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焼け残った男

昼間から酒場で、大樽の酒を豪快にあおる男がいた。――モユクだ。


細身で長身の若者。その隣には、白布に包まれた長物が静かに横たわっている。

周囲の視線など意に介さず、テーブルに足を投げ出し、威圧的な空気をまとっていた。


その両脇には、若い女が二人。

モユクは彼女たちの肩を抱き寄せ、上機嫌で話していた。


「ええ? あなた、本当に軍の部隊長さんなの?」


「おうよ。ほら、これを見ろよ」


モユクは胸元からバッジを取り出し、鼻高々に掲げる。

それは確かに、部隊長に与えられる正規の証だった。


「ほんとだ……すごーい!そんな人が、なんでこんな所に?」


「今はな、ちょっと事情があって軍を離れてるのさ。お前ら、運がいいぞ。こんな俺と知り合えたんだからな」


そう言いながら、モユクは女たちの着物の襟元に手を滑り込ませ、ためらいなく胸を揉みしだく。

女たちは甲高い悲鳴を上げながら、楽しげにモユクへ身を寄せる。


――その時。


酒場の入り口が、蹴り上げられたような音とともに大きく開いた。

威圧的な気配をまとった五人の男たちが、乱暴に踏み込んでくる。


客たちは顔をそらし、うんざりとした表情を浮かべた。

この連中がどういう存在か、誰もが知っていた。


男たちは辺りを一瞥すると、モユクに目を止め、にやりと笑った。

そして、ゆっくりと歩を進めてくる。


「……やば」


女の一人がつぶやいた。二人はすぐにモユクのもとから身を引き、足早にその場を離れた。


「おい、こいつだ。例の――ほら吹き野郎」


「へぇ、こいつが“部隊長”とか名乗ってるってやつか?」


「……ふん、なるほどな」


5人組の中でもリーダー格とおぼしき男が、無言でモユクの向かいに腰を下ろす。


「随分と羽振りがいいじゃねぇか」


モユクは鼻で笑い、涼しげに返す。


「なんだてめぇ。男ばっかで、気色悪ぃな」


周囲の空気がピリつく。


「ここらで遊ぶなら、筋くらい通せよ」


「……筋?」


「俺らに、“挨拶”ってやつをよ」


リーダー格はニヤついたまま、テーブルを指でトントンと叩く。


モユクはフッと笑い、迷いなく――リーダーの顔に、思い切り唾を吐きかけた。


「消えろ、クソ野郎。女といいとこだったんだ。邪魔すんな。」


「てめぇ、この野郎――!」


取り巻きの男が激昂し、拳を振り上げた。


だが、モユクは軽く身をひねってその一撃をかわすと、すぐさま逆の手で相手の顔面に拳を叩き込む。


鈍い音と共に、男の体が宙を舞い、酒場の端まで吹き飛ばされた。

テーブルや椅子を巻き込んで倒れ、店内には悲鳴が響き渡る。


「おいっ、頼むから外でやってくれ……!」


店主が顔を引きつらせながら、カウンターの奥から叫ぶ。


リーダー格の男は、頬を伝う唾を乱暴に拭い、モユクを睨みつけた。


「……てめぇ、覚悟できてんだろうな。表出ろ」


そう吐き捨てると、無言で入口を指差す。


モユクはあくまで余裕の表情を崩さず、


「喧嘩に負けた方の奢りな」


そう言って、傍らに置かれていた白布に包まれた長物を、無造作に持ち上げた。


白布の端がわずかに揺れ、中に潜む異様な“重さ”だけが伝わってくる。

ひらりと身を翻すモユクの背中は、どこまでも軽やかだった。そしてそのまま、静かに扉の外へと歩み去っていった。



挿絵(By みてみん)

