キタラとシンワ ―すべての始まり―
キタラは街の片隅に身を隠しながら、目を細めて遠くを見つめていた。
廃墟の中、物色をしていると、あの二人の男が街に入ってきたのだ
旅装ではあるものの、あの少年の身なりは上等だった。衣服の縫製、剣の装飾、所作の端々に染みついた気品。それに比べて隣を歩く大柄の男は、野獣のような無骨さを漂わせている。
あれは恐らく、貴族とその護衛だ。キタラはすぐにそう判断した。
このタイミングで戦の跡地に来るなんて、物見遊山以外の何だというのか。ここがヤマト人の大虐殺の舞台だってのに、そんな場所を観光気分で訪れるなんて――
(……気に食わない)
どこか胸をざわつかせるその少年の後を、キタラは自然と追っていた。
そして現在。
「ざまぁみろっ!」
彼女の手には、あの少年からくすねた小銭入れが握られていた。
街を抜け、森を越え、彼女は小さな山あいのあばら家に辿り着く。
屋根はところどころ破れ、壁の板も歪んでいる。強い風が吹けば、一瞬で吹き飛びそうな家だった。
「ただいまーっ!」
勢いよく声をかけると、家の中から二人の小さな影が飛び出してくる。
「お帰りー! お姉ちゃん!」
弟のイーサンと妹のヨルシカ。どちらも五、六歳ほどの幼い子どもたちだ。キタラは駆け寄ってきた二人をぎゅっと抱きしめ、頭をくしゃくしゃと撫でた。
「今日はね、良いことがあったんだよ!」
得意げに、小銭入れを見せびらかす。
「なにそれー! すっごく綺麗な刺繍!」
ヨルシカが目を輝かせて叫ぶ。確かに、金糸で織られたそれは見たことのない上品な模様だった。
「うふふ、すごいでしょ?」
そんなやり取りをしていると、あばら家の中から痩せた中年の女性が現れた。
キタラの母、シスカである。
「お帰り、キタラ。街はどうだった?」
「もう兵士は引き上げてたよ。でも死体が残ってて……。しばらくはここにいたほうがいい」
「そう……でも、あんたももう街に行くのはおよし。病気とか……私は心配だよ」
「大丈夫だって。それより、これ見て!」
キタラが小銭入れを開けようとした、その時だった。
――馬の蹄の音。
それは、森の奥から近づいてくる。
しかも、彼女が登ってきた道とは別方向。尾行されたわけではない。だが、確実にこちらを目指している。
(……まさか、コーライズ!?)
あの地獄の記憶が、全身を駆け巡る。
「お母さん! イーサンとヨルシカを連れて、今すぐ逃げて!」
「ちょ、ちょっと何言ってるの!?」
「誰か来るの! 早く!」
「でも、どこへ行けば……」
シスカは動揺しながらも、キタラの真剣な表情を見て、すぐに理解した。
「川の近くの洞窟! あとこれ、持ってって!」
キタラは小銭入れから銅貨を取り出し、母の手に押しつける。
シスカは何かを言いかけたが、口をつぐんだ。
「わかった……あんたも、絶対逃げてくるんだよ!」
「平気だよ、すぐ行くから!」
母は子どもたちの手を取り、裏手の森へと消えていく。
キタラは一人、あばら家に残った。
(余裕……余裕……)
唇の端を指先で持ち上げ、いつもの笑みを作る。弱さは隙になる。それが彼女の信条だった。
――そして、姿を現したのは。
あの貴族の少年だった。
***
俺には昔から、不思議な力がある。
幼い頃、かくれんぼで隠れている相手を、いつも一瞬で見つけた。理由は説明できない。ただ、何となく「わかる」のだ。
狩りに出た時もそうだった。初めて入った森でも、道の構造や獣道、匂いの流れを瞬時に読み取り、獲物を的確に追い詰めることができた。
その力は、いつしか「慧眼」と呼ばれるようになった。
そして今、その慧眼が、あの少女の居場所を教えてくれた。
髪に付着した草の種、身体に残った花粉、泥の付き方。全てが、この山のふもとを指していた。
(よくも騙してくれたな……)
そんな怒りも、今となっては落ち着いていた。むしろ、ここまで見事に追い詰められた自分に、少し酔っていた。
少女はあばら家の前で、俺を見て固まっていた。
「……なんだ、その顔は。さっきまでの余裕はどうした?」
「や、やぁ、よくここが分かったね……ちょっと驚いたよ……」
ぎこちない笑み。
わかりやすい。焦ってるな。
「さぁて……どうしてくれようか。確か、俺のこと“バカ”って言ってたな?」
軽口のつもりだった。
でも、少女の口から出たのは、またしてもふざけた調子だった。
「いやいや! 本当に悪かったって! お金返すから、許してよ! ね?」
……心底、腹が立った。
人を試すような態度。上から目線の軽口。
(……なんなんだこいつ)
だが、妙に違和感もあった。
――なぜ、俺が来るのを知っていて、逃げなかった?
気づいていなかったわけじゃない。むしろ、最初からここで待っていたような雰囲気さえあった。
(……時間を稼いでいる?)
「それが最後の言葉でいいんだな?」
俺は脇差に手をかけ、ゆっくりと剣を抜いた。
「ひっ!? ま、待ってってば! 謝ってるじゃん! 冗談でしょ!?」
少女はついに泣きそうな声を上げ、後ずさる。
その時だった。
「お待ちください!!」
裏手の森から、女性の声が響いた。
現れたのは、痩せ細った中年の女だった。
女は息を切らせながら、俺と少女の間に割って入ってくる。
「貴族様……この度は娘が大変な無礼を……誠に、申し訳ございませんでした!」
両膝をつき、額を地面に押し付けて――女は、頭を下げた。
……貴族様?
(……俺のことか?)
この女は、俺をヤマトの貴族だと勘違いしているらしい。
娘とは対照的な、完全に従順な態度。
その姿を見て、胸がざらついた。
「キタラ! あんた、貴族様のものを盗ったんでしょ! 早く返しなさい!」
「だから、逃げてってば!」
少女の声に母は耳を貸さない。頭を地面に擦りつけながら、なおも懇願する。
「私たちのような身分の者が、貴族様に逆らうなど……本来なら、打ち首でございます……。でも、どうか……どうか命だけは……!」
その言葉が、俺の記憶を引きずり出す。
――人の生は、運命によって定められている。
この世の摂理として、俺の故郷で語られていた言葉。だが、俺はいつも心の中で、こう反発していた。
誰かが決めた道”を歩くだけなんて、ごめんだ。
……この女も、きっとそう信じて生きてきたのだろう。
自分が生まれた立場では逆らえないと、最初から諦めて。
(……やっぱり俺は、こういう生き方が嫌いだ)
俺は落ち着かない気持ちのまま、母親の腕をとって立たせた。
「……もういい。その代わりに、話を聞かせてくれ」
静かなお話でしたね。ここで離脱せず、是非次もお楽しみください!