婚約破棄されたので帰ろうとしたら、隣国の第一王子に「面白い女」認定されました
「オリヴィア・サトクリフ! お前との婚約を破棄する!」
蓮の花みたいなシャンデリアの明かりの下、第一王子であり婚約者のベンジャミンが高らかに宣言した。
彼の隣には、亜麻色の髪をはらりと揺らした令嬢・ローラ。
「お前のような地味な女より、ローラのほうが百万倍可愛い!」
「でしょうね」
「しかも、お前は嫉妬深い!」
「物への執着心はありますけど、嫉妬は別に」
「ローラをいじめていたそうだな!」
「? なんでそういう話になるんですか?」
「言い訳するな!」
言い訳ではなく、確認をしたいだけなのだが。
そもそも私は、ローラという令嬢とは三回くらいしかまともに話したことがない。どこの馬の骨かも知らないのだ。
そんな相手をいじめるほど暇ではないし、暇があるならもっと領地の帳簿を見たり、そろばんを弾いたり、積み上がった書物の消費に充てたいくらいなのに。
「というわけで、婚約は破棄だ!」
「かしこまりました」
「……え?」
「ですから、婚約破棄ですよね。承りました」
ぺこり、と頭を下げる。
なのに不思議だ。彼の要求を飲んだのに、ベンジャミンは目を丸くしていた。
「待て待て待て! もっとこう、泣くとか、怒るとかあるだろ!? 婚約破棄だぞ!?」
「いえ、ありませんけど」
「次のセリフとか考えてたのに! せっかくの舞台が台無しじゃないか!」
「妄想が実現できなくて残念ですね」
「お前、本当に俺のことが好きだったのか!?」
「別に」
「別に!?」
「親同士、と言っても、そちらの家が勝手に決めたことですし。そこに愛は、あるとお思いで?」
「……愛が……」
「では、ごきげんよう」
私は優雅なカーテシーを添えて、その場を去ろうとした。夜会の最中に起きた婚約破棄。周囲の人たちは困惑したような顔で道を開けていく。“人ごみ”という海が割れるような光景は、なんだか前に読んだ神話を思い出したりした。
「実に面白い」
知らない声が波を割いた。
振り向くと──そこには、長い銀髪の美青年。
「隣国の第一王子、アンドリューだ」
「はあ」
「オリヴィア。この先、君の行くところはあるか?」
「これから家に帰ります」
「そうではない」
歩み寄られて、右手をすくい取られた。
「婚約を破棄されたなら、俺のとこ来ないか?」
「なぜです?」
「まるで捨て猫みたいだから」
「はあ?」
「いや、失礼。言ってみたかっただけだ」
などと言いながら、ひとり満足げに微笑むアンドリュー。
「面白い女だと思ったからだ」
「そのセリフ、もう何年も前の恋愛書物の流行りですよ」
「顔も好みだ」
「やっつけすぎません?」
ここでハッと気づく。人ごみが戻った広間は、さらにざわつきが大きくなっていた。
声高らかに婚約破棄を宣言した第一王子の顔は、茹でダコみたいに真っ赤だった。
「お、おい! オリヴィアは俺の婚約者だぞ!」
「さっき破棄していただろ。鳥頭か?」
「……っ!!」
「鳥の脳はクリーミーでまろやかと聞くが……お前の脳ミソは腐敗臭がしそうだな」
「お前こそ……! その舌には何の旨味もなさそうだな! 家畜以下だ!」
まあまあ、なんて口の悪い第一王子たちなのかしら。
付き合ってられないな。
だから私は、帰ることにした。
■■■■■■
翌日。
隣国から正式な手紙が届いた。
《昨日の話は本気だ。迎えに行く》
ああ、なんて雑なのだろう。読まずに食べたほうがよかったのかもしれない。でも、そうしたら仕方がないから返事を書かなければならないだろう。
そうだ、これはダイレクトメールだ。ちょうどオレンジの皮とか、ピスタチオの殻が捨てられるゴミ袋が作れるチラシのようなもの。
初めてもらったラブレターがこれか。けれど、いつか何かに使えるかもしれない。
私はそっと机の中にしまった。
■■■■■■
その三日後。
白馬に乗った王子様が迎えに来た。ガラスの靴の代わりに、薔薇の花束を抱えていた。
「手紙は読んでくれたか、オリヴィア」
「ええ、まあ」
「オリヴィアの両親には、すでに婚約の許可を得ている」
「早いですね」
「第一王子だからな」
その答えがイコールになるのかはさて置き。ここ数日の食事が豪華だったりした理由は、アンドリューが手回ししていたからなのだろう。
「いいじゃないか。アンドリュー卿と婚約しなさい」
「隣国っていっても馬車で半日もあれば行けるし。お母さんも賛成よ」
どう口説かれたのか、本当に両親もこの婚約に賛成しているようだった。
まあでもベンジャミンとの婚約は解消されたし。
なにより、アンドリューの国は当国より治安も良く、財力も政治力もある。観光地もたくさんあり、都会的だ。そんな国の第一王子との婚約を拒む親なんて、きっといないだろう。
「前のより百万倍よさそうね」
「それな」
などという親の会話は聞こえていないふりをした。