     * * *



「……つまんねえな」


モユクはぽつりと呟いた。

拳には返り血がべっとりとつき、足元にはさきほど喧嘩を吹っかけてきた男たちが、変形した顔を晒して転がっている。


モユクはリーダー格の胸倉をつかみ、顔をしかめた。


「この程度で喧嘩売ってんじゃねぇよ。……クソが」


「ううっ……」


男は歯を折られ、涙と鼻水で顔を濡らしていた。

モユクは倒れた男たちの上着や帯を手早くまさぐり、財布を器用に抜き取っていく。


「……飲み直すか」


そう吐き捨てると、そばに置いてあった白布の長物を拾い、踵を返す。

だがその瞬間、目の前に――男がいた。


屈強な体躯の中年。背中には巨大な剣。

まっすぐな目でこちらを見ている。


モユクは一目で悟った。

(……こいつ、只者じゃねえな)


幾つもの戦場を潜り抜けた者だけが持つ、戦臭。

言葉よりも先に、肌が警告を発していた。


男が口を開く。


「……お前が、モユクか?」


「あ? なんだテメェ」


(……誰だこいつ、軍の回し者か?)


思考が巡るよりも早く、男の拳がモユクの顔面を捉えた。

次の瞬間、宙を舞った体が壁に叩きつけられる。


「っぐ……!」


立ち上がる間もなく、今度は太い足が顎を跳ね上げた。

視界に火花が散り、足が震える。2発――それだけで、全身が悲鳴を上げていた。


(バケモンかよ……!)


戦場でも、ここまでの使い手は滅多にいない。

なのに、なんでこんな小さな街角に、こんなバケモンがいるんだよ。

笑っちまいそうだった。


(ハハッ、こんな感覚、どれくらいぶりだ?)


冷えきった血が熱を帯び、暴力の衝動が身体を突き上げてくる。

腐った日々も、燻っていた苛立ちも、全部ぶち壊したくなってくる。


昇進も、夢も失って、気づけば“何に怒ればいいのか”さえ分からなくなってた。

戦う意味も、拳の振るい方さえ忘れかけてた。


「……たまんねぇな」


口に広がる血の味と共に記憶が蘇る。

拳で道を切り拓いてきた頃のこと。

何も持たず、拳ひとつで生きていた“あの頃”のことを。


女よりも、酒よりも――この感覚こそが、モユクの生きる実感だった。


「おらァ……もっと来いよ!!!」


思わず叫んでいた。拳が吼える。


次の一撃がくる。

モユクは紙一重でかわし、腰の短剣を抜いて男の顔を狙う。

刃は男の頬をかすめた。


「こんなもんじゃねえだろ!!もっとやろうぜ!!」


男は、モユクを鋭く見据えたまましばらく動かなかった。

だが次の瞬間、フッと肩の力を抜き、戦闘の構えを解く。


「……おいおい、何やってんだよ。まだまだこれからだろ!」


モユクが叫ぶと、男は口の端をわずかに上げて答えた。


「いきなり悪かったな。同じ戦士同士、拳を交えた方が早いと思ったんでな」


「……は? なんだそりゃ」


男は頬の血を手の甲でぬぐいながら、淡々と言った。


「俺の名はザガーロ。アンパヤヤから伝書が届いていたはずだ」


その言葉に、モユクの脳裏に3日前の記憶がよみがえる。


「……ってことは、お前らが……?」


「そうだ」


その時、もう一人の人影が現れた。

馬に乗ってゆっくりと近づいてくるのは、若い少年――モユクよりもさらに若く、16〜17歳ほどに見える。


だが、その整った顔立ちと落ち着いた振る舞いには、どこか気品が宿っていた。

ただの少年ではない。言葉にし難い威厳のようなものが、自然と周囲を圧倒している。


「俺の名はシンワ。祭主の息子だ」




     * * *




俺とザガーロは、モユクに連れられて酒場に入った。


店内に足を踏み入れた瞬間、ざわりとした視線が俺たちに集まる。

モユクを見た瞬間、誰かが小さくヒソヒソと何かを囁いた。


……何かあったのか?


