ROUND 27 Change the World
「『将を射んと欲すれば、まず馬を射よ』」
静まり返った店内で、黒髪の少女の微笑が一段と輝いた。
「……って言うじゃない? 戦う以上、こっちも全力で勝ちに行くわよ。どんな手を使ってでもね」
「芽衣!」
一方、舞は彼女の話を少しも聞いてはいなかった。目を血走らせ、妹に駆け寄ろうとして……たちまち3人の王たちに取り押さえられた。
「ぐぁ……!」
「やれやれ、何度言ったら分かるんだ? ここは非武装地帯だぞ?」
老人が涼しい顔で舞を見下ろして言った。
「クソ……テメーら……ッ!」
およそ思いつく限りの罵詈雑言を捲し立てつつ、舞が暴れる、暴れる。テーブルからグラスが落ち、半透明の欠片が派手な音を立て弾け飛んだ。だが、ハンムラビ王に背中からのし掛かられては、さすがの彼女もどうしようもなかった。
窓の外で烏たちが可笑しそうに鳴き嗤い、合唱した。我に返った飛鳥が、床に組み伏せられた舞と、人形のように突っ立っている芽衣を何度も何度も見比べた。
「舞さんの、妹……?」
「ムゥ……確か、入院していたと聞いたが」
花凛もまた、困惑気味に唸った。
「何故この大会に……? まさか……」
「テメーらッ! まさか、妹を殺しやがったのか!?」
獣のような怒鳴り声がカフェに轟く。歯を食いしばり、皺という皺を顔の一点に凝縮させた舞は、まるで般若か夜叉のようであった。浮き出た血管が千切れそうなほど怒気を放つ舞を、ヴィクトリアが面白い動物でも観察するような目で見下ろした。
「ウフフフフ。安心して。芽衣ちゃんは未だベッドの中で、心は生死の境を彷徨っている……でもそれって、半分は死んでるってことよね? つまり十分、この大会に参加する権利があるわ」
「……ッざッけんな! ンな権利いるかよ!!」
「あぁでも、もし試合中に何かあったら……その時は本当に死んじゃうかもね。オホホホホ!!」
「この……ッ」
舞が起きあがろうと必死に手足をばたつかせた。だが、巨漢に押さえ付けられた小さな体は、ビクともしない。
「クソ……芽衣! オイ芽衣、返事しろ!」
「無駄よぉ……だって、ほら」
ヴィクトリアが嬉しそうに目を細め、胸ポケットから小さく光るものを取り出す。『英雄バッヂ』だった。黒いシルクの手袋で、それを宝石のように摘み、彼女は芽衣の胸元に『英雄バッヂ』を装着した。
「うッ!?」
と唸り声を上げ、たちまち芽衣が白目を剥いて苦しみ始めた。
「『人は生まれ変われる』!」
「う……うぅ……ッ!?」
「芽衣!? 芽衣ッ!」
「う……て……敵は本能寺にあり……」
「芽衣……?」
能面のように表情を失った芽衣が、両手をだらりと垂らした。糸の切れた人形のように脱力したかと思うと、次の瞬間、弾かれるように上体をもたげ、白目を剥いて姉を睨み付けた。まるで親の仇でも見るような表情で。
「敵は……敵は本能寺にあり……!」
「芽衣……お前……誰だ?」
「『明智光秀』よ」
呆然とする姉に向かって、黒髪の少女が肩をすくめて見せた。
「全く、若い子って良いわよね〜、純粋で」
「何だよ……」
「『自分は何にでもなれる』って、本気で信じてるでしょう? フフフ。だから悪い大人に利用されちゃうのよ、こんな風に」
「何だよこれ……」
「可哀想にね。自分に自信がない、自分を好きになれない……たったそれだけで、ほんの少しの欠点だけで、自分以外の何かになりたがり、大切な自分を投げ捨てる……」
「…………」
「ああなりたい、こうなりたい……それで親鳥を初めて見た雛みたいに、仮初者に踊らされ、簡単に操り人形になってしまう。言わば『なろう病』よ。自分以外の何かになろう、何者かにならなきゃって、みんな常に強迫されてるの。夢や、憧れという名の呪いでね」
「…………」
「自我の弱い者ほど……ウフフ。優秀な依代になってくれるわ」
「…………」
「でも、この子にとっても良かったんじゃないかしら。だって、誰にも愛されない惨めな人生を生き続けるより、戦場で英雄になって死んだ方が」
「テメーは」
