ROUND 10 織田信長 vs ナポレオン・パナパルト⑨
違いは主に三つある。
追ってそれを説明して行こう。
ナポレオン軍は進撃し、日本領へと侵入って行った。
「此処が日本……」
かつての憧れの地を踏み締め、エマ=ナポレオンが感慨深げに呟いた。
「進め! このまま真っ直ぐ、敵の城を落とすのだ!」
言いながら、額の汗を拭う。暑い。季節は夏だった。肌に纏わり付くような湿気で、たちまち汗が噴き出てくる。まるで蒸し風呂の中にいるようだ、とナポレオンは思った。
安土城は標高199mの山の上にあった。
城まで続く山道には、鬱蒼と緑が生い茂っていた。余談だが、筆者が現在の安土城跡を見に行った時も、木々の畝りがこれでもかと言うくらいに凄まじく、まるでトトロの森のようだと思った。道中、山の中はお墓ばっかりだし、戦国武将よりもお化けが出てきそうだった。麓にあった前田利家や豊臣秀吉の家の跡は、差し詰め「お前んち、お化け屋敷」……なんでもない。
話を戻そう。さっきまで活気立っていたフランス兵たちも、ふぅふぅと息を切らし、山を登るうちに、次第に顔を歪ませた。いわゆる『ナポレオン・ジャケット』を着ている兵士はまだ良い方だった。問題は甲冑を着ていた兵士である。
※ナポレオン時代の以前から、世界史に悪名高い『銃』が登場した。それにより『甲冑』の時代は終わりを告げようとしていた。当時のフルプレートアーマーの厚みは約1㎜〜2㎜である。
標準的な8㎜口径の火縄銃は、1㎜程度の足軽の鎧など簡単に撃ち抜けたし、さらに士筒と呼ばれるより大型の火縄銃では、口径は19㎜ほどにもなり、1キロ先の標的を撃ち抜いたと言う記録も残っている。
その対抗策としてナポレオン時代に活躍したのが
『胸甲騎兵』
と呼ばれる重騎兵である。
銃弾を跳ね返すため重たい鎧を着た。胸と背中を覆った『胸甲』は厚みがあり、その分重さはおよそ10kg〜15kgに及んだ。この『胸甲騎兵』こそがナポレオンの主力部隊である。重厚な鎧を着てヨーロッパ中を颯爽と駆け回り、他国を寄せ付けないほど圧倒的な強さを誇った。
ただしそれも、ヨーロッパでは……の話であった。
今、フランス兵たちは日本の大地を踏みしめていた。フランスというのは、もちろん地方で気候は違うものの、一年を通じて穏やかな気温で、暑すぎることも寒すぎることもない。日本と同じく四季があるが、東京より5℃前後気温が低く、さらに雨が少なく、より乾燥している。
この①気候の読み違いこそが、信長とナポレオン、第一の違いである。
筆者がまずナポレオンの弱点を挙げるとすればこれだ。彼はよく外国の気候を読み間違える。エジプト遠征然り、ロシア遠征然り。エジプトでは暑さを、ロシアでは寒さを軽く見たのか知らないが、両方とも疫病と飢餓に苦しめられ、それぞれ失敗に終わった。
総重量25〜30kgの重装備。ヨーロッパでは無類の強さを誇った胸甲騎兵も、他地域では本来の力を発揮できなかったのである。
一方で信長は、『桶狭間の戦い』に見られるように、気候を利用して優位に戦っている。
『信長公記』では、偶然にも
『激しいにわか雨が石か氷をなげうつように降り出し』
『北西を向いて布陣した敵には、雨は顔に降りつけ』
『味方には後方から降りかかった』
とあるが、果たしてこれは本当に偶然だろうか。部下たちの言うように『熱田大明神の神慮』なのだろうか。
では『長篠の戦い』はどうだろうか。
戦国最強と謳われた武田軍との戦いで、徳川家康から援軍の依頼を受けた信長は、14日に岡崎城に到着。だが本格的に戦いが始まったのは21日早朝からである。あれほど機を見るに敏な信長が、何故日を開けたのか。
信長は18日には長篠城前に到着していたが、そこで攻め入らず、まず柵を作り始めている。いわゆる『野戦築城』である。数で勝る信長・家康の連合軍が、即席の城を築き、敵の攻撃を待った。
これは例年の梅雨明けを待った信長の戦略なのではないか、と言う研究結果もある。かの有名な『鉄砲隊』も、雨の中では本来の力を発揮できない。