俺は、ひとまず黙ってそのままついていくことにした。

すると、若い女が二人、モユクに近づいてくる。


「ねえ、さっきのチンピラ、どうしたの?」


「ああ? あいつらは、外でのびてる」


「すごーい。あなた、本当に強いのね」


「いや、あいつらが弱すぎるのさ。また後で飲み直そうぜ」


モユクは女の腰に手を回し、耳元に息を吹きかける。


「ええ、今じゃダメなの?」


女はモユクに体を預けるように寄りかかる。


「先客がいるんだよ」


モユクがそう言うと、女はちらりと俺の方を見て、意味ありげに片目を瞑った。

モユクはそれを鼻で笑うと、酒場中に響き渡る声で叫んだ。


「おい、さっきは騒がせたな!今日は俺のおごりだ。好きなだけ飲めや!」


客達から一斉に歓声が湧き上がる。

モユクはチンピラから巻き上げた小銭入れを、店主の前に叩きつけた。


「奥の部屋、借りるぜ」


徳利を手に、奥の個室へと歩を進めるモユク。

俺たちもその後を追う。


個室は静かだった。扉を閉めると、酒場の喧騒は嘘みたいに遠ざかった。


「いやー、おっさん、強ぇな。坊主も飲めよ。ここなら好きに話せる。」


「アンパヤヤの手紙は読んだな」


早速、ザガーロが口火を切った。


「ああ、読んだよ。すぐに破り捨てたけどな。あのジジイ、俺は嫌いなんだよ」


「それが答えか」


「いやいや、待てって。手紙の中身はなかなか面白かったぜ。なんたって、ヒーノの王子様が俺に会いに来るってんだからな。さすがに顔くらいは拝んでやろうと思ってよ」


モユクは俺の方を見て、ニヤニヤと笑う。


――先ほどから、その態度が癇に障る。

俺を子ども扱いしているのが、見え見えだった。

こいつは、俺が命を懸けて戦ってきた事など知らない。何も知らずに、俺を見下すな。

そんな思いが、腹の底から込み上げてきた。


「聞いたぜ。お前を逃がすために何人も死んだんだって?」


「……なんだと?」


「すげえなあ。お前の命ってのは、それだけの命より価値があるってことだ。どんな気持ちだよ、王子様?」


「おい、貴様……」


「だが、残念。もうモイワは終わりだ」


俺は立ち上がり、剣を抜いた。


「黙れ!死にたいのか!!」


「おいおい、マジかよ。祭主の息子ってのは、こんな挑発にも我慢できねぇのか?」


モユクは笑い出した。

だがその目はすぐに冷え、鋭い視線が俺を射抜く。


「いいぜ。やってやるよ。覚悟できてんだろうな」


俺が剣を構えると、モユクは一瞬で間合いを詰め、剣を払い落とす。

そのまま俺の襟をつかみ、体ごと宙に投げ飛ばした。


受け身を取るが、モユクはすぐさま俺に馬乗りになり、短剣の切っ先を俺の目元に突きつける。


「どうした、王子様? こんなもんかよ」


「くっ……!」


その瞬間、モユクは咄嗟に飛び退く。

ザガーロが、腰を浮かせたのを察知したのだ。


「危ねぇ、危ねぇ」


そう言って笑うモユク。


ザガーロが静かに口を開いた。


「隠れヒーノの中には、自分がヒーノであることを認めない者もいる」


「どういうことだ?」


俺が問いかけると、ザガーロは盃を見つめたまま言葉を続けた。


「隠れヒーノは、ヤマト各地に散らばって暮らしています。

 その中でも、“クシャラ”のような隠れ里で生まれた者たちは、生まれたときから自分がヒーノであることを知って育ちます。周囲も同じ立場の者ばかりですから、正体を隠す必要がないんです」


