表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/45

ROUND 10 織田信長 vs ナポレオン・パナパルト⑨

 違いは主に三つある。

 追ってそれを説明して行こう。


 ナポレオン軍は進撃し、日本領へと侵入(はい)って行った。

「此処が日本……」

 かつての憧れの地を踏み締め、エマ=ナポレオンが感慨深げに呟いた。

「進め! このまま真っ直ぐ、敵の城を落とすのだ!」

 言いながら、額の汗を拭う。暑い。季節は夏だった。肌に纏わり付くような湿気で、たちまち汗が噴き出てくる。まるで蒸し風呂の中にいるようだ、とナポレオンは思った。


 安土城は標高199mの山の上にあった。


 城まで続く山道には、鬱蒼と緑が生い茂っていた。余談だが、筆者が現在の安土城跡を見に行った時も、木々の(うね)りがこれでもかと言うくらいに凄まじく、まるでトトロの森のようだと思った。道中、山の中はお墓ばっかりだし、戦国武将よりもお化けが出てきそうだった。麓にあった前田利家や豊臣秀吉の家の跡は、差し詰め「お前んち、お化け屋敷」……なんでもない。


 話を戻そう。さっきまで活気立っていたフランス兵たちも、ふぅふぅと息を切らし、山を登るうちに、次第に顔を歪ませた。いわゆる『ナポレオン・ジャケット』を着ている兵士はまだ良い方だった。問題は甲冑を着ていた兵士である。


 ※ナポレオン時代の以前から、世界史に悪名高い『銃』が登場した。それにより『甲冑』の時代は終わりを告げようとしていた。当時のフルプレートアーマーの厚みは約1㎜〜2㎜である。

 標準的な8㎜口径の火縄銃は、1㎜程度の足軽の鎧など簡単に撃ち抜けたし、さらに士筒(さむらいづつ)と呼ばれるより大型の火縄銃では、口径は19㎜ほどにもなり、1キロ先の標的を撃ち抜いたと言う記録も残っている。


 その対抗策としてナポレオン時代に活躍したのが

胸甲騎兵(Cuirassier)

 と呼ばれる重騎兵である。


 銃弾を跳ね返すため重たい鎧を着た。胸と背中を覆った『胸甲』は厚みがあり、その分重さはおよそ10kg〜15kgに及んだ。この『胸甲騎兵』こそがナポレオンの主力部隊である。重厚な鎧を着てヨーロッパ中を颯爽と駆け回り、他国を寄せ付けないほど圧倒的な強さを誇った。


 ただしそれも、ヨーロッパでは……の話であった。


 今、フランス兵たちは日本の大地を踏みしめていた。フランスというのは、もちろん地方で気候は違うものの、一年を通じて穏やかな気温で、暑すぎることも寒すぎることもない。日本と同じく四季があるが、東京より5℃前後気温が低く、さらに雨が少なく、より乾燥している。


 この①気候の読み違いこそが、信長とナポレオン、第一の違いである。


 筆者がまずナポレオンの弱点を挙げるとすればこれだ。彼はよく外国の気候を読み間違える。エジプト遠征然り、ロシア遠征然り。エジプトでは暑さを、ロシアでは寒さを軽く見たのか知らないが、両方とも疫病と飢餓に苦しめられ、それぞれ失敗に終わった。


 総重量25〜30kgの重装備。ヨーロッパでは無類の強さを誇った胸甲騎兵も、他地域では本来の力を発揮できなかったのである。


 一方で信長は、『桶狭間の戦い』に見られるように、気候を利用して優位に戦っている。


『信長公記』では、()()()()

『激しいにわか雨が石か氷をなげうつように降り出し』

『北西を向いて布陣した敵には、雨は顔に降りつけ』

『味方には後方から降りかかった』


 とあるが、果たしてこれは本当に偶然だろうか。部下たちの言うように『熱田大明神の神慮』なのだろうか。


 では『長篠の戦い』はどうだろうか。


 戦国最強と謳われた武田軍との戦いで、徳川家康から援軍の依頼を受けた信長は、14日に岡崎城に到着。だが本格的に戦いが始まったのは21日早朝からである。あれほど機を見るに敏な信長が、何故日を開けたのか。


 信長は18日には長篠城前に到着していたが、そこで攻め入らず、まず柵を作り始めている。いわゆる『野戦築城』である。数で勝る信長・家康の連合軍が、即席の城を築き、敵の攻撃を()()()


