ROUND 35 ときは今 あめが下知る 五月かな
振り下ろされた刃が、舞の喉元を掠める。風切り音とともに、
はらり、
と彼女の髪の先が数本宙に舞った。仰け反るようにして避け、しかし体勢を立て直す前に、芽衣の追撃が直ぐ眼前に迫ってきた。
「う……!?」
闇夜に水色桔梗が揺れる。スカートがふわりと風に舞い、ほとんどブリッジのような姿勢で、舞は辛うじてそれを避けた。と同時に……今度は素早く突き出された刃の先端が、舞の右頬に一筋の線を刻んだ……床の上を転げ、彼女は距離を取った。
「はぁ……はぁ……っ」
炎が弾け、何処かで壁が崩れる音がした。息を切らしながら、舞は『村正』を胸の前で構え直した。セーラー服はところどころ焼け焦げて煙を上げていた。しかし今は、それどころではなかった。
敵は短刀である。
間合いが長い分、一見『村正』に分が有るように思えるが、しかし狭い室内での戦闘だとそれが仇にもなる。振り回すと天井や壁に引っかかって、長いリーチだと本来の威力を発揮できない。小回りの利く短刀の方が、室内戦闘向き、暗殺向きであった。
「疾ッ」
「う……ッ!」
それで舞・信長は、存外苦戦を強いられていた。燃え盛る炎の床を、芽衣・光秀が何の躊躇いもなく突き進んで来る。矢継ぎ早に繰り出される、躊躇なき殺意。元より幽霊なので、熱や痛みは感じない。しかし、それにしても、だ。この業火の中で、視覚的恐怖を拭い去れる者が果たして何人いるだろうか。
舞はもう忘れているだろうが、思えばそれはいつぞやの自分の姿でもあった。今度は逆の立場になったのだ。一直線に、迷いなく敵に突っ込んでくる者の恐ろしさを、今度は自分自身が味わう羽目になった。
「クソが……調子に乗ってんじゃねぇぞ!」
刺突を乱暴に払いながら、舞はギリギリと歯軋りした。妹が光秀に乗っ取られているように、舞の精神もまた、信長に乗っ取られていた。空いていた左手で、芽衣の首根っこを捕まえて、ぐいと力強く引き寄せる。その瞬間、
「お……お姉ちゃん……」
舞は目を丸くした。
光秀が、『英雄バッヂ』を解除したのだ。氷のような無表情が溶け、その下から見知った妹の素顔が覗く。舞は思わず、右手の力を緩めようとして、
「……グェッ!?」
……でもやっぱり、緩めなかった。力強く握った鋼鉄の拳を、妹の鳩尾に叩き込む。刀で斬り付けなかった分、まだ自制が効いた方だと言える。芽衣の体が紙切れのように軽々と吹っ飛んだ。
「ハゲが……勘違いすんじゃねぇぞハゲが!」
赤は止まることなく勢いを増して行く。星はもはや隠れて見えない。立ち昇る黒煙の中、舞……いや信長が、這いつくばる光秀を見下ろして、狂気に満ちた笑みを浮かべた。
「ワシはな……兄弟ですらも、殺してのし上がって来た男じゃ!」
※
「ま……不味いよ! このままじゃあ……!?」
画面を食い入るように見つめ、飛鳥が今にも泣き出しそうな声を震わせた。
「舞さんが芽衣さんを殺しちゃう……!」
「確かに……このまま勝っても、後味が悪すぎるわね」
「そ、そうだよ! 舞さんが負けるのも嫌だけど……こんな勝負って無いよ……いくら何でも酷すぎるじゃ無いか!」
「何とかならないのかしら……あれっ?」
ふとローズが、何かに気がついて目を丸くした。
転送装置が光っている。
選手を戦場に運ぶアレだ。
闘技場の真ん中で、しばらく点滅していたかと思うと、やがて『向こうの世界』から長南小麦が吐き出された。飛鳥とローズは驚いて顔を見合わせた。
「イタタ……なによぉ! もう!」
着地に失敗した小麦が、お尻をさすりながらヨロヨロと立ち上がった。2人は急いで小麦の元に駆け寄った。
「小麦お姉様! 良かった、ご無事で」
