ROUND 1 織田信長 vs ダビデ
「……っしゃぁあっ! 『英雄ガチャ』当たりだっ!」
2時間前。高木憲正は狂喜乱舞していた。自分は運が良い。何せ『ダビデ』を引いたのだから。他の、名前を聞いても正直ピンとこない、『ナントカティヌス』とか『ナントカ一世』ではなく、正真正銘の世界史の英雄だ。
ダビデ。誰もが一度は耳にしたことがあるだろう。古代イスラエルの王にして、ソロモンの父、旧約聖書に登場する伝説の人物である。聖書の一説によれば、救世主はダビデの子孫から生まれるとされており、あのイエス=キリストも『ダビデの子』と言われるくらいなのだ。
つまりはイエス=キリストの上位存在。それが俺。正直、勝ち馬に乗ったと高木は思った。世界中の英雄が束になってかかっても、キリスト教とイスラム教の聖者に勝てる者がいるだろうか。それに、宗教的権威だけでなく、ダビデは肉体的にも強い。
弱者が強者を打ち倒した伝説の物語、『ダビデとゴリアテの戦い』はあまりにも有名だ。生まれつきの主人公。勝利を約束された者。2時間前、高木はニヤニヤが止まらなかった。同じ『ダビデさんチーム』の仲間とともに、世界最強の戦車と謳われる『M1エイブラムス』に颯爽と乗り込んで、嬉々として戦場に向かった。
世界最強の英雄と、世界最強の武器。
正に鬼に金棒だ。
負ける要素は一つもない。
そのはずだったのに……。
「はぁ、はぁ……っ!」
2時間後の今。身動きの取れなくなった戦車の中で、高木は操縦桿を拳で叩きつけた。
「……一体どうなってる!?」
戦車は動かなかった。混乱する頭で、彼は操縦手席から何度も叫んだ。右側前方の砲手席にいる仲間の『ダビデ』からは、ただただ悲鳴が返ってくるのみだった。すでに砲弾は粗方撃ち尽くしている。楽勝と思われていた戦いが、いつの間にか劣勢に追いやられていた。
開戦直後は好調な滑り出しだった。景気付けに敵の、安土城の城壁に120ミリ滑腔砲を撃ち込み、文字通り土手っ腹に風穴を開けてやった。ガラガラと土砂崩れのように石垣が崩れ、天守閣がメラメラと燃える姿は壮観であった。慌てふためき陣形を崩す旧世代の敵兵に、近代兵器の技術の結晶をもう何発かお見舞いしてやった。
このまま敵陣を、敵ごと複合装甲で踏み潰してやる、と勇んで前進したのだが……城に辿り着く前に、即席の落とし穴に嵌り、世界最強の戦車は敢えなくその機動力を失った。
「クソッ!」
城は目の前だった。それなのに。恐らく城の周りの堀を落とし穴として利用したのだろう。敵の卑劣な罠に嵌り、高木は顔を真っ赤にして操縦桿を叩いた。
「クソッ、クソッ!」
余談だが、近年戦車の悩みの種となっているのが、所謂ゲリラ戦法と呼ばれる非正規戦闘である。強威の主砲も精密射撃能力も、小回りの効き辛い市街地では苦戦を強いられている。IED(即席爆発装置)や携帯型のロケットランチャーで、ゲリラ部隊に至近距離から装甲の薄い部分を狙われるのだ。
高木の、『ダビデさんチーム』の『M1エイブラムス』もまた同じ運命を辿った。近くに潜んでいた敵兵に弓矢を、長槍を撃ち込まれ、更には沼地に足を取られ、思うように身動きが取れない。高木は歯軋りした。
楽勝だったはずなのに。
世界最強の戦車が、鉄砲伝来で喜んでるような古代人に負けるはずがないのに。
「クソォッ……」
その時だった。不意に天井が、戦車のハッチが開き、頭上から白い光が降り注いだ。高木は思わず目を細め、顔の前に手を翳した。指の隙間から、小さな人影が見える。
「お前さぁ」
逆光の中、人影が言った。動けなくなった戦車の上に、誰かが立っている。
「初っ端から自分の武器晒してたんじゃ、そりゃ対策されて当然だろ」
「お前は……!」
聞き慣れない声。赤みがかったミディアムヘア。胸元で揺れる真紅のリボンと、右手に握られた白刃。襟元で輝く英雄バッヂに、高木の目は吸い寄せられた。
「お前が『信長』か!」