 これは例年の梅雨明けを待った信長の戦略なのではないか、と言う研究結果もある。かの有名な『鉄砲隊』も、雨の中では本来の力を発揮できない。


 これらは別に新説というわけでもない。

 実際、信長は雨を味方にして勝利を収めてきた武将である。


 信長は鷹狩りが趣味だった。それは手早く地形を把握するためでもあるが、常日頃からそうやって、『自分が優位に戦う環境作り』に気を配っていたのだろう。


 如何に自分の土俵(フィールド)に引き摺り込むか。一見、中央突破されたかのように見えた今回の戦局も、そのような信長の思惑があってこそであった。



「えぇい、何だこの暑さは!? 忌々しい!」


 安土山にて。ナポレオンが吐き捨てた。慣れない異国の気候が、険しい山道が、徐々にフランス兵の足取りを重くし始めていた。ふと空を見上げると、山の所々で、白い煙が昇り始めている。


「あれは……」


 エマ=ナポレオンが眉をひそめた。隣にいた老兵が首をかしげた。


「はて? 伝令、でしょうか?」

「いや……連中、火を起こし上昇気流を作って、雨を呼んでいるのだろう。『火の鳥 -未来編-』で読んだ」

「なんと……」


 果たしてしばらくすると、本当に雨が降り始めた。信長十八番の『雨』である。実際に実験はしていないが、気象庁のホームページ『雲ができる仕組み』にもそう書いてあるから、多分出来るだろう。信長が気象庁のホームページを読んでいたかどうかは知らないが。雨に濡れた山道というのは、筆者も何度も転けたが、非常に滑りやすく大変危険である。ナポレオンたちもより慎重に行軍せざるを得なかった。


 その間、山は不気味なほど静かで、敵の気配一つしなかった。織田軍と出会(でくわ)さないまま、ナポレオンたちは山の中腹へと差し掛かっていた。安土城の山道は幹の赤い巨木がたくさん生えていて、『赤い森』と言うか、何だか異世界にでも迷い込んだような気分であった。


 山の天気は変わりやすい。雨脚が徐々に強くなってきた。ようやく拓けた場所に辿り着いた時、そこでフランス兵たちは信じられないものを見た。


「何だ……あれは……!?」

「うぅ……!?」


 森の中に、大勢の女・子供たちが転がされていた。日本人だった。両手両足を縛られて、まるで捕虜のような姿である。これにはナポレオンも面食らった。


「これは一体……?」

「助けて……お願い……」

「助けて……!」


 痩せ細った女・子供たちが、フランス兵に気付き、弱々しい声で助けを求める。武器を隠し持っている様子もない。


「縄を解いてやれ」


 そう命令して、フランス兵たちが近づいた瞬間、

「危ない!」

 突然、藪の中から、幹の上から隠れていた弓兵が顔を覗かせた。


「敵襲ーッ!」

 四方から弓の雨が鉛の雨が注がれる。尖った鏃は、鉛の弾道は、明らかに捕虜の方へと向けられていた。ナポレオンが目を見開いた。

「バカな……!?」

 間一髪、フランス兵たちが身を挺して捕虜を庇う。だが、決して全員が無傷と言うわけにはいかなかった。


「うぅう……!」

「痛い……痛いよぉ!」


 怪我人も少なくなかった。中には致命傷を負った者もいる。予期せぬ奇襲。辺りは騒然となった。悲鳴と嗚咽が交錯し、濡れた大地に真新しい血が滴り落ちる。水たまりが赤く染まった。

「うけけけけ!」

 騒然としているうちに、織田軍は蜘蛛の子を散らすようにいなくなってしまった。


「……怪我の治療を!」


 呆然とする兵士たちにすぐさま下知を放ち、ナポレオンは敵のいなくなった方角を睨んだ。


「護るべき民をも囮に使うか……!」


 そう呟いたエマ=ナポレオンの瞳は、激しい怒りに燃えていた。ブルブルと両手を震わせながら、彼女は拳をキツく握りしめた。


「外道どもめ……許せん!」

「ナポレオーネ先輩……」

「絶対に許せない……私の識っている日本人は……決して女・子供に手を上げたりしなかった! 勇敢で、誇りと慈愛に満ち溢れ、友情・努力・勝利を重んじ……」

「それは漫画の話では?」

「織田信長……かのような極悪人を、決して許すわけにはいかぬ!」


 ナポレオンの怒気が大気を震わせた。


 織田信長とナポレオンの違い。


 二つ目を挙げるとすれば、②残虐性の違いだろうか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