今や体のほとんどを潰されてしまった舞が、左腕を……生身の左腕だけを……ハンムラビ王の巨体の下から伸ばし、中指を突き立てた。
「テメーだけは、私が、絶対に殺す」
「そう……楽しみにしてるわ」
ヴィクトリアが姿勢良く、にっこりとほほ笑んだ。ふと、何処からともなく、黒い羽が舞い落ちて来る。
「正式に勝負が決まったら……そうね、一週間後ってところかしら……また会場で会いましょう。それでは、ごきげんよう」
最後に黒髪の少女は恭しく頭を下げた。ふわり、と浮かぶ黒羽根を残しつつ、やがて4人……いや5人組は出て行った。その後も信長カフェは、しばらく静まり返ったままだった。陽が沈み、夜になっても、まだ。
そして、全ては祭りの後。
空は薄暗かった。先ほどからパラパラと、小雨が降っている。客のいなくなった店内には、まだ四角い小窓から薄灯りが漏れていた。
舞。
花凛。
小麦。
ローズ。
飛鳥。
5人はみな浴衣を脱ぎ、普段着に着替えている。中央の円卓に、チームが全員揃い、顔を突き合わせていた。もっとも舞だけは、暴れ出さないように猿轡を噛まされ、両手両足を椅子に縛られていたが。
「奴らの提案を受けようと思う」
長い沈黙の後、そう切り出したのは、花凛だった。皆の視線が一斉に彼女に集まる。花凛は紅茶を口に運び、一呼吸置いて、静かに理由を語り始めた。
「理由は2つある。奴らの言う通り、この形式なら犠牲は少ないし、何より飛鳥やローズを戦場に連れて行かなくて良い」
そう言って姉は弟に眼差しを向けた。飛鳥の方はというと、こちらは不満げに口を尖らせた。
「そんな……僕だって、まだ戦えるよ!」
「私が先鋒で出て5人抜きすれば、残りの者は戦わないで済む話だからな」
「わぉ……すごい自信」
「お姉ちゃん! 僕……」
「……戦場で戦うと言うことは、敵を殺すと言うことだ。分かっているのか? 飛鳥」
「う……!」
姉に睨まれ、弟は銅像みたいに固まって息を呑んだ。ピンクの寝巻き姿のローズがおずおずと尋ねた。
「……もう一つは?」
「『勝ち抜き戦』……つまり1対1なら、奴らが今まで十八番にしていた『乱入戦』が使えないだろう?」
「あ……確かに」
小麦が頷いた。
「でも……それは向こうも承知の上で提案して来てるのよね? どうも怪しいと言うか……」
「しかし、疑い出したらキリがない。何か企んでいる事だけは確かだろう。とにかく情報が欲しい。『彼を知り己を知れば百戦殆からず』だ。飛鳥、ローズ。残りの一週間、奴らの情報を探ってくれるか?」
「うん……」
「……分かった」
ローズと飛鳥が……飛鳥はまだ納得が行かないようだったが……固く頷いた。花凛が改めて皆を見渡して言った。
「良いか? 私たちはこれまで……曲がりなりにも、ナポレオンやアレクサンドロス大王と言った有名どころを倒してきた」
「…………」
「確かに私たちは……敵に比べれば無名に近い存在なのかも知れない。終末兵器も、究極魔法も手にしていないかも知れない。だがそれでも私たちは勝ってきた」
「…………」
「有名だから何だ? 強力だから何だ? 必要以上に敵を恐れるな。真の敵は、高名でも、武器でもない、己の恐怖心なのだからな」
花凛は立ち上がり、壁の方に歩み寄ると、舞の猿轡を外した。
「……ということだ。私が先鋒で出る。飛鳥とローズは、戦略上棄権させる。出来るだけ後ろの方に置きたいが……」
「私が大将だ」
両手両足を縛られたまま、舞が目を血走らせて花凛を睨み付けた。
「…………」
「そんで、私が『信長バッヂ』を付ける。良いな?」
「……良いだろう」
花凛が目を閉じ、静かに頷いた。今回ばかりは花凛も折れた。この選択が、果たして吉と出るか凶と出るか。それはまだ誰にも分からない。結局、
先鋒:花凛
次鋒:小麦
中堅:飛鳥
副将:ローズ
大将:舞
の順で行くこととなった。
結局、雨は止まるところを知らず、夜通し降り続けた。
この時、舞たちはまだ知らなかった。
敵の……ヴィクトリアの武器が、文字通り世界を変える能力であることを。
 