驚いたことに、高木が戦っていた相手は、まだ中学生くらいの年端も行かぬ少女だった。セーラー服の少女が、澄んだ瞳で高木を見下ろして、何とも邪悪な笑みを浮かべた。
「オゥ、テメーが『ダビデ』だな。誰だか知らんが、とりあえず首よこせ」
「くっ……!?」
ニヤニヤとした笑みと共に、すう……っと白刃がハッチの中に降りてくる。高木は咄嗟に腰の軍刀に手を伸ばし、応戦しようとした。まだだ。敵の大将を討ち取るまでこの『ゲーム』は終わらない。確かに戦車は無力化されたが、それだけでは勝負はまだ決まっていない。
降りてこい。高木は軍刀を構えながら、静かに、獲物が死地へと飛び込んでくるのを待った。小娘が。何が信長だ。ダビデを舐めるなよ。小柄な羊飼いを。腕力と体格で劣る相手に、持ち前の機転と勇敢さで勝利をもぎ取って来た英雄を。世界史と日本史じゃ、規模が違うんだからな、規模が。
乱闘に持ち込めば勝機はある。高木はそう踏んでいた。だが……
「待て」
……ハッチの外側、高木からは見えない位置から、もう1人の声がした。声から察するに、こちらもまた少女である。果たして青みがかった長髪の、最初の『信長』と同じような歳の少女が、冷静にこちらを覗き込んだ。彼女もまた、『信長バッヂ』を襟元に付けている。
「中に入るな。わざわざ危険を犯す必要はない。別に首にこだわらんでも良いんだからな……」
「じゃあどうすんだ?」
「そうだな、たとえば……」
言いながら、青髪の少女は手にしていた桶の中身を、戦車の中にぶち撒けた。
「ぶぇっ!?」
上から液体をかけられた高木たちは、その異臭に思わず顔を顰めた。戦車の中がたちまち水浸しになる。これは……この液体は……!
「……油!?」
「『本能寺の変』だ」
「ま、まさか……!」
「ハハハ! そりゃ良い! テメーも随分非道いことを考えるようになったな……頭信長にヤラレちまったんじゃねーの?」
「黙れ。貴様と一緒にするな、宇喜多舞」
青髪の少女が、隣にいた少女をギロリと睨んだ。宇喜多舞と呼ばれた少女は、小さく肩をすくめ、ポケットから百円ライターを取り出した。砲手席にいた仲間が、顔にかかった油を拭いながら、ぶるると体を震わせた。
「まさか……やめろ……!」
「お願いだ、やめてくれ……!」
「じゃあな、オッサン。恨むなら明智光秀を恨めよ」
「う……うぉぉぉぉおおおおッ!」
万事休す。こうなったらもう、なりふり構ってはいられなかった。高木は軍刀を手に、飛び上がるようにして少女に斬りかかった。
勿論今まで、生前、人を殺したことなどない。だが此処では、殺さなければ殺される、これはそういう『ゲーム』なのだ。闇の奥で哄笑う死神の用意した、人間の生命を弄ぶ究極の『デス・ゲーム』。
即ち、戦争である。
「おおおおおおおおおおッ!」
高木は素早く手を伸ばした。研磨を重ねた軍刀の切先が、少女の白い肌に食い込んで、その胸に真紅の花を咲かせる……正にその時だった。
不意に視界の右半分が真っ赤に染まり、高木は思わず片目を瞑った。最初は、返り血を浴びたのだと思った。だが、何故だか右手に手応えはない。それどころか、握力が、全身の力が萎んで行くのを感じ、彼は急激に薄れ行く意識の中、ただただ困惑していた。
熱かった。顔が、全身が燃えるように熱い。そのまま高木は墜落するように、足元の水溜りにグシャリと倒れ込んだ。その上に、仲間の、もう1人のダビデの体がドサリと降ってくる。
立ちあがろうにも、体に力が入らない。息。息が吸えない。呼吸が肺に入ってこない。これは一体どう言うことだ? 一体何が起きている? 俺は……俺は、伝説の英雄……ダビ……デ……
「………かひゅッ」
……それから数十秒後、高木憲正は出血多量で死亡した。彼は最後まで、自分が頸動脈を斬られたことに気づかなかった。足元の水溜まりは、油と、首から流れた彼の血で毒々しい赤黒に染まっていた。
「ハーハハハ! 敵は戦車にあり!」
やがて戦車は、『M1エイブラムス』は爆音と共に業火に包まれ、戦場には兵たちの勝鬨の声が上がった。