「あれ? ローズちゃん……じゃ、私、帰って来たんだ」
「勝ったの? ツタンカーメン王を倒したの!?」
飛鳥が目を丸くした。
「どうやって!?」
「どうやって、って……」
小麦は乱れた前髪の先を指で摘みながら、頬を膨らませた。
「あの骨男、あんまりしつこかったから、『ミュート』して『ブロック』してやったのよ!」
「ブ、ブロック……??」
「つまり、この靴で……」
小麦は自分の足元を指差した。そこにはローズ→飛鳥→小麦へと継承された『武器』、空飛ぶ靴・テラリアがあった。小麦がフフン、と鼻を鳴らした。
「あの男の体を抱えて、銀河の果てまで『瞬間移動』して、んで放置して帰ってきたの」
「え……!?」
「そっか……」
ローズが納得したように頷いた。
「いくら『不死身』だからって、足が早くなったわけでも何でも無いから、死なないけど、帰って来れないんだ。もし来たとしても、400億光年は先……それでなくても、宇宙空間では音が伝わらないから」
「『ブロック』ってそういう……?」
「そうそう。アイツ、宇宙じゃ何言っても口パクパクで、なーんにも聞こえないのよ。ウケる〜」
※というわけで正解は
A.『ミュート』して『ブロック』する
でした。正解者に拍手!
青コーナーでは、ツタンカーメン王の『呪い』を攻略したからか、花凛がラクダから人間の姿に戻っていた。
「お姉ちゃん!」
「やれやれ……酷い目に遭った。もうサボテンは食べたくない……まだほっぺたがチクチクする……」
ともかく一旦控え室に戻ろう、そう提案して、花凛たちは本陣の中へ引っ込んだ。
午後15時12分。試合開始から、およそ6時間が経過。
「……なるほど。これで我々は、土俵際まで追い詰められたという訳か」
ようやく落ち着いた時間が取れた。控え室の中、4人が円卓を囲む。飛鳥に詳細を聞き、花凛はぐったりとした様子で、こめかみに手を当てた。
「全く、引っ掻き回してくれる……『ルール変更』の『能力』、結構厄介だな。こちらの思うように計画が進まない」
「どうしよう、お姉ちゃん。このままじゃ舞さんが……」
「……『負けろ』とも言えないし、『勝て』と言うのも心が痛む。これが戦争か」
花凛は深々とため息をついた。重たい沈黙が、しばらく控え室を包む。天井からぶら下がった豆電球が、からん、と控えめに音を立てた。
「……どうにかならないの?」
小麦が歯痒そうにそう漏らせば、
「私……私、『敵』を倒せば、世界は平和になるんだと思ってた」
ローズもまた、俯き加減にポツリと呟いた。
「何となく世界には……絶対に許しちゃいけない人類共通の巨悪がいて……そいつを倒せば、『勝ち』さえすれば、全部めでたしめでたしになるんだって。だけど、違ったんだわ。現実はそんな単純な話じゃなかった……」
「…………」
「私は時々思うんだが……」
今度は花凛が口を開き、一斉にそちらに視線が集まった。
「仲間や家族を見捨てて、自分1人だけ天国への階段を昇るのが、本当に『正しい』ことなのだろうか?」
「お姉ちゃん……?」
「……一緒に地獄を見物して回るか、飛鳥。案外楽しいかも知れんぞ」
花凛はフッと笑みを溢し、椅子から立ち上がった。
「もし」
全員の顔を見渡して、青髪の少女が改めて口を開いた。
「もしこれを行えば……少なくとも大会失格は免れない。いや、下手したら死罪、運が良くても、延々と追われ続ける羽目になる」
「お姉ちゃん? 一体何の話……」
「だが、この状況を黙って見過ごせるほど、私もそれほど出来た人間ではない」
花凛は『正宗』に手をかけ、澄んだ声で言い放った。
「これから敵の『大将』を……ヴィクトリア女王を暗殺する!」