これらは別に新説というわけでもない。
実際、信長は雨を味方にして勝利を収めてきた武将である。
信長は鷹狩りが趣味だった。それは手早く地形を把握するためでもあるが、常日頃からそうやって、『自分が優位に戦う環境作り』に気を配っていたのだろう。
如何に自分の土俵に引き摺り込むか。一見、中央突破されたかのように見えた今回の戦局も、そのような信長の思惑があってこそであった。
「えぇい、何だこの暑さは!? 忌々しい!」
安土山にて。ナポレオンが吐き捨てた。慣れない異国の気候が、険しい山道が、徐々にフランス兵の足取りを重くし始めていた。ふと空を見上げると、山の所々で、白い煙が昇り始めている。
「あれは……」
エマ=ナポレオンが眉をひそめた。隣にいた老兵が首をかしげた。
「はて? 伝令、でしょうか?」
「いや……連中、火を起こし上昇気流を作って、雨を呼んでいるのだろう。『火の鳥 -未来編-』で読んだ」
「なんと……」
果たしてしばらくすると、本当に雨が降り始めた。信長十八番の『雨』である。実際に実験はしていないが、気象庁のホームページ『雲ができる仕組み』にもそう書いてあるから、多分出来るだろう。信長が気象庁のホームページを読んでいたかどうかは知らないが。雨に濡れた山道というのは、筆者も何度も転けたが、非常に滑りやすく大変危険である。ナポレオンたちもより慎重に行軍せざるを得なかった。
その間、山は不気味なほど静かで、敵の気配一つしなかった。織田軍と出会さないまま、ナポレオンたちは山の中腹へと差し掛かっていた。安土城の山道は幹の赤い巨木がたくさん生えていて、『赤い森』と言うか、何だか異世界にでも迷い込んだような気分であった。
山の天気は変わりやすい。雨脚が徐々に強くなってきた。ようやく拓けた場所に辿り着いた時、そこでフランス兵たちは信じられないものを見た。
「何だ……あれは……!?」
「うぅ……!?」
森の中に、大勢の女・子供たちが転がされていた。日本人だった。両手両足を縛られて、まるで捕虜のような姿である。これにはナポレオンも面食らった。
「これは一体……?」
「助けて……お願い……」
「助けて……!」
痩せ細った女・子供たちが、フランス兵に気付き、弱々しい声で助けを求める。武器を隠し持っている様子もない。
「縄を解いてやれ」
そう命令して、フランス兵たちが近づいた瞬間、
「危ない!」
突然、藪の中から、幹の上から隠れていた弓兵が顔を覗かせた。
「敵襲ーッ!」
四方から弓の雨が鉛の雨が注がれる。尖った鏃は、鉛の弾道は、明らかに捕虜の方へと向けられていた。ナポレオンが目を見開いた。
「バカな……!?」
間一髪、フランス兵たちが身を挺して捕虜を庇う。だが、決して全員が無傷と言うわけにはいかなかった。
「うぅう……!」
「痛い……痛いよぉ!」
怪我人も少なくなかった。中には致命傷を負った者もいる。予期せぬ奇襲。辺りは騒然となった。悲鳴と嗚咽が交錯し、濡れた大地に真新しい血が滴り落ちる。水たまりが赤く染まった。
「うけけけけ!」
騒然としているうちに、織田軍は蜘蛛の子を散らすようにいなくなってしまった。
「……怪我の治療を!」
呆然とする兵士たちにすぐさま下知を放ち、ナポレオンは敵のいなくなった方角を睨んだ。
「護るべき民をも囮に使うか……!」
そう呟いたエマ=ナポレオンの瞳は、激しい怒りに燃えていた。ブルブルと両手を震わせながら、彼女は拳をキツく握りしめた。
「外道どもめ……許せん!」
「ナポレオーネ先輩……」
「絶対に許せない……私の識っている日本人は……決して女・子供に手を上げたりしなかった! 勇敢で、誇りと慈愛に満ち溢れ、友情・努力・勝利を重んじ……」
「それは漫画の話では?」
「織田信長……かのような極悪人を、決して許すわけにはいかぬ!」
ナポレオンの怒気が大気を震わせた。
織田信長とナポレオンの違い。
二つ目を挙げるとすれば、②残虐性の違いだろうか。




