ROUND 17 チンギス=ハン&フビライ=ハン vs ジョージ=ワシントン&エイブラハム=リンカーン
『さぁあーッ、始まりました!
《チンギス=ハン&フビライ=ハン》
vs
《ジョージ=ワシントン&エイブラハム=リンカーン》ッ!
世界人口の約半分を統治したモンゴルの英傑と、アメリカ合衆国を築いた大統領2人ッ!
今大会屈指の好カード、まさに世紀の対戦ッ!』
放送席では、実況者が興奮気味に唾を飛ばした。
『ご覧ください、会場はもう満員ですッ! 大勢のファンが待ち望んだ決戦、一体どのような戦いが予想されるでしょうか、解説のイサベルさんッ!?』
眼下には両軍の兵士がずらりと並んで向かい合っていた。南に陣取るのがモンゴル軍、そして北がアメリカ軍である。両軍とも、戦が始まるのを今か今かと待ち侘びていた。民族楽器だろうか、打楽器や無簧楽器の独特な音色が、否応なしに戦場の熱気を昂めて行く。
「そうですね、時代的には、両者にはおよそ700年ほどの差があり、武器の性能では明らかにアメリカ勢にアドバンテージがありますが……」
実況の横で、スペイン建国の母・イサベルが、縦ロールの髪の先を指でくるくると弄び、落ち着いた声で解説した。
「しかし当時のアメリカ軍はほとんどが民兵、志願兵です。鍛え上げられたモンゴルの弓騎兵に比べ、兵士の能力も経験値も、月とスッポンと言えるでしょう」
アメリカは植民地時代、常備軍を持たなかったため、地方のパートタイム兵士が独自の自警団を築いていた。自分の身は自分で守る。法律よりも私刑。暴力の正当化と自警主義は、アメリカの伝統とも云える。しかし、一般の民兵は士気も技術も乏しく、自制心に欠け、また大多数が粗暴であった。独立戦争を率いたアメリカ初代大統領・ジョージ=ワシントンは、
「全体として民兵が非常に役立ったか、あるいは足手まといだったかを明らかにするように求められたら……後者と言わざるを得ない」
とコメントしている。
そのおよそ80年後。
第16代大統領エイブラハム=リンカーンが南北戦争を戦った時も、アメリカではまだ軍の編成や訓練が思うように出来ていなかった。当時のアメリカ常備軍は1万6000人程度に留まり、反乱を起こした南側に至っては正規軍もおらず、海軍さえ存在しなかった。
南北両方とも、戦争をやる準備すら整わないまま内戦に突入したのである。
※余談だが、北軍率いるリンカーンは当初苦戦した。軍の将校クラスはほとんど南部出身者だったため、序盤は南軍側が有利に戦いを進めた。
それが、かの有名なゲティスバーグ演説、
「government of the people, by the people, for the people」
『奴隷解放宣言』によって、最終的には約20万人ものアフリカ系アメリカ人が北軍に入隊することになる。
宣言による兵力の補充、すでに奴隷を廃止していたイギリスやフランスの支持、自営農地法……など、巧みに味方を増やして行ったリンカーンは、見事北軍を勝利に導いた。
もしあの時南軍が勝っていたら……自由の国アメリカはなかったかもしれない。
今や世界最強の軍事大国となったアメリカ合衆国にも、そんな時代があった。
対するモンゴル帝国では、
男女とも、幼少期から乗馬と弓術の英才教育を施されてきた。
モンゴルの弓騎兵は、鐙の上に立ったまま馬で前進し、後方へ矢を放つことが出来たと云われる。動物の角と腱で出来たモンゴル伝統の反曲弓を使いこなし、至近距離から放たれた矢は甲冑を貫通するほどの威力を誇った。射程距離はおよそ300m。
「南北戦争で一番使われたスプリングフィールド銃の射程距離が、約900mです。しかし、この銃は1分間に3発しか撃てませんでした。対する複合弓は速射性&連射性に優れ、1分間に20〜30射も可能と云われています。遊牧民族特有の戦略機動で、何処まで敵に迫れるかが鍵となりそうですね」
『疾い馬が全速力で駆け抜ければ、1分間で1000mの移動も可能ッ!』
これは分からなくなって参りましたッ!
