17
朝目が覚めたら急いで準備をし、逃げるようにしてエルパムを後にした。馬車がどこまで行くかなど気にせず、とにかくコロン樹海に近づく馬車に乗った。本当だったらもう1日か2日滞在する予定だったが、それどころではなくなってしまった。もっとエルパムを満喫したかったし、出発する前にハリアに一言挨拶していきたかった。考えれば悔やまれることは多くあるが、こうなってしまった以上仕方がない。全て解決したら帰りの道のりでまた寄ろう。左手首に着けたシルバーのブレスレットを触りながら、心の中でエルパムに別れを告げた。
正直今は誰のことも信じることができない。昨晩宿の窓から見たあの男とは背格好が違っていても、近づいてくる人がいるとあの男ではないかと疑ってしまう。そのせいで今乗っている馬車の持ち主が名乗っていたが覚えていない。馬車に乗っている間も何度か話しかけられたが、空返事になってしまった。
ロウワ―の首都エルパムから発ち、次は福祉大国クロアの首都ディニを目指した。この馬車はその道中のステアを目的地としている。ステアはロウワーの端に位置する街で、その先は国境を越えてクロアに入っていく。
ステアで馬車を乗り継ぎディニの手前にあるドルキに到着した。エルパムからここまで3週間ほどかかった。今までの街よりも間隔が広かったのに加え、道中で2つ山を越えた先の平地にドルキはあるため今までよりも時間がかかった。
馬車を降りて宿屋街までの道でも歩いている人が全員俺のことを見ている気がしてならない。荷物を抱えて自分の足元を見ながら見えないあの男を振り払うように足早に歩き続けた。
どこでもいいから空いている部屋を探そうと適当な宿に入ろうとしたら。出てきた老婦人とぶつかって相手が持っていた荷物を落としてしまった。
「すみません」
ぶつかった老婦人は謝ってから落とした荷物を拾い始めた。さすがに俺が下を向いて歩いていたのが悪いのに、無視して宿に入るというのは忍びないので荷物を拾うのを手伝う。
「ありがとうございます」
「いえ、俺が下を向いて歩いてたせいでぶつかったのでこれくらいしないと」
2人で拾ったら道に散らかった荷物もすぐに拾い終わった。
「ありがとうございます」
老婦人が頭を下げて丁寧に感謝を述べたが、忍びなさから手伝った俺としては感謝されるとさらに忍びなくなってしまう。
「いえ、俺が下向きながら歩いてたのが悪いので」
するとその老婦人は俺のことをまじまじと見ながら話しを続けた。
「あなた、大丈夫?」
「え?」
全く想像していなかったためそれ以上言葉を続けることができなかった。
「そんな風に荷物を抱えてるし、すごく怖がっているような顔をしてるから」
この老婦人には俺の恐怖心を見抜かれているようでむしろ恐怖が高まる。
「いや、大丈夫ですよ」
胸の内に高まった恐怖を隠し切れずに声に動揺が出てしまう。
「そうなの?まあ大丈夫ならいいんだけど。もし何かに怯えてるなら大丈夫よ、この国では困ってる人を見て見ぬふりなんて絶対しないから。それにこの宿に泊まろうとしてるなら危険な人はいないから大丈夫よ」
「なんでこの宿は大丈夫とわかるんですか?」
「ここは私の宿だからよ」
そう言って老婦人は人波に消えていった。この宿の持ち主だったのか、いい人そうな老婦人だった。
ひとまず宿で部屋を借りてベッドに座り一息ついた。外にいるときはずっと警戒しているためどっと疲れが来たが、ここには俺1人しかいないということで宿の部屋では安心できる。ベッドに横になりながら宿の前で老婦人に言われたことを思い出す。
この国では困っている人を見て見ぬふりは絶対にしない。
その言葉ではっとなり心に張り付いていた暗い何かが剥がれ落ちていく気がして、俺の頭の中にヨシアやヒストなどここまでの馬車で出会った人たちの顔が浮かんだ。
俺はあの男に対する恐怖のあまり人の優しさという大切なことを忘れていた。俺がヴィオラからここまで来るのに受けた優しさを、俺も人に優しさを与える人になりたいを思っていたことを忘れていた。エルパムからここまで乗った馬車の御者や泊まった宿の受付の顔すら見ていなかった。正直その人たちの顔も覚えていない。今になってその後悔が罪悪感となって俺の心を刺した。あの男に対する恐怖は消えないが、それでも向けられた優しさを振り払うのは違う。
俺はあの男への恐怖のせいで正常な判断を失っていた。あの男に何かされるのではないかと恐れていたが、考えてみれば人が大勢いる街中や人の出入りを管理している宿の中では俺に手を出せないはずだ。つまり俺が意識して人通りの少ない道を避けたり、夜はなるべく宿にいるようにすれば身を守れるはずだ。過度にあの男を恐れる必要はないんだ。
そのことを思い出させてくれたあの老婦人には感謝しなければ。もしもまた会う機会があれば直接感謝を言いたい。
俺はあの男を恐れていようと、どんなことがあろうと人への優しさを忘れないと誓い目を閉じ眠りについた。
どこか薄暗い部屋の中で荷物をかばんに入れている。何かに駆り立てられるように急いでいて詰め込んでいる。床には紙や本が散乱していて足の踏み場があるのかすら怪しいぐらいだ。手に持っているかばんの中には服などの生活必需品しか入っていないようだが、隙間から底の方にきらりと光る何かが見える。最後に上から袋に入った金を入れてかばんを閉じて部屋を出た。
朝になり荷物をまとめて受付で料金を払う。するとカウンターの奥から昨日の老婦人が出てきた。
「あら、あなたいい顔になったわね」
「はい、もう大丈夫です」
「そう、気を付けてね」
「ありがとうございます」
老婦人に頭を下げて宿を出る。次はクロアの首都ディニだ。福祉大国の首都はどんな顔をしているのだろうか。




