ROUND 4 織田信長 vs ナポレオン・ボナパルト③
東京の空は西陽に燃えていた。橙色に染まった街を、舞はまるで幽霊のようにふわふわと駆け抜けて行った。
舞の妹・宇喜多芽衣は、舞と同じ交通事故で重体になった。
両親は即死。
舞もまた予断を許さない大怪我を負ったが、結局、生き残ったのは芽衣1人だった。
不慮の事故に遭い、妹は心をすっかり閉ざしてしまった。無理もない。一夜にして家族全員を失い、若くして1人取り残されたのである。今もまだ、芽衣は一日の大半を寝たきりで過ごす。この世の全てを拒絶するかのように、心療内科の奥で、誰とも面会謝絶中になっていた。
そんな妹を、舞は大会期間中も、時間を見つけては足繁く見舞いに来ていた。
「さすがにもう閉まってますね」
固く門が閉ざされた病院の入り口を見て、舞の腰にぶら下げられた村正が呟いた。
妖刀・村正。
舞の愛刀だ。実はこの刀も、元は人間である。舞と同じく交通事故で亡くなったところを、死神の泥梨に拾われた。彼もまた、自分の父を自殺に追いやった人物を追って、武器としてこの大会に参加していた。
いつの間にか日が沈み、夜が訪れていた。
暗がりに浮かぶ巨大な白い建物は、まるで闇に浮かんでいる棺桶のようで、幽霊である舞ですら、妙にうすら寒いものを覚えた。駐車場の錆びたフェンスに、鴉が数羽止まっている。子犬ほどの大きさのある黒い鴉が、舞の方をじっと見つめていた。人間には舞の姿は見えないはずだが、どうにも鳥や猫と言った動物には、見られているような気がする。
「鍵がかかってますよ」
「関係ねぇよ。幽体だからな」
舞はそのまま、扉に触れることさえせず、すうっと病棟に入って行った。余談だが、この病院ではたびたび『落武者の幽霊が夜な夜なセーラー服のコスプレをしている』と騒ぎになっていた。鴉が甲高い声で哭いて飛び去った。
院内はシン……と静まり返っていた。廊下の奥は暗がりに包まれており、何となく薄気味悪かった。医者や看護師は常駐しているはずだが、忙しいのか姿は見えない。誰もいないロビーを通り過ぎ、舞は薬品の臭いの染み込んだ階段を登った。
芽衣の病室は304号室にあった。階段を上がると、途中、自販機の処に黒いセーラー服を着た少女が立っていた。
「あら……」
少女が舞を見て小首を傾げた。突然話しかけられ、舞はギョッとした。
「お前……私が見えるのか?」
舞は警戒した。普通の人間には舞は見えないはずである。と言うことは、この少女は霊感が強いのか、はたまた……此処は病院である。そう言う類の存在が出てもおかしくはない。現に舞だってそうなのだ。
舞はつま先から頭の天辺まで、まじまじと少女を眺めた。
黒い……まるで喪服のように全身真っ黒なセーラー服を着た、可憐な少女であった。舞は一瞬、喪に服しているのかと思ったほどだ。唯一胸元で揺れる蒼いリボンだけが色彩を保っている。マニキュアは黒一色で、ウェーブのかかった長い黒髪を、腰の辺りまで伸ばしている。それ故に、白い肌が闇の中に浮かんでいるようにも見えた。年齢は舞と変わらない、14歳くらいだろうか。
「お前……幽霊か?」
「あら……いいえ。貴女は幽霊なの?」
黒ずくめの少女が真珠のような黒い瞳を瞬かせた。やはり、見えている。あまつさえ話しかけてきた。幽霊でなければ、人間か。フランス人形のような微笑を浮かべる少女に、舞は何となく腰にぶら下げた村正を死角に隠した。
「じゃあ此処の患者か? もう面会の時間は終わってるぞ」
「ぶっきらぼうな幽霊さんね。生前、よっぽどひどいことが遭ったのかしら?」
「…………」
「失礼。出会ったばかりで過去を詮索するなんて……何の起伏もない人生なんて有り得ないわよね。人は皆、それぞれ業を背負っている……」
まさか現在進行形で『ひどいこと』に巻き込まれているとも言えず、舞は黙って少女の話を聞いていた。少女は自販機から真っ黒なゼロコーラを取り出してほほ笑んだ。たかがジュースを取り出しているだけの仕草にも、何処となく気品が感じられる。舞は上流だとか高貴と云ったものにとんと無縁だったが、そんな彼女にすら、嫌味を感じさせないだけの所作があった。
「時には理不尽な運命に晒されることも……ねぇ、どうして良い人ほど早く天国に逝っちゃうのかしら。どうしてあの人が死ななければならなかったの? 神様は不公平だと思わない?」
「…………」
「フフ……ごめんなさいね。こう言うこと、普段他の人には話せなくて……幽霊さん相手だと、口が軽くなっちゃうみたい。じゃ……」
小鳥が歌うように語る言葉が耳に心地良い……しかし、気のせいだろうか?
少女の瞳が激しい炎のように揺らいだような気がしたが……それもほんの一瞬だった。
舞はじっと小柄な少女を観察した。何かが違う。他の同世代の少女とは、何か、雰囲気が……しかしその何かが何か分からない。
やがて少女は微笑を崩さず、そのまま階段を降りていった。後ろ姿が見えなくなるまで、舞はじっと少女の背中を目で追っていた。踊り場の窓から、大きめの鴉がそんな2人の様子を覗き込んで、哄笑うように哭いた。
「舞さん……?」
「……ま、病院だからな。色んな奴がいらァな」
それから舞は気を取り直して、304号室に向かった。扉をすり抜けると、舞とそっくりな顔をした小学生が、すやすやと安らかな寝息を立てていた。その寝顔を見るだけで、舞は腰から崩れ落ちそうになるほど安堵のため息を漏らした。
そのまますぐそばに椅子を引いてきて、妹の寝顔を見ながら舞はうとうととし始めた。別に幽霊なのだから、わざわざ椅子に座らなくても良いし、無理して眠る必要もないのだが。習慣というのは恐ろしいものだ。
「お姉ちゃん……」
どれくらい経っただろうか。眠っていた妹が不意に声を上げて、舞は飛び起きた。芽衣は眠ったまま、ほろりと涙を零していた。
「お姉ちゃん……会いたいよ……」
「芽衣……!」
舞は心臓を掴まれた想いだった。彼女は1人残された妹のために、この巫山戯た大会に参加したようなものだった。しかし、積み上げられた死体の山と、血腥い自分の掌を見つめ、殺戮の螺旋から降りようと決意したばかりだった……のだが……。
「舞さん……」
「…………」
村正が心配そうに声をかけても、舞は何も応えなかった。しばらく彼女は、ベッド傍に立ち尽くして妹の寝姿を見つめていた。
他人を蹴落としてまで、殺し合ってまで、自分に生きる価値はあるのか?
答えは出なかった。
しかし、生きると云うのはそうである。綺麗事ではない。他の生物の命を奪い、血肉を喰らい、ほんの僅かな時を生き存えている。存外、この世もままならぬ。
やがて窓の外に星が浮かび、東の空がぼんやりと明るくなり始めた頃。舞はようやく病室を後にした。
「舞さん……?」
「何も言うな……村正!」
それから彼女はまだ薄暗がりの街へと消えていった。舞がその後ショッピングモールに向かい、ガチャを引いたのは知れた処である。こうして彼女は、再び煉獄の渦の中に身を投じることとなった。
そんな舞の様子を、少し離れたところから見つめている者たちがいた。
1人は、全身黒ずくめの少女。院内で舞とすれ違ったあのセーラー服の少女である。黒髪の美少女は、病院の屋上で、肩に鴉を乗せてほほ笑んでいた。
「彼女は戦場に戻ってくるでしょうか? クロー様」
少女の隣にいた男が尋ねた。浅黒い肌をした、背の高い男だった。彼もまた、黒いサングラスに黒服という出立ちだった。
「ええ……そうでなければ困るわアレク。是非とも我がチームに欲しいものね」
少女は鴉にゼロコーラを飲ませながらほほ笑んだ。
「あの子ならきっと良い『依代』になれる。それから……フフフ」
「しかし……半端な戦力では、返って枠を埋めてしまうだけでは? 『日本刀』というのは、はっきり言って……」
男がサングラスを指で押し上げた。
「……ミサイルや機関銃の弾が飛び交う戦場で、何か役に立つんですかね? つまり、芸術作品としては優れていたとしても、現代の戦で、実戦に耐えうる武器となり得るかどうか……」
「そうね……だったら試してみましょうか?」
黒髪の少女が、可笑しそうにクスクス笑った。東の空に浮かぶ明けの明星を見つめながら、彼女はゆっくりと立ち上がった。
「ナポレオンを呼んで。戦争の天才相手に、戦国時代のうつけ者が何処までやれるか、じっくり見物させてもらいましょう」