ROUND 14 織田信長 vs ナポレオン・ボナパルト⑬
よく信長は、短気で、直情的な人物として描かれることが多いと思う。
しかしそれはあくまで一面で、緻密で計画的な性格も持ち合わせていたように思える。
たとえば、信長包囲網を敷いた足利義昭と対峙した時のこと。
天正元年。
信長が洛中に放火すると明言し、京の人々は大騒ぎとなった。その裏で、彼は京都・吉田神社の神主を呼び出し、「南都北嶺が破壊されれば王城の災いとなるか」とこっそり尋ねている。また、義昭が禁裏でどのような評判なのかもしきりに気にしていた。
その後信長はまず洛外、西京嵯峨・賀茂辺りに放火し、その時点で義昭に和議を申し立てている。義昭が和議を蹴ると、御所を包囲し上京を焼き尽くした。
また比叡山焼き討ちの際も、まず事前に交渉し、焼き殺す前に二度も警告を送っている。このように、信長はやたらめったら正面衝突している訳ではなく、彼なりに手順を踏んでいるのである。
さらに言えば、明智光秀を始め、松永久秀、別所長治、荒木村重……などなど、信長を裏切った武将は数知れないが、久秀に関しては二度も許しているし(二度も裏切られた、とも言えるが)、村重の謀反の際は、信長は事態を信じられず、「一体何の不満があるのか」と光秀や秀吉にまで説得に行かせたりもしている。
でなければ、戦国時代は生き残れまい。無謀な喧嘩を吹っかけているだけでは、たちまち周りは敵だらけとなり(実際信長の周りは敵だらけだったが)、潰されるのが落ちである。激情に駆られるだけでなく、冷静に情勢を分析し俯瞰する眼も、彼は持ち合わせていた。
とは言え。
とは言え、一面はやはり、一面に過ぎない。短気で、直情的で、激情家な一面もまた、信長の性格を表す重要な面の一つである。たとえば、長島一向一揆。
数年に渡るゲリラ戦の末、信長は2万とも言われる門徒を虐殺した。兵糧攻めとともに、四方から火を放ち、降伏を申し出て船で逃げようとする人々を銃で乱射。その後の越前一向一揆でも、山々谷々までくまなく敵を捜索し、悉く首を刎ねたと言われる。
比叡山焼き討ちの際は、「悪僧は別として、どうか私どもはお許しください」と懇願する女性や子供までも、次々に首を落として行き、麓は数千の死体で埋め尽くされた。
かつて信長を狙撃した杉谷善住坊は、首から下を生き埋めにされ、竹製の鋸で時間をかけてじっくりと処刑された。
とある現場で、足軽の1人がふと女性の顔を覗き込んだところ、それだけで信長は刀を抜き、無言で首を刎ねてしまった……などなど。この辺りのエピソードは余りにも有名で、語り尽くされている感もあるので、紹介だけに留めておく。
殺ると決めたら容赦がない。一度火が着いたら最後、信長の怒りが収まるまで、殺戮は留まることを知らない。彼が畏れられている所以である。
さて、安土城では。
7階の天主から今にも飛び降りようとしていた舞を、花凛が必死に押さえつけていた。
「落ち着け!」
背中にのし掛かられ、首根っこを掴まれた舞が、何事か口走った。およそ此処では書けないような罵詈雑言である。
「アレはただの烏だ、武器に違いない。持ち主は別にいるはずだ」
「誰だよ!?」
こめかみに青筋を立て、舞が唾を撒き散らしながら怒鳴った。
「人の獲物を横取りしやがって! 何処のどいつだ!? ぶっ殺してやる!!」
「お姉様! お姉様!」
その隣では、横たわったエマに、妹のローズが大粒の涙を流して縋りついていた。
「死なないで! お姉様! お姉様ぁっ」
「心配しないでローズ……もう死んでるから」
精一杯の幽霊ジョークにも、ローズはクスリともしない。その間にも、エマの胸の血は、噴水のように溢れ出している。畳の上は、今や土砂降りの後のように濡れそぼっていた。
「助けてよ! ねぇっ!? お願い、お姉様を助けて!」
「…………」
ローズが髪を振り乱して舞たちを振り返る。花凛は黙ったまま、小さく頭を振った。弾が心臓付近を貫通している。ろくな医療器具もない以上、素人同然の彼女たちに施せる手は、何もなかった。気が付けば日は沈み、辺りは昏くなっていた。長く黒く伸びた山の影が、ゆっくりと天主の中へと忍び寄る。
「いやっ……、いやぁああああっ!?」
「ローズ……泣かないで……」
エマが血反吐を吐きながら、それでもほほ笑もうと口元を歪ませた。
「私は……私は貴女ともっと一緒に生きたかった。だから、この大会に参加したけれど……」
「いや! お姉様っ、お姉様ぁ!」
「いつの間にか……このバッヂを着けて……私は私を見失っていたのかも知れない……」
余談だが、ナポレオンは死の間際に四十以上の項目が並ぶ遺書を作り、また文章にして十頁以上にも及ぶ、当時10代の息子への助言を遺した。その中から引用を少し。
『”すべてをフランス国民のために”これが私の座右の銘である』
『息子の一切の努力は平和によって君臨することに向けられるべきである』
『決して戦ってはならない、またどんなやり方によってであろうとフランスに害を及ぼしてはならない』
『もしも、単なる模倣から、絶対的な必要もないのに、私のしたような戦争を再び始めようとするようなことがあったら、息子は猿に過ぎないものとなるであろう』
『私の息子はしばしば歴史を読み、歴史について瞑想せんことを。歴史だけが真の哲学なのである』
『……しかし、君がどんなに息子に言い聞かせようとも、息子がどんなことを学ぼうとも、息子にはほとんど役に立たないであろう。もし息子にして心の底に、あの聖なる火、あの善に対する愛を持たないならば』
……ナポレオンの対外政策には批判的な歴史家も、彼の創設した諸制度には肯定的な意見が少なくない。会計院、県庁、最高裁判所、国務院、名誉総監、フランス銀行、レジオン・ドヌール勲章(Ordre national de la Légion d’honneur)……今日まで続く公務員制度の基礎を造ったと言えるのがナポレオンである。
ポーランドの国歌には『ボナパルト』が登場し、英雄と讃えられる一方で、スペインでは今もなお国家を脅かした外敵として憎まれてもいる。『人喰い鬼』『悪魔』と断罪された暗黒伝説とともに、彼を礼賛する英雄伝説も多々語られ、いつしかナポレオンは自由とナショナリズムの象徴となった。
『それにしても、私の生涯は、何という小説であろう!』
ローズが涙を浮かべながらエマの手を握りしめた。徐々に生命の光が薄れ行く中、エマの瞳が舞を捉えた。エマが目を細めた。
「気をつけてね……貴女は……私みたいにならないで……織田信長にならないように……」
「…………」
「お姉様……ッ」
「それから……妹をお願い……」
「……嗚呼」
「お姉様……?」
「良かった……最後に……」
コップ一杯分の血をまとめて吐き出し、エマが柔らかくほほ笑んだ。震える手でナポレオンのバッヂを外す。
「私に戻れて……」
「……ッ」
「ローズの隣にいられて……英雄として、じゃなく……私として……死……ねて……」
それからエマは白い光に包まれ、泡のように溶けて消えて行った。血だらけになったジャケットを、しゃがみ込んだローズがキツく抱き寄せ、いつまでも泣きじゃくっていた。いつまでも、いつまでも。