というわけで。私は隣国へ嫁いだ。
■■■■■■
「ようこそ、オリヴィア。今日からここが君の家だ」
「ありがとうございます」
アンドリューが抱えてきた薔薇の花束よりも鮮やかなドレスに身を包んで、私はカーテシーを添えた。
「俺の親は別邸にいる。好きに使ってくれていい」
「ありがたいですね」
「家はたくさんあるからな」
「そうですか」
真にありがたいのは、嫁姑問題が起きないから、なのだが。そこは言わないでおこう。
■■■■■■
暮らしはじめて数日。
無駄に広い家だと思ったが、住んでみたら快適だった。
朝起きれば、シェフ特製の美味しいご飯が用意されている。
それから、アンドリューの財政管理の手伝いをする。
仕事が終われば、これまた贅沢で美味しい夕食が振る舞われる。
寝る前に、掘り起こしたという温泉に浸かる。
シルクの寝巻きに着替えて、ふかふかの寝具で眠る。
「信じられないくらいのお姫様待遇ですね」
「当然だ。オリヴィアは俺の姫だからな」
「姫は姫でも、いばらのような棘がある姫ですよ」
「いばら姫か。なら、王子様のキスで目覚めさせてやらないとな」
いたずらっぽく笑いながら、アンドリューがふいに顔を寄せてくる。さらりと長い銀髪が頬に触れた瞬間──ぱちん、と彼の額を目掛けて指を弾いた。
「……!」
「だから、いばらみたいな棘があるって言ったじゃないですか」
にこりと微笑みを返す。
「王子様なら、いばらをかき分けるくらいの覚悟は必要ですよ」
「なるほど」
「まだ序の口です」
「実に面白い女だ」
懲りもせず笑うアンドリュー。不思議と、この関係は嫌いではないと思えてきていた。
■■■■■■
一方その頃。
オリヴィアの元婚約者である第一王子、ベンジャミンはというと。
「オリヴィアがいなくなってから仕事が終わらない!」
机に突っ伏して嘆いていた。
当たり前だ。全部、オリヴィアがやっていたのだから。
「ローラ! 君も手伝ってくれ!」
「わたくしには、さっぱりわかりませんわ」
「は」
「お茶会しかしてませんもの」
「え」
「ベンジャミン様の仕事ではありませんか」
「お前だって、女なんだからできるだろう!? オリヴィアは平然とやってたぞ!?」
「……! 現婚約者の前で、昔の女の名前を出すなんて……信じられませんわ!」
「いや、そういうつもりじゃ」
「では、どういうおつもりで!? 『女なんだから』とは!?」
「あ、いや……。言葉のあやというか。少し手伝ってほしいな、なんて」
「嫌ですわ! それに、『君は笑っていてくれるだけでいい』と仰ったのはベンジャミン様ではなくて!?」
「う……」
「わたくし、これからお茶会がありますの! 失礼しますわ」
ローラが退室するのとすれ違いに、形相を変えた側近が部屋に入ってきた。
「殿下!」
「……何だ」
「隣国との貿易が……止まりました……!」
「なぜ!?」
「オリヴィア様が管理していましたので!」
「え」
「あと、財政管理も! 外交文書の翻訳も!」
「ええ?」
「全部、オリヴィア様が!」
「……ええええ!?」
素っ頓狂な叫び声が響いた。
どうやら知らなかったらしい。かくいうオリヴィアも、ここまでやっていたとは自覚はしていなかっただろう。仕事は苦ではなかったし、世界のことが知れるのようで楽しくもあったのだから。
「オリヴィアを呼べ!」
「無理です」
「なぜ!?」
「隣国で幸せそうです。毎日」
■■■■■
アンドリューとの生活にも慣れてきた頃。
「オリヴィア」
「何です?」
「家をもう一つ建てようと思う」
「いりません」
「海が見える家を建てたい」
「……海、ですか」
「いいだろ」
「ちょっと考えます」
「源泉かけ流し温泉つき」
「考えを改めてみます」
「オリヴィアの意見も取り入れたい。そこで子どもたちに囲まれながらすごそう」
「……悪くないですね」
そんなやり取りをしながら、私たちは平穏に暮らした。
ちなみに。
隣国に嫁いでからしばらくの間、元婚約者からのダイレクトメールが山のように届いていた。
内容は割愛するけれど、ちょうどオレンジの皮とか、ピスタチオの殻が捨てられるゴミ袋が作れるようなもの。エコだな、と思いながらきっちり山折り谷折りをしていった。
■■■■■
私は今日も仕事をして、美味しいご飯を食べて、温泉に浸かって、隣で笑う夫を見ながら思う。
婚約破棄されるのも案外悪くないな、と。
そして元婚約者は──この日も報告書の前で頭を抱えて動けなくなっていた。
「誰か……オリヴィアを……。オリヴィアを呼んでくれ……」
疲れ果てたベンジャミンは、オリヴィアの幻を追い求めているのだった。
お読みいただきありがとうございました!
オチはヒロインの名前がある名曲のフレーズを参考にしました
海の見える家に住みたい作者の願望です
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