実況者の死神が、今にも涎を溢しそうな勢いで叫んだ。
『来場者の賭け率は、五分五分と行ったところ……そして今ッ! 戦いの火蓋が切られましたッ! 両陣営が一体どんな武器を持ち込むのか……武器世界一を決める大会では、その選択も重要になってきます……』
言っているうちに、両者の間合いがどんどんと近づいてくる。
南側に広がる大草原。
それを埋め尽くさんばかりの馬が、一斉に駆け出した。大軍を率いるはモンゴルの蒼き狼・チンギス=ハンである。※ここで言う『蒼』には、中国語で『灰色』の意味も含まれる。
かつて作家の司馬遼太郎は『街道を行く』の中で、
「狄は漠然と北方の非漢民族をさす言葉だが、文字に“犬のようなやつら”という気分がある。
犬のように素早く、
犬のように群れをなし、
犬のように剽悍で、
犬のように中国文明に無知であるところに、
草原を駆ける狄の集団の蒼穹を虹のつらぬくようなたかだかとした爽快さが感じられないか」
と語っている。
万里の長城の、高い壁の向こう側に棲む、遊牧民族。
同じ土地に棲み続ける農耕民族とは、価値観も考え方もまるで違う。それで、中国とはたびたび衝突を繰り返してきた。
そもそも遊牧民は土地を所有しない。困ったら奪えば良い。たとえ敵を捕虜にしたところで、農地がないから、農奴にするわけにもいかない。かといって連れて歩くのも手間だ。だから、敵は皆殺しにした。実に合理的である。
『さらに距離が縮まる……! そして……撃ってきた! 最初に動いたのはアメリカですッ! 銃の、あの聞く者を怯ませる不気味な轟音が戦場に響くッ! 遠距離からの射撃攻撃だぁっ!』
銃が何故覇権を奪ったかというと、それは扱いやすさに他ならない。
素人を訓練なしで一人前の殺人鬼に変える。
刀や弓に比べ、熟練の技も厳しい稽古も必要ない。
北側の大地、地平線の彼方までずらりと並んだアメリカの鉄砲隊が、一斉に射撃を開始した。もうもうと白い煙が立ち昇り、周囲はまるで霧に包まれているかのようになった。信長も十八番にしたと云う三段撃ちで、次々と兵士を落馬させて行く。
「あれは……『人間の盾』!」
実況席で、イサベルが何かに気がついたように息を呑んだ。モンゴル帝国は捕虜を最前線に立たせ、人間の盾として使用した。日本に攻め込んだ元寇でもこの人質戦法は使われた。勿論現代では戦争犯罪なので、悪しからず。
最初の銃声が収まった。
先立って捕虜が撃たれたのを見て、後方に控えていたモンゴル兵が素早く馬を乗り換えていく。
モンゴル兵は1人あたり20頭の馬を用意し、疲れたら乗り換えていたと云われている。だからこそ長距離を楽々と移動できた。こうして、東は中国から西はトルコまで、世界最大規模の大帝国を築き上げた。
……と、何だかここまでモンゴル兵の残酷な面ばかりが強調されてきたが、これは世界中、乱世では何処も似たようなものである。一度戦が起これば、放火や強姦など略奪行為は黙認されていた。これを一切禁止にしたのが、天下一統を間近にした織田信長である。
一応、チンギス=ハンも素直に降伏した者は公正に扱い、また現地の宗教もそのまま認め、モンゴルの慣習を強制することはなかったと云う。さすが数多の遊牧民をまとめ上げたリーダー、軍事だけでなく統治能力にも優れていたようである。
むしろ残酷な面を進んで強調していたのはモンゴル兵自身であり、そうやって敵の士気を挫く狙いがあった。彼らは戦う前にまず使者を送り、如何に自分たちが危険で野蛮な奴らかというのを声高に喧伝した。蒙古襲来の前にも、チンギス=ハンの孫・フビライ=ハンは何度か日本に使者を送っている。
「臆病者の目には、敵は常に大軍に見える」
というのは織田信長の言葉だが、要するに降伏を促す一種のプロパガンダであった。
では実際には残酷ではなかったのかというと、残酷だった。物凄く残酷だった。抵抗する者には徹底的な大虐殺と破壊活動を行い、世界中を震え上がらせた。
「人間の最も大きな喜びは、敵を打ち負かし、これを眼前よりはらい、その持てるものを奪い、その身よりの者の顔を涙にぬらし、その馬に乗り、その妻や娘をおのれの腕に抱くことである」
と、こちらはチンギス=ハンの遺した言葉である。
もしあの時元寇が成功していたら……今の日本はなかったかもしれない。
『最強と最狂の邂逅ッ! 数百年の時を経て、両者が今打つかり合う……と、あれは?』
不意に実況の声に戸惑いが混じった。
観客が頭上を見上げ、ざわつき始めた。空は晴れているのに、西の方から、徐々に暗くなっていく。黒天に染め上げていたのは、大量の烏だった。積乱雲と見間違うほどの大量の烏が、こちらに向かって飛んできていた。戦場はたちまち夜と化した。
「何だ……これは……!?」
不意に、アメリカとモンゴル、両陣営の英雄・バッヂ持ちが不思議な膜で包まれていく。へファイスティオンの『魔法障壁』だった。有望な人材だけ魔法の水晶玉で確保しようというのだ。
『アレクサンドロス大王!』
実況が叫んだのと、太陽にも似た光が炸裂したのと、ほぼ同時であった。戦場は真っ暗なキノコ雲に包まれ、やがて黒い雨が降り注ぐ。
「フフ……私の核兵器は12000発あるぞ」
バビロン神殿の玉座から、大王が不敵に嗤った。




