ROUND 22 ダビデ vs へファイスティオン
「飛鳥!? アンタ、何でこんなところにいるのよ?」
薄暗い地下牢に、小麦の声が反響した。2人は初対面ではない。信長カフェで何度か顔合わせしていた。戦いが本格化してからも、姉・花凛の元に入り浸っていた飛鳥だったが、いつの間にか姿を見せなくなっていた。
「見ての通り、捕まったんだよ……アレクサンドロス大王に。直接戦ってた訳じゃないんだけど、いきなりたくさんの烏がやって来て……それで」
「そう……それで」
「ごめん、僕、バッヂ取られちゃった」
飛鳥は両手に括り付けられた重たそうな手錠を持ち上げ、哀しそうに目を伏せた。
どうやらアレクは、対戦相手を気まぐれに捕まえては、地下牢に閉じ込めているようだ。小麦が牢の奥に目をやると、暗がりの向こうに、無数の瞳が光っているのが見えた。岩場の影では、諸葛孔明とエイブラハム・リンカーンが、一緒にやけ酒を呑んでいる。ひどく冷えた風と共に、悲痛な呻き声が地下に渦巻いていた。
「すごい負のオーラ……なるほど、此処は負け犬の墓場ってことね」
「やめてよ、そういう言い方……小麦お姉ちゃんはどうしてここに? まさかお姉ちゃんも捕まったの?」
「あ、そうだ。私、人を探してたんだった」
小麦が思い出したように手を叩いた。
「花凛に頼まれて……」
「お姉ちゃんは無事?」
「大丈夫よ。もう1人の信長と、楽しそうに漫才やってるわ。花凛に、アリストテレスって人を探すようにって」
「そのお爺さんなら、研究室にいるよ」
「研究室?」
飛鳥が頷いた。
「うん。同じ地下に、核兵器を管理してる制御室があるみたいなんだ。僕、アリストテレスは教科書で見たことあって……白衣のお爺さんが良く牢の前を横切るから」
「同じ階にいるのね。じゃあ、ちょうど良かったわ」
「うん……でも」
「無駄じゃ」
不意に背後から嗄れた声が飛んできた。小麦と飛鳥が振り向くと、何とも見窄らしい老人がこちらを見つめていた。
「貴方は?」
「ワシは……フン、名もなき英雄だった男じゃよ。アレクサンドロスめ、ワシをこんな目に会わせよって……」
「貴方もアレクを恨んでるの?」
「も?」
老人はクックッ、と、卑屈そうに嗤った。
「そりゃ大勢おるだろうな。奴を恨んどる者は。全部、奴が持って行ってしもうた。アイツさえいなければ。自分が名を上げ、英雄になれたものを……此処にはそんな二等賞が大勢おるわい」
「フゥン……英雄って、そんなに有名になることが大事なの? 何だかインフルエンサーみたいね」
「インフルエンサー?」
「無駄ってどう言う意味?」
小麦が無視して老人に尋ねた。老人は黄ばんだ歯を剥き出しにして、鉄格子を指差した。
「その鉄格子にはの、目には見えぬレーザー光線が仕込まれておる。無理に押し通ろうをすれば、たちまち体が細切れにされてしまうんじゃ」
「本当だよ。今まで何人もの英雄が脱獄を試みて、サイコロステーキにされちゃったもの」
飛鳥が同調した。なるほど、よく見ると鉄格子の下の地面が何だか赤黒く汚れている。小麦は肩をすくめた。
「なんだ。そんなこと」
「そんなこと……って」
「だったら、なれば良いじゃない。サイコロステーキに」
「待って、お姉ちゃん……危ない!」
言うが早いが、小麦はスタスタと鉄格子に向けて歩き始めた。飛鳥が悲鳴を上げる。次の瞬間、鉄格子の隙間から無数のレーザーが発射され、小麦の体を四方から貫いて灼いた。
「う……うわあぁああああっ!?」
「な……何と!?」
じゅうじゅうと、肉が焦げる臭いが地下に充満する。周囲に鮮血が飛び散り、老人が目を丸くした。足元には出来立てのサイコロステーキが転がった。
「こ……小麦お姉ちゃん……! 何で……!?」
飛鳥がワナワナと震えながら膝を付き、涙を溢す。
「嘘だ……こんな……!」
「莫迦者……何故若者はいつも老人の忠告を無視するんじゃ! だから言ったじゃろう!」
その視線の先で、再生が始まった。
「え……!? あ……ぁ……!?」
「何ぃ……!?」
老人があんぐりと口を開けた。真の驚きはこれからだった。なんと、鉄格子の向こうに転がった、細切れにされた肉片がぐぐぐ……っと膨れ上がり、人の形を成して行くではないか。
「えぇえええ……!?」
「どうなっとる……何じゃこれは!?」
「……ふぅ」
やがて再生が終わった。無事元の姿に戻った小麦が、手入れの行き届いたブロンズの髪を掻き上げた。服まで再生しているのは、お約束である。※ただし、
「……ちょっと!? ジロジロ見ないでよ! 恥ずかしいじゃない!」
「信じられん……此奴は神か悪魔か!?」
「……こんな脱獄方法見たことないよ」
飛鳥が半ば放心し、半ば呆れたように涙を拭った。じゃ、行ってくるわ。そう言い残して、小麦は軽い足取りでアリストテレスのいる研究室へと向かった。
研究室は地下牢のすぐ近くにあり、比較的分かりやすかった。小麦がそっと扉を開けると、中には良く分からない計測器やらホルマリン漬けやらが所狭しと並んでいた。その間を、白衣の老人が、忙しそうに走り回っていた。幸い、室内には一人きりだった。小麦は思い切って中に入った。
「……誰じゃ!?」
「貴方がアリストテレスさんね」
アリストテレスが驚いて顔を歪めた。
「お主は……確か、捕まったはずの」
「私の大将から託けを頼まれてるわ」
そう言うと、小麦は花凛から預かった手紙を取り出し、読み上げ始めた。
「えー……『おやあいなるアリストテレスどの』」
「……親愛なる、じゃ」
「『そのアリストテレスどの。今回の戦に至っては、貴殿のところてんお察し致すところ……』」
「心中、じゃろう」
「とっとにかく!」
何とか全てを読み終わると、アリストテレスは顎髭に手を当てて唸った。
「ふぅむ。つまりこのワシに、アレクサンドロスを裏切れ、と」
「そうなの?」
「お主が読んだんじゃろう。全く、こんな棒読みで謀反を唆されたのは初めてじゃわい」
アリストテレスが頭を掻いた。
「敵ながら良く調べておる。ワシが、アレクと不仲であること……」
「そうなの??」
「何も聞かされておらんのか」
老人が呆れるように言った。
前述の通り、アリストテレスはアレクサンドロス大王の家庭教師だったが、東方遠征中、歴史家カリステネスがアレクサンドロスによって処刑されたことで、2人の仲に溝が出来ていく。カリステネスはアリストテレスの親戚だった。実際、大王がバビロンで急死した際には、アリストテレスが毒殺したのではないか……という噂が流れるほどであった。
「でも……変ね」
小麦が首を傾げた。
「それって、元の英雄の物語でしょう? 貴方たちは、バッヂを手にしただけの別人じゃない。いくら元ネタが不仲だからって、貴方たちにまで影響があるの?」
「何じゃ。本当に何も知らんのか。ワシらはの、元ネタも元ネタじゃ。正真正銘、ワシは本物のアリストテレスじゃよ」
「え……?」
小麦がぽかんと口を開けた。
「ウソ……!?」
「本当じゃ。アレクサンドロスも、奴も墓から蘇った本物の大王なのじゃ」
「それって……でも」
「別にルール違反でも何でもなかろう。生き返りたいと願うのが、現代人だけだと思うたか? 遥か昔の、紀元前の人間だって、大会に参加する権利がある」
「待ってよ。じゃあ……」
「おふたりさん、そこで何を話しているのかな?」
不意に背後から声をかけられ、小麦は驚いて振り返った。いつの間にか扉にへファイスティオンが持たれかかっている。へファは、意味深な笑みを浮かべたまま、小麦を見据え目を細めた。
「驚いたな、お嬢さん……男を口説くのはまだ良いとしても、まさか君のストライクゾーンがそんなに高めだったなんて」
「ち……違うのへファ様! これには理由があって……!」
小麦が慌てて手足をバタバタさせた。
「君の方こそどうなんだ?」
「へっ!?」
すると、へファがツカツカと小麦に近づき、
「古代イスラエルの王・ダビデ……君こそ、こっち側の人間だろう?」
彼女の背後の壁に手をついた。
「か……壁ドン……!?」
「極東の、信長とかいう野蛮人に振り回され、随分苦労しているのではないのかな?」
「うぅ……それは……」
上から覆い被さるように覗き込まれ、小麦は思わず顔を赤らめた。
「よく頑張ったね。もう我慢しなくて良いんだよ」
「へファ様……!」
「僕の元に来い、ダビデ……いや、小麦」
「は、はい……!」
「二つ返事!」
アリストテレスが叫んだ。
「フフ」
へファイスティオンが、満足そうにほほ笑んだ。
「では早速、信長の居場所と、シェルターに入るための鍵。こっちに渡してもらおうか」




