、お前は頭脳っつー特に秀でた能力がある。じゃあ俺は?秀でた部分を使わずに勝てと?不平等だろ」
「これだからバカは…!」
「なんだと石頭…!」
「はいはい、おめーら喧嘩はそこまでなー。あー、そんなに喋りたいならこの後の自己紹介でなー。とりあえず、席つけ」
担任らしき男教師に水を刺され、周りの状況を確認すると、いつの間にか僕たちは立っていて、クラスメイトの視線を一挙に集中させていた。