わんちゃんと一緒 夏の熱気
ピンポンと鳴ったチャイムに、僕はぱっと身を起こした。
ひんやりした室内で、ひんやりした床にぺったりくっついていた僕。本当はずっとそうしていたかったけど、チャイムの先が誰かわかって尻尾が止まらない。
誰よりも先に玄関に駆け寄って、早く鍵を開けてと訴える。そんな僕の頭上で解錠の音がした。
ドアの向こう側に立っていたのは、外の暑さに汗を流す学校帰りの雌。
迎えるのは、相変わらず眠そうな顔をした雄。
「おかえり、こむぎちゃん」
「お、お邪魔します。お兄さん」
汗でしっとりした黒髪を弄りながら、赤く染まった顔で呟く。今年からほぼ毎日着ている、制服とやらを着用したこむぎちゃんの足元に、僕は大喜びで突撃した。
「わんわんわん!」
「わんちゃん、ただいま! いい子にしてた?」
してたよしてた! 僕いい子にしてたよ! ね、ダイガクセイ!
してたよ……ね……。
ぶへ……きゅぅ。
「あ、グッタリした」
「わあ! わんちゃんしっかり!」
お、お外、あっつーい!
ドアを出てすぐ僕がグッタリしちゃったので、こむぎちゃんが慌ててダイガクセイのお部屋に入った。学校から真っ直ぐダイガクセイのお部屋に来たから、持っているのは学生鞄。チューガクセイになったこむぎちゃんは、最近ずっと家よりダイガクセイの部屋にいる。
わかる。正直、居心地がよすぎて実家みたいだよね。
「お兄さん。いつもわんちゃんを預かってくれてありがとう」
「いいよいいよ。どうせ家にいるんだから」
「わふぅ」
クッションに座るこむぎちゃんのお膝で溶ける僕。こむぎちゃんのなでなでを享受しながら、ダイガクセイのお部屋の過ごしやすさに尻尾が揺れた。
うん、全然違う。
くーらーって、すごい。
どうして僕らがお隣さんの家にいるのか……事件は去年の夏。こむぎちゃんがまだショーガクセイだった頃に起きた。
こむぎちゃんの親は、くーらー代がもったいないから、自分たちのいる夜以外はくーらーを付けてはダメだってこむぎちゃんに言っていた。扇風機も場所をとるからなくて、こむぎちゃんはベランダの窓を開けて暑さ対策をしていた。あと、氷をたくさん。その氷も、僕に沢山くれた。
でもって僕は体温がぽかぽかだから、暑がったこむぎちゃんが抱っこして寝てくれなくなった。ショックだったけど冬になればまた一緒に寝られるってわかっていたから、僕は我慢した。そう、夏は我慢の季節なのだ。
だって暑すぎて、お外に出られない。つまり散歩にも行けない。
地面が焼けたような熱さ。僕はこむぎちゃんと違って足を守る皮がないから、ジュッて焼けちゃう。散歩はちょっと暗くなってから。でもってダイガクセイの付き添いじゃないといけなくなっちゃった。
ダイガクセイもいつもより苦しげにするのが夏だけど、こむぎちゃんより元気だった。
こむぎちゃんは元気じゃなかった。
とっても暑くて夏病になっちゃうくらい弱っていた。
こむぎちゃんの夏病が発覚したのは、こむぎちゃんが僕を散歩に連れていく為、外に出た時だった。
ドアを開けて外に出たら、こむぎちゃんが倒れちゃった。びっくりした僕はたくさん吠えて、たくさん吠えたからたくさん人が来た。その中にダイガクセイもいた。
おっきい人間がたくさん来たから、こむぎちゃんは適切な処置? とやらができて無事だった。
こむぎちゃんの親がたくさんの人に怒られていたけれど、怒られたのをこむぎちゃんの所為にするから僕もたくさん怒っちゃった。たくさん怒られた親が、一時間追加でくーらーを付けていいって言ったけど、僕知ってる。一時間ってとっても短いって。
このままじゃこむぎちゃんが……! って思っていたら、お隣のダイガクセイがちっちゃく挙手。
「俺の家で涼む?」
ご近所さんがそうしろって言っていた。
というわけで、学校帰りのこむぎちゃんとお留守番の僕は、ダイガクセイのお部屋でお世話になっている。夜ご飯を一緒に食べるまでがお約束だ。
ダイガクセイは、ダイガクに通っている。大変忙しいけれど、僕がお留守番できるとわかってくーらーの付いた部屋に置いてくれている。
ちなみにこむぎちゃんの両親は、ダイガクセイに夕食代は出しているらしい。世間体って奴を気にしているって言っていたけれど、皆「今更ぁ……」って顔をしていた。
ところで世間体って何? 美味しい?
