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視界が眩む。瞼が重い。徐々に世界が小さく、遠のいていく。自分の痕跡が消えていく。この世界に存在した証がなくなっていく。歩いた足跡もなにもかもがこの世界に消されていく。自分がいた世界に自分の存在を消される。ここで終わる。
目が覚めたら、知らない部屋にいた。どうやってここまできて、どうしてここにいるのかわからない。自分が誰なのか思い出せない。家族も友人もなにもわからない、思い出せない。わかるのは、自分がセガスという名前ということだけ。
考えても何もわからないので、とりあえず荷物を確認してみる。入っていたのはそれなりの量のお金と生活道具、そして気になったのは用途のわからない水晶のような球だけだった。とりあえず生活は困らなさそうなので一安心だ。だが、この水晶についてはなにもわからない。
布に包まれていたところを見ると、大切な物のように思えるが、見た目はただの水晶にしか見えない。ただし、普通の水晶とは違い、素材がガラスではなく簡単には割れそうにはない。金属でもなく何でできているのかは不明だ。きらきら輝いていたりするわけではないが、何か特別な魅力のようなもので引き込まれるようだ。
いったん荷物を片付けて今後のことを考える。生活に関しては問題ないが、現状について何もわからないのはかなりまずい。ということで受付に行って聞いてみることにする。部屋を出て階段を降りる。この宿はごく一般的な宿だ。受付に行きここがどこか聞いてみる。
「ここは、どこですか?」
そう聞くと、訝しげな表情で見られる。それもそうだ。自分の足でここまで来たのにここがどこかわからないのだ。怪しいに決まっている。しかも、自分でこの宿に料金を払い泊まっているのだ。かなり怪しい。
「ここは、リングスの王都ヴィオラです」
それだけ言うと、さっさと次の客を呼んでしまった。まだ聞きたいことはあったのだが、仕方ない。怪しい人とは関わらないのが一番だ。まあ、ここがどこかわかっただけでも大きな収穫だ。ずっとこの場にいても仕方ないので、外に出てみることにする。
外は王都というだけあってかなり栄えている。人が盛んに行き交い、道を埋めている。俺はその流れに身を任せて歩き始める。この辺りは宿屋と食堂が多く並んでいるようだ。通りに面した建物には客が絶えるなく出入りしている。
しばらく歩くと開けた通りに出た。そこは今までよりいっそう人通りが多く、所狭しと出店が軒を並べている。露店の後ろに建った建物の壁には装飾がしてあり、華やかな街並みになっている。辺りを見回してみると、少し離れた所に大きな城が見える。あれがここカンロの王が住んでいる城か。
とりあえず、城の方に歩き出す。通りではそこかしこから呼び込みの声が聞こえてくる。歩きながら街の様子を見ていると、祭りのような熱気を感じる。生活感というよりも、盛り上がりや熱狂といったものを露店と往来から感じる。
城まではまっすぐ一本道が続いている。どこまでも続く出店の列の後ろには、集合住宅が隙間を埋めるように建ち並んでいる。どれも3階建てや4階建て以上の高さがあるから上を見上げたときに空が狭い。中心の大通りには脇道が多くあり、その先にも多くの人と店が並んでいる。それらの道は、脇道というには余るほどの広さがあり、ここがメインストリートと言われれば信じてしまうかもしれない。
歩いている間ずっと肉の匂いや甘い匂いが鼻の奥をくすぐり、どうしても腹の虫が黙ってない。余裕があるとはいえ、何があるかわからないのであまり余計な出費は抑えたいのだが、ずっと香ばしい匂いを嗅がされていると我慢できない。とうとう誘惑に負けて露店で肉串を一本だけ買ってみる。タレが滴り落ちそうなりながら湯気と一緒に食欲を刺激してくる。串の先からひとつ口に運ぶ。目が覚めてから初めての食事はとても身に染みる。目が覚めてからというが、記憶がない分生まれて初めての食事のように感じる分より深く感動している。飲み込んだ後まで口の中に残る香りが俺を幸せで包んでいく。全て食べきった後にくる満腹感を噛み締めるのと同時に、無くなってしまったという悲しみも込み上げてくる。絶対にまた買いに来よう。
そんなことを考えているうちに城の前まで歩いてきていた。城の前まで祭りは賑わっている。城門が閉まっていて中の様子は確認できないが、そびえ立つ城壁には荘厳さを感じる。どのくらいの高さなのだろう。ずっと見上げていたら首が痛くなってしまう。この壁の向こうでこの国を動かしているのだ。わかってはいるが、実感は湧かない。
この国はどのくらいの規模なのだろうか。
壁を見上げながらふとそんな疑問が浮かんだ。城壁も城門も立派だ。さっき遠目から見た時に少し中の城が見えたが、そちらも相当立派なものだった。1周するには時間がかかりそうだ。まあ、そのうち分かるだろう。今は、もっとこの街を見て周りたい。通りの人だかりは左右を見渡してもまだまだ続いている。まだ明るいしもっと色々見て周ろう。
左に曲がり、また人の流れに身を任せて歩きだす。
陽が落ち始めたのでそろそろ戻ろう。通りが夕焼け色に染まっても人だかりは収まる様子を見せない。宿まで戻る途中で夕食でも摂ろう。これだけ大きな街なら飲食店もたくさんあるだろう。来た道を戻りながら辺りを見渡す。大通りを逸れるとさすがに人は減るが、それでも十分多い。
少し進んだところで大衆食堂のような店を見つけたので、そこに入ってみよう。中はごく一般的な食堂のようだ。混みあっていて、テーブル席はほとんど埋まっている。空いていたカウンター席に座り、料理と飲み物を注文する。飲み物が先に届き、料理を待っている間に周りの客の会話に耳を傾ける。
「いよいよ明日か」
「ああ、どうなると思う?」
「やっぱり難しいんじゃないか?」
「そうだよな。そもそも、実在するのかすらも怪しいもんな」
3つほど席を空けた所に座っている2人組の客が話しているのが聞こえた。どうやら、明日何かがあるようだ。この祭りはその前夜祭なのだろうか。
「明日何かあるんですか」
席を1つ空けた所に移動し聞いてみる。
「あんた知らないのか。コロン樹海にあるって言われてる世界の知恵を探しに行くってんで、出兵するのが明日なんだよ」
「世界の知恵?」
「それも知らないのか!?使えば何でも願いを叶えてくれて、不老不死でも死人を生き返らせることもできるっていう幻の秘宝らしい」
何でも願いが叶う?そんなものがこの世に存在するのか?
「それは実在するんですか?」
「さあな。大昔に大賢者様が作ったとされてるんだが、歴史書に書かれてるだけで国民はあまり信じてないただの噂話みたいなものだよ」
「そんな噂話程度のものを国王は信じて、国家規模で探しに行こうとしてるんですか?」
「それがな、その大賢者様ってのがこの大陸にある5つの国を作ったって言われてるんだ。だから、それらの国の王家は大賢者様を神様みたいに祀ってて、歴史書に書かれてることは全て真実だと信じてやまないんだよ」
なるほど。ここは大陸で、バイオを含めて5つの国があるのか。それで、5つの国の王家は大賢者を神とした宗教みたいなものなのか。
「その世界の知恵はどんな見た目なのかとか詳しい場所は分かってるんですか?」
「場所はコロン樹海ってことしか分かってないんだ。見た目は水晶みたいな球体って書かれてたり、冠だとか宝石のついた指輪って書かれてたりすることもあって、どれが本当なんだか分からないんだ。ただ、1番古い歴史書には大賢者様が作った未知の鉱石でできた水晶と書かれてるから、王家の人達はみんなそれを信じてるよ」
未知の鉱石の水晶。思い当たることがあった。
「分かりました。ありがとうございます」
「おう、いいってことよ。しかし、そんなこと聞いてどうするんだ?まさか探しに行こうなんて思ってないよな?やめときな、ただでさえ怪しいