ROUND 21 へファイスティオン vs アレクサンドロス大王
バビロンには『空中庭園』があったとされているが、実はまだ発見されていない。
この庭園は『世界の七不思議』の一つとされている。
『見る者の頭上に浮く、大規模な栽培』……果たして空中とはどう言う意味なのか?
一説によると、この庭園はバビロニアではなく、古代アッシリア帝国のニネヴェにあるものではないか、とも云われている。
ニネヴェには広大な王立庭園があった。現イラクの都市・モスルに位置していたニネヴェは、それはそれは活気に溢れた街だったという。
市場には布や青銅器が多数並び、また船で運ばれてきた香辛料やぶどう酒、無花果ビールなどが売られていた。城市の外にあった動物保護区域では、王族が戦車に乗ってライオン狩りを愉しみ、市内にあった図書館からはあの有名な『ギルガメシュ叙事詩』も発掘された。残念ながら神の怒りを買い、滅ぼされてしまったようだが。
同じように、バベルの塔の内部構造も聖書には記述がなく、詳細が分からない。想像で描くしかないのだが、ここは先行研究など、先人の知恵を大いに借りたい。
一般的な聖塔は、神殿ではあるものの居住区があり、男女の神官が参拝者をおもてなししていたらしい。バベルの塔を描いた絵画は数多く残されているが、最も有名なのはブリューゲルの描いたものであろう。それまで多くの画家が塔を四角柱で描いていたが、彼は初めて『バベル』を円錐状で描き、後世に大きく影響を与えた。
ブリューゲルの『バベルの塔』。
工事中の絵だが、既に塔の天辺は雲を突き抜けている。絵の中に描かれていた人を仮に170cmとすると、この時点で塔の高さは約510mになるらしい。東京タワー以上スカイツリー以下といったところで、完成すれば700mは超える代物になっていたようだ。
かつて、漫画家の大友克洋と、コラージュ・アーティストの河村康輔が独自解釈でブリューゲルの『バベルの塔』の内部を描く……という企画展があった。残念ながら筆者は当時の展覧会には行っていないが、かねてからブリューゲルのファンだという大友は、
「塔の左側に川が流れている。そして手前にきちんと出口があり、これはきっと、塔の真ん中にも川が流れているに違いないと思った」
と語っている。なんと、建物の中に川が流れている、そんな巨大な建築物だった……のかもしれない。
余談終わり。
へファイスティオンに見つかった小麦は、衛兵に連れられ、そんな謎だらけの『塔』を登った。
「へぇ〜ここがあの『バベルの塔』なのね……うわ〜すごい! まさかあんなところにこんなものが……ここの構造が、こんな風になっていただなんて」
「キョロキョロするな! こっちだ!」
やがて頂上に着くと、アレクサンドロス大王が玉座で待っていた。
「王。例の小娘を連れてきました」
「良くやった。下がって良いぞ」
アレクが頬杖をしたまま退屈そうに欠伸した。そのままジロジロと、珍しい動物でも見るかのように小麦の全身を眺め回す。小麦はゴクリと唾を飲み込んだ。敵に捕えられ、絶体絶命のピンチだから……ではない。
相手を眺め回しているのは彼女も同じだった。へファなんとかもギリシャ彫刻のような美男子だったが、こちらも中々の上物である。
いけない。
私ったら、こんな時に何を考えているのかしら。
『古代ギリシャに転生したら、王族から溺愛されて困っています』
なんて、ヤダァもう!
「困ったわね……」
小麦は思わず舌舐めずりをした。甲乙付け難い。
たとえるなら、へファおぢが真面目な優等生タイプで、アレクおぢは、ちょっぴりヤンチャな体育会系タイプって感じ?
どっちを頂いちゃおうかしら。
うーん。将来を考えたら、へファおぢの方が身持ちが固そうで、安泰よね。だけど、アレクおぢだって、腐っても王。金はたんまりと持っているはず。より刺激的な毎日を送るなら、アレクおぢの方が……女として惹かれるのは……でも……。
「……オイ! 聞いているのか?」
「へっ!?」
気がつくとアレクの顔が目と鼻の先にあった。不意に彼の吐息がかかって、小麦は仰け反りそうになった。慌てふためく小麦を見て、アレクがニヤリと嗤った。
「フフン。何やら邪なことを考えているな」
「へぇっ!?」
「貴様の考えつきそうなことなど、手に取るように分かるわ。今更逃げようだとか、賢しらな真似はよせ」
「さ……さすが王っ! 何でもお見通しなようねっ!」
「それで? 仮に貴様の肉を食べれば、私も不老不死になれるのか?」
「えぇっ……!?」
アレクの細い指が小麦の頬をつう……っと撫でる。小麦は今度こそ本当に仰け反った。
「食べ……!? そんな、いきなり……ダメよ! なろう小説じゃないんだから!」
「さっきから何を興奮しておるのだ貴様は」
「その……! まずは婚約破棄から……!」
「まずはとは何だ。破棄も何も、貴様と私は婚約しておらん」
それからしばらく、小麦は顔が熟した林檎のように真っ赤になり、モゴモゴと口籠るばかりで、会話が成り立たなくなってしまった。アレクは諦めて従者を呼んだ。
「もういい。この女を地下牢に閉じ込めておけ」
「あばば。あばばばば」
「芥川龍之介か貴様は」
小麦が去った後、玉座の横に控えていたへファが、クスリと笑った。
「朝食は『日本人のソテー』にしますか?」
「フン」
アレクはやれやれと言った表情で、玉座に深く腰掛けた。
「『欲望は満たされないことが自然であり、多くの者はそれを満たすためのみで生きる』。先生の言葉だよ。然るに、科学も魔法も万能ではない。なるほど不老不死は、確かに万人が求める夢物語かもしれないが」
「アレク……」
「割れたグラスに水を注ぎ続ける者を、誰も王とは呼ぶまい。形在るものは何れ朽ちる」
「……残酷な運命ですね」
「在りもしない幻想といつまでも踊っていられるほど、人生は長くはないと言うことだ。一度死んでつくづく思い知ったよ。それに、私には何より成し遂げねばならぬ、夢の続きがあるのでな」
アレクが遥か天空を睨み、抑えきれぬ野心を胸にギラギラと目を輝かせた。やがて蒼天に陽が昇り、再び朝が始まる。
※
「あばば……」
囚人用の服に着替えさせられ。地下牢に追いやられた小麦は、そこで思わぬ人物と再会した。
「お姉ちゃん!?」
「あば……アンタは……!」
暗がりの向こうから、小さな影が手錠を揺らし、小麦に駆け寄ってきた。
「……花凛の弟じゃない!」
小麦は驚いた。そこにいたのは、まだあどけなさを残した日本人の少年……かつて斎藤道三バッヂを手に入れていた……東禅寺飛鳥だった。




