ROUND 37 The first emperor
「よし……行くぞ」
天井裏のダクトから顔を覗かせ、通路に誰もいないことを確認して、花凛が小声で囁いた。出来るだけ音を立てないよう、猫のように床に着地して……4人は長い通路をひた走り、地下迷宮へと急いだ。
周囲は薄暗かった。明かりもない。階段を降りるたび、闇は深さを増していくようだった。ゴォン、ゴォン……と、不気味な金属音が何処からともなく響き、鼓膜を震わせる。そのうち自分の手足も見えなくなって、少女たちは思わず身震いした。
ヴィクトリアはこの下にいる。時間は思ったより少なかった。何とか『本能寺の変』が終わる前に暗殺を遂げなければ、全てが水泡に帰す。足音の四重奏が、螺旋を堕ちながら、自然とテンポを上げて行く。
「不戦敗を申し込めないかしら?」
先頭を走る花凛に向かって、後ろからローズが声を投げかけた。地下通路の奥で、声だけがぐわんぐわんと幾重にも谺する。いつの間にか足元が濡れている。この下に水脈でもあるのだろうか?
「さっき、飛鳥の負けを認めてもらった時みたいに。そうすればもう、姉妹で殺し合うことも……」
「……可能性がないとは言えないが、そんな要求を奴が飲むと思うか?」
「それは……」
花凛は足を緩めることなく、前を向いたまま返事をした。と言っても、振り返ったところで、恐らく顔も見えないだろう。それほどの暗さだった。水を跳ねながら、少女たちは先へ先へと急いで行く。
「臨時会場設置の手際の良さからも……恐らく最初から、あの2人を戦わせることが目的だった。そうして舞を殺すか、あるいは万が一舞が勝ったとしても……」
「しても?」
「……そうなったとしても、恐らく舞の精神が持たない。信長に心を乗っ取られて、戦国時代さながらの阿鼻叫喚を始めるだろうな」
「早くしなきゃ……!」
「ちょっとォ! アンタたちィ!」
次の曲がり角までたどり着いた、ちょうどその時だった。
闇に閉ざされた前方から、場違いなほど明るい声が聞こえてきて、花凛たちははたと立ち止まった。
暗闇の奥に、小さな瞳が光っている。
不意に明かりが灯された。幅数メートルの、真っ直ぐに伸びた広い通路の先。宙にふわふわと浮かぶ、蝋燭の大群に照らし出されたのは……黒のチャイナドレスを身に纏った、お団子頭の幼女だった。※秦の時代では黒が尊ばれた。それで、「黒い夢を見たら吉」などとされていたようである。
「……始皇帝!」
「こんなとこで何してるわけェ!?」
始皇帝と呼ばれた少女が、筋斗雲に跨り、宙空からニヤニヤと花凛たちを見下ろした。4人が手にした武器を睨め付け、嘲るように吐き出した。
「……やっぱり! ヴィクトリアの警告した通りね」
「ヤバ、やっぱバレてた……!」
「正式な試合じゃ勝てないからって、裏でコソコソ……卑怯者の考えそうなこと!」
「何とでも言え」
花凛が静かに、胸の前で『正宗』を構える。
どうやら待ち伏せされていたようだ。花凛は素早く周囲に目を凝らした。ヴィクトリアの姿はない。敵の大将に辿り着くためには、目の前に立ち塞がる少女との戦いが、どうしても避けられないようだった。
「暗殺を肯定するつもりはない……ただ私たちは、友を救うために地獄に堕ちる覚悟だ」
「ちょっと、笑わせないでよ」
始皇帝もまた、手にしていた魔法のステッキを4人に向けた。少女の高笑いが通路に響き渡る。
「あなたたち野蛮人はいつもそう……『殴って解決』! これじゃ何のために大会を開いてるのか分からないわ。ちょっと頭ン中……アー……スッキリ⭐︎させた方が良いんじゃなぁい??」
「来るぞ……気をつけろ!」
すると、ステッキの先端が小刻みに震え出し、妖しい光を帯び始めた。
「焚書⭐︎坑儒!」
「危ない!」
「きゃああっ!?」
始皇帝が叫ぶと同時に、花凛たちの足元がガラガラと音を立てて崩れ去って行く。4人は慌てて後ずさった。
「何よぉ! この穴に落ちなきゃ良いんでしょ!?」
そう言って、小麦が一歩前に飛び出した。足には例の空飛ぶ靴・テラリアを履いている。ふわり、と宙に舞った小麦が、向こう岸にいる始皇帝のところまですっ飛んでいく。
「私の『ミュート』&『ブロック』戦法で……!」
「万里⭐︎長城!」
「な……!?」
すると、突如始皇帝の前に巨大な壁が足元から生えてきた。勢い余って壁に激突した小麦は、在りし日の匈奴のように、墜落し穴へと落とされた。壁の向こうから、始皇帝がひょいと顔を覗かせて、白い歯を浮かべた。
「にひひ……私の魔法が一つだけだと思った?」
「こ……小麦お姉ちゃん!」
「う……うぅ……!」
「これで貴女は私の操り人形……さぁ、こっちにおいで」
魔法の穴が、壁が煙のように消え失せた。敵に洗脳された小麦が……味方の方ではなく……フラフラと始皇帝の元まで吸い寄せられる。その目は虚空を睨んだまま、まるで兵馬俑のように、体はピクリとも動かない。筋斗雲に乗った始皇帝がふわふわと、愛おしそうに出来上がったばかりの『人形』の頬を撫でた。
「ちょうど良かった。私、貴女が欲しかったのよねぇ……貴女の、『不老不死』が」
「せ、洗脳……!」
「水銀まで飲んだけど、やっぱりダメ。その秘密、徹底的に壊して、解明してみせるわ……」
勝利を確信した始皇帝が不敵な笑みを浮かべた、その時だった。
突如通路に、爆発音が鳴り響く。
周囲はたちまち白煙に包まれ、視覚が、聴覚が奪われた。壁に床に、天井に肉片が飛び散る。吹き飛んだ眼球が蝋燭に当たって、じゅっ、と音を立てて溶けた。始皇帝は、一瞬何が起きたか分からないまま、壁に叩きつけられ、そのガスを思いっきり吸い込んでしまった。
爆発物の正体はすぐ近くにあった。小麦の体が、爆発したのだった。
予め小麦の体内に仕込んでおいた麻酔ガスを吸い込み、始皇帝はその場に倒れ込んだ。そのつぶらな瞳が、大きく開かれる。
「ゲホ……! あ……アンタたち……!?」
「『不老不死』の幻想に囚われた哀れな皇帝……貴様なら、まず小麦を狙ってくるだろうと思っていた」
白い煙の向こうから、いつの間にかガスマスクを装備した花凛が、冷静にそう告げた。
「じ、自分の仲間に……爆弾仕込んで突っ込ませたってこと!? 頭オカしいんじゃないのォ!? 人の命を何だと思って……」
「そうだな……我ながら非人道的な作戦だったと反省しているよ」
やがて幼女は昏睡し、穏やかな寝息を立て始めた。通路は赤く、血に塗れていた。バラバラになった小麦の肉片が、徐々に再生していくのを眺めながら、花凛が嘆いた。
「私も一寸、あのうつけものに染まってきたのかも知れん」




