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 オルガはいつものように食堂「猫」へと行った。そして、テーブルにある食器やコップを集め、じゃれてくる猫をあしらいながら、それをキッチンへと持っていった。

 キッチンには珍しく食堂の女将、アバラがいた。彼女は煙草を吸いながら、コップに葡萄酒を注いでいた。オルガが以前見たときと同じように、彼女は胸元の開いた長袖の白いブラウスに、白い花々の咲いた草色のスカートを履き、腰には茶色のエプロンを巻いていた。十歳を越える子供が二人いるが、その割に若く見えた。

「おはようございます」

 オルガがそう挨拶するとアバラはこちらを見た。

「おはよう。今日は少し遅かったね」

「すみません」オルガは食器を流し台に置きながら言った。

「いいんだよ……」

「女将さんも、どうしたんですか。こんな遅くまで」

「まぁ、ほら。今、ちょっとした話題があるじゃないか」アバラは灰を灰皿に落とし、煙草をゆっくりと燻らせた。

「ハンターですか?」

「そう。昨日の夜は、この店にも知らない男がたくさん来てたんだよ。うちの旦那も血の気が多いだろ? ちょっとしたいざこざがあったんだよ」

 アバラは煙草を深く吸い、遠くへ煙を飛ばした。

「おかげで昨日は自警団と兵士がやってきて、店を閉じさせられたんだよ。それから壊れた椅子やら、ぶちまけられた料理を片づけてたら、すぐに朝。旦那は漁に出て行って、店を手伝ってくれないし、片づけが終わったと思ったら、漁から帰って来た男たちがご飯食べにくるし……。疲れたけど、変に気が高ぶっていてね。寝られないんだよ」

 赤い葡萄酒を飲んだアバラの顔はたちまちそれと同じような色になった。

 オルガは食堂とキッチンを往復し、食器を片づけながら女将の愚痴を聞いた。それに同情しながらも、オルガはあることについて考えていた。それは、女将にこの仕事を辞めたいと告げることだった。オルガは昨日ピピと約束した通り、賞金首を捕まえ、その賞金を元に兄を殺した盗賊を探すつもりでいた。しかし、今の女将にどう伝えればいいだろうか。自分も店を手伝わなくなると知れば、彼女は落胆するのではないか。

 アバラはすでに三本目になっていた煙草の火を揉み消し、コップの底に少しだけ残っていた葡萄酒を飲み干した。

「さ、じゃあ私は昼まで寝ていようかね。あとは頼んだよ」

 彼女は椅子から立ち上がり、奥の部屋へと向かった。

 オルガはその背中を見た。喉の奥に何かが詰まっているせいで、言葉がうまく出てこなかった。しかし、彼女が何を思おうとも、言わなければならない。

「あの、女将さん」

 アバラはその声に振り返る。

「どうした?」

「あの、明日からしばらく仕事に来れないかもしれません。――いや、今日で仕事を辞めたいんです」

 アバラは開けかけていたドアを閉じた。

「どうした。何かあったのかい?」

「はい」

「もちろん話してくれるだろ?」

「はい」オルガはそう返事をして、持っていた布巾を流し台に置いた。「……実はハンターになろうと思うんです」

 アバラは大声で笑った。それがなぜなのかオルガには分からなかった。

「ハンターになるって?」笑いを堪えながらアバラは言った。

「はい」

「なぜ?」

 オルガの頭にはピピの顔が浮かび、その次に兄の姿が浮かんだ。

「兄を、殺した奴を探そうと思います。ピピとも話したんです」

「……」アバラは腕を組んだ。彼女の顔から笑いが消えた。「兄というと、ピリオーノだね」

 オルガは頷いた。

「……お前の考えていることは大よそだが分かるよ。ピリオーノの仇を討とうとか考えているんだろ?」

 オルガは再び頷いた。

「でもやめときな。今度の賞金首は――強いようだからね」彼女は目線を下げた。「やってきたハンター共も言っていたよ。賞金に見合った強さ、いや、それ以上ってね」

「それでも、僕は――」

「復讐したいってかい。まぁ、勝手だよ。でも、この仕事を辞めるのは駄目だよ。せめて次の手伝いが見つかるまではお前さんにやってもらうよ」

「でも、それじゃあ――」

「今回は諦めな。まだ先はあるじゃないか。お金を貯めて、旅に出るのには反対しないよ。仇を討ちたいという気持ちも分かる。今まで、なんでそうしないんだろうって思っていたくらいだよ。でも、今回は駄目だよ。……それに私の都合っていうのもあるんだ。辞めるのは許さないよ」

 オルガはアバラを見た。しかし、アバラはオルガを見なかった。

「とりあえず今日は疲れたよ。また明日頼むよ」

 アバラはそう言うと、ドアを開け、奥へ消えた。

 オルガは布巾を手に取り、ため息を吐いた。とりあえず仕事を続けようと、濡れた木製の食器を拭いたが、徐々に腹が立ってきた。それは女将が言った一つの言葉のせいだった。『仇を討ちたいという気持ちも分かる。今まで、なんでそうしないんだろうって思っていたくらいだよ』。その言葉はオルガの心を揺らした。本当に、なぜそうしなかったのだろう。自分は兄を殺した奴を憎んでいたはずなのだ。自分とピピ、家族を守ろうと動いていたのを間違いだとは思わない。しかし、仇を討とうという気持ちはいつの間にか消えていた。さらに兄の無念さを忘れ、彼をただ死んだ人間だと感じていた。そんな自分に怒りを覚えていた。

 オルガは食器を全て直したあと、布巾を思いっきり床に投げてみた。だが、いらだちは消えず、何をやっているんだろうかと、おかしな寂しさがこみ上げてきた。

 しかし、まだ諦めるわけにはいかない。最後の手段として、アバラに対する責任を勝手に捨てることもオルガは考えていた。


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