ROUND 25 織田信長 vs アレクサンドロス大王⑤
「ほ……本当に……」
薔薇が咲き乱れる風呂の中で、小麦が目を皿のように丸くした。視線の先では、裸の王様が……アレクサンドロスが……背中から刀の先を棘のように突き出している。
「勝っちゃった……核兵器に……日本刀で……」
「がは……ッ!?」
「王……!」
風呂サイドにたどり着いたへファイスティオンが顔面蒼白になり、膝から崩れ落ちた。串刺しにされた王は口から
ごぽり、
と吐血し、それからゆっくりと後退り始めた。鍛え抜かれた筋肉が、褐色の肌が艶やかな赤に染まって行く。
「うぐ……!」
「……オイオイ、何でまだ動けンだよ?」
これにはさすがの舞も驚いた。心臓を突き刺しているのである。最後の力を振り絞って、己の身体を貫いた『村正』を抜き、王はよろめきながら唸り声を上げた。
「何をしている……」
「王……アレク! アレク、気を確かに……」
「早く……兵を呼べ……、私はまだ……ッ」
やがて遅れて、兵士たちが風呂場に到着した。
「ひ……ッ!?」
厳つい顔の男たちが、重厚な鎧と、天井にまで届きそうな長槍を手に、あっという間に小麦たちを取り囲んだ。
「女どもを……」
涙を流すへファの胸に倒れ込み、アレクが再び大量の血を吐いた。それでもまだ、目の光は弱々しくも虚空を睨んでいる。
「殺せ……! 核を、全弾、起爆するのだ! こうなったら、全世界を道連れにしてやる……!」
「アレク……」
「もうよせ、アレク」
不意に風呂場の入り口から声がした。小麦が振り向くと、東禅寺飛鳥と、地下牢で出会った老人が立っていた。どうやら騒擾に紛れ抜け出して来たらしい。
「貴方は……」
老人が死に行く王を見据え、低い声で唸った。
「潔く負けを認めろ。いたずらに犠牲を増やすことが、王のやることか?」
「ち……父上……」
「え?」
「父上ぇ!?」
飛鳥がきょとんとした顔で老人を見上げ、小麦が素っ頓狂な声を上げた。見窄らしい囚人服に身を包んだ老人は、小刻みに震えながら息を吐いた。この老人こそ、アレクサンドロス三世の父・フィリッポス二世であった。
「兵たちよ、矛を収めよ。ここはワシの顔を立ててもらおう」
するとどうしたことだろう、鼻息荒く取り囲んでいた兵士たちが、次々と槍を降ろして行くではないか。小麦は呆気に取られた。
「すご……でも何で……?」
「父上……私は……」
アレクが無念そうに顔を歪ませた。
※これについては少々解説が必要かも知れない。マケドニアの貴族や騎兵を主に『朋友』と呼ぶ。王自身によって選出された朋友は、国家制度的な軍隊というよりも、極めて個人的な結び付きによるものだった、というのが今の定説である。
個人的君主制とも呼ばれ、要は国よりも人に、王に忠を尽くしていた。現代人も真っ青になるほど超競争社会であったマケドニアでは、王に好かれるか否かが全てだった。だから同性愛も流行ったし、暗殺も流行った。そしてアレクサンドロスの朋友は、そのほとんどが父・フィリッポス二世から受け継いだものであった。
兵士たちは元々フィリッポスに忠誠を誓っていたのである。これが後々、アレクの足枷となり、先々で不和を起こした。兵士たちに言わせれば、
「別にお前に従ってたんじゃねーよ」
である。
実を言うと東方遠征も、最初に計画したのはフィリッポス二世だった。父親がギリシアを制覇し、さぁこれから……と言う時に暗殺され、後継者争いを制したのが若きアレクサンドロスだった。
なので研究者の間では、
「アレクサンドロスはただ父親の遺産で食っているだけで、真に『大王』と呼ぶべきはフィリッポス二世の方である」
……との声もある。『誰を英雄と呼ぶか』は、学界の間でも流行り廃りがあるようで、ある時はフィリッポス推しだったり、またある時はアレクサンドロス推しだったり、中々面白い。
もしかしたら、アレクサンドロスが極端な拡大政策に至ったその背景には、『偉大すぎる父』への劣等感があったのではないか。
そんな学説もある。何をしても父親と比べられるアレクは、父親の亡霊がさぞ疎ましかった事だろう。実際彼は、何とか朋友を従えるために、父の幻影を振り払おうと色々苦労していたようである。それで、自分はヘラクレスの子孫であるとか、神の子であるとかファラオであるとか、様々な神話的伝説を自ら喧伝した。
「私は……父を超えようと……それで……」
飛鳥の隣に立っていた老人は前屈みになると、アレクの頬に手を添え、涙を流した。
「……形在るものは何れ朽ちる。それがたとえ王であっても。先ほど日本の少年から教えてもらった言葉では、『盛者必衰の理』と云うそうじゃ」
「……ッ」
アレクが苦しそうに咳き込み、唇からつう……と赤い筋を溢した。
「フ……またしても……私は感染症にやられるわけか……」
それからゆっくりと首を動かし、下手人の舞を見据え、悔しそうに唸った。
「私は……王だぞ。偽物じゃない、本物の英雄だ……それを、貴様ごときが……貴様のような名もなき民草が、下々の紛い物が……」
「知るかよ」
舞が『村正』を鞘に収めながら吐き捨てた。
「生きたいって気持ちに、本物も偽物もねぇだろうが」
「……申し訳ございません、クロー様」
アレクサンドロスが静かに息を吐き出し、そっと目を閉じた。それから彼は、父親と親友に見守られ、薔薇の中に沈みながら、死んでいった。
その時だった。
「きゃあっ!?」
突如足元が大きく揺れ、小麦は悲鳴を上げた。ズズン、と重たい地響きが鳴り、床がまるで液体になったかのように、大きく波打つ。天地がひっくり返った。
「『塔』が倒れるぞーッ!」
何処かで兵士の叫ぶ声がした。
『浮玉! 貴様、そこまで地面を掘れとは言っていないぞ!』
「いや、違ぇよ! 私じゃねぇって!」
花凛が何か言い返す前に、モニターはズルズルと床を滑り、壁に当たって砕け散ってしまった。舞自身も、もはや立っていられなくなり、あっという間にどっちが上か下かも分からなくなってしまった。
「地震だぁっ!」
「逃げろ!」
「『バベルの塔』が! 崩れる!」
「いやぁああああっ!?」
怒号と悲鳴が交錯する。雲をも突き抜けた『神にまで届く塔』が、不気味な音を立て、ゆっくりと崩れ去って行く。