「今から夕飯作るから、こむぎちゃんは宿題終わらせちゃいな」
「え、手伝うよ! 私、一人で料理できるし」
「素麺茹でるだけだから大丈夫」
「じゃあつゆは私が作る!」
「成る程わかった。じゃあ頼むね」
「うん!」
「わふ」
学生鞄から教科書とプリントを取り出して、宿題に取りかかるこむぎちゃん。その間僕は放置されるのでとても退屈だけど、人間にとって大切な時間らしいのでじっと待つ。昔、邪魔をしたらプリントが破けて、こむぎちゃんに哀しい顔をさせちゃったから学んだ。僕は賢いので、同じ失敗はしないのだ。
だけど退屈は退屈なので、キッチンに立つダイガクセイの足元にお邪魔することにした。
ダイガクセイはお湯を沸かしながら赤と緑の野菜を冷蔵庫から取り出した。
ダイガクセイは彩りをとても気にするので、素麺だけじゃなくて他の料理もするみたいだ。こむぎちゃんは成長期だから、たくさん食べさせないとって言っているのを聞いたことがあるから、きっとそうだ。
「ん? 水欲しいのか?」
「わんっ」
違うよ構って欲しいだけだよ!
頭や身体をダイガクセイの足に擦り付けて訴えたけど、ダイガクセイもキッチンで忙しそうだったので構ってくれなかった。がっかり。
しょうがないので、冷たい床にお腹を付けて丸まった。
お湯の沸く音に、包丁の音。こむぎちゃんの小さい唸り声に、紙の擦れる音と文字を書く音。
大好きな二人の匂いと夕飯の匂いに鼻をヒクヒクさせながら、僕は幸せな気持ちで目を閉じた。
それでちょっと……ううん、たくさん、寝てしまったみたい。
「お兄さん、いつもありがとう」
こむぎちゃんの声がする。
僕はうとうとと、大好きな声に耳を傾けた。
「わんちゃんのことも、留守番させてくれて……本当に、助かっているの」
「そりゃ、よかった。わんちゃんは俺にも責任があるから、頼ってくれていいんだよ」
カランッて高い音がした。これは氷の音だ。
麦茶かなぁ。ダイガクセイ、麦茶を常備しているから。僕、麦の匂い好きだよ。一番はこむぎちゃん。
「頼りすぎてて申し訳なくなっちゃうなぁ。お父さんたち、お兄さんに夕飯代しか渡してないでしょう? お金大丈夫?」
「問題ないよ。そこは子供が気にする所じゃないから、存分に頼ってよ」
「……私、子供じゃないわ」
あ、こむぎちゃんがふくれ面になった気配を察知。
ダイガクセイもダメだなぁ。いっつもこむぎちゃんをふくれ面にしちゃうんだから。僕がフォローして、全力で甘えればいいかなぁ。
僕が甘えると、こむぎちゃんは笑ってくれるもん。
「中学生はまだまだ子供だから。でも俺が通報された時は、本当に助けてください」
「まだそれ気にしてるの?」
「当たり前だろ。女子中学生を自宅に連れ込む大学生とか、マジで事案だから。俺にそんなつもりがなくても他所から見るとガチで事案なの。何が起こるかわからないんだから。こむぎちゃんも、危険を感じたらすぐ逃げるか大声出すんだよ」
ダイガクセイすーぐジアンって鳴く。
お外でジアンジアンって鳴く蝉になっちゃうよ。ちょっと近い音で鳴く蝉いるよね。仲間かなぁ。
あいつら死んだふりするから、僕びっくりするんだ。ダイガクセイが「セミファイナル」って言ってたけど、どういう意味?
「ふーん。お兄さん、私にそういうことしちゃうかもしれないんだ?」
「違う。そうじゃない。だけどこむぎちゃんだって中学生になって一気に身体も大人に近付いたから小さな接触にも俺がびっくりびっくりどんどんするので……待ってこれセクハラじゃね? 違う違うそういう意味じゃなくて、男は単純だからちょっとした接触で勘違いしてグイグイ来るから気を付けてって言ってるわけで……ん? 少しの接触に敏感で勘違い……つまり俺にそんな勘違いの危険がある……? 事案、か? こりゃ事案だおまわりさん俺かもしれません助けてください」
ダイガクセイ、早口で何を言っているのか全然わかんない。
ブツブツ繰り返すダイガクセイの声に紛れて、また氷の音がする。多分匂いから、こむぎちゃんが麦茶を飲んだ音。カランカランッて、いい音だよね。好き。
「お兄さん相手なら、勘違いじゃないのに」
とっても小さな声だったから、ダイガクセイや蝉の鳴き声、車や電車の音に紛れて、きっと僕にしか聞こえなかった。
「今何か怖いこと言った?」
「言ってなーい」
うん、怖いことは言ってない。
僕に意味は分からないけど、怖い言葉は使ってなかったよ?
「周りからみて事案だって思いながら、私のことたくさん助けてくれるお兄さんが優しくて大好きだなって思っただけだよ」
「………………うん! ありがと!」
「葛藤ながーい」
僕もダイガクセイ大好きーっ!
こむぎちゃんはもっと好きー!
大好きな人達の声を聞きながら、僕はもう一度うとうとと眠気に従い眠りに落ちた。
僕は知らなかった。
困ったように視線を逸らしながらダイガクセイが、とっても汗をかいていた理由が暑さじゃないことも。
悪戯に笑うこむぎちゃんの顔が真っ赤で、その赤みの理由が夏病じゃないってことも、全部。
だって僕はわんちゃんだから。
人間の恋が、夏に勝る熱を持っていることを、知らなかった。
暑さにぐったりなわんちゃんと中学生こむぎちゃん。そしてお隣の大学生。
秋に続きます。
あらま! って人はポチッとなよろしくお願いします。