「だが、それ以外の町や村で育つ子供は違います。

 周囲は全てヤマト人。だからこそ、自分がヒーノであることは17歳になるまで“明かされない”のです。そうでなければ、すぐに正体がバレてしまう」


「17歳はもう大人です。

 その年齢になって、突然“お前はヒーノだ”と告げられる……

 それがどれほど残酷なことか、わかりますか?」


「……まさか、お前は」


俺が思わず声を漏らすと、ザガーロはわずかにうなずいた。


「ええ。私も、隠れヒーノです。自分の出自を呪った一人です」


俺はザガーロがそんな過去を持っているとは思わなかった。

ずっとモイワの出身だと思っていた。


「だがご心配なく。今、私はヒーノであることを誇りに思っています」


「はっ、誇りねえ」


モユクが鼻で笑う。


ザガーロが問いかける。


「……モユク、お前がヤマト軍に潜伏しているという話は聞いていた。だが、なぜ今こんな場所に?」


「潜伏なんかじゃねぇよ」


モユクの声には、苛立ちと苦さが混じっていた。


「俺は本気で、ヤマトのために戦ってきた。ヤマト人としての誇りもあった。……でも軍は、俺を追い出したんだ」


「どういうことだ?」


「……俺は昇進して、部隊長にまでなった。そしたら噂が流れたんだよ。“モユクはヒーノだ”ってな」


俺は思わず息を呑んだ。


「俺は必死に否定した。自分がヒーノだなんて、誰にも言ったことはねぇ。俺自身、そうだと認めてなかった。査問会の結果は“白”。けどよ、一度噂が立ったら終わりだ。部隊長からは外され、重要な任務も回ってこなくなった」


「そんな時、モイワへの遠征の話が来た」


「……」


「今まで無視してたくせに、ここぞとばかりに俺を遠征の部隊長に任命した。あからさまな嫌がらせだ。大将は、俺の出世が気に食わなかったんだろうな」


「……その遠征には、参加したのか?」


「行くわけねぇだろ。“やるか、バーカ”って言ってやったよ。ムカついてたからな。それでヒーノ疑惑がさらに深まって……このザマだ。もう軍には俺の居場所はなかった」


しばしの沈黙。


「お前は、モイワを……ヒーノを攻めたくなかったんじゃないのか?」


俺は問いかけた。


「調子に乗るなよ。そんな気持ち、カケラもねぇ」


モユクは俺を睨む。


「俺はただ、あいつらの言いなりになりたくなかっただけだ」


そして、ふっと力を抜いて背もたれに体を預けた。


「もう一つ、教えてやるよ。俺がヒーノだって噂、誰が流したか分かったんだ」


「……誰だ?」


「アンパヤヤだ。あいつが命じた」


俺はふと、あの老人の皺だらけの笑い顔を思い浮かべた。

誰にでも穏やかに接するあの顔。けれど、同時に“何かを計算している”ような目。

あの男なら……やりかねない。


隣でザガーロが静かに盃を置き、微かに目を細めていた。

まるで――最初から、それを知っていたかのように。


「……あいつはイカれてる。自分の正義が絶対だと思ってる。だから手段なんて選ばねぇ。正義のためなら、誰を踏み台にしても構わねぇんだ」


モユクの目に宿る怒りは、単なる私怨ではなかった。その言葉を聞いた瞬間、俺の脳裏に浮かんだのは――キタラの顔だった。


あいつは今、あの里にいる。アンパヤヤの元に。



    * * *



その昼下がり、酒場の外――。


裏手の路地に面した格子窓の下、一人の男がうずくまっていた。

頬を腫らし、唇を切り、まともに立ち上がることすらままならないその姿は、昼間モユクに叩きのめされたチンピラのリーダーだった。


男は肩を壁に預けながら、割れた窓の隙間に耳を寄せていた。


中から漏れてくるのは、モユクと二人の男の会話。


「ヒーノ……だと?」


男の顔に、戦慄とも興奮ともつかぬ感情が走る。

男は静かに身を起こすと、足を引きずりながら通りの雑踏の中へと消えていく。


「あの野郎……ヒーノだったのか」


男の顔が引きつっている。それは、歪んだ優越感と打算の入り混じった、浅ましい笑みだった。


街の奥に消えていくその背中には、薄汚れた欲と怨念が、じっとりと絡みついていた。

新キャラのモユク登場ですね。感情が刺激されます。

よろしく、モユク!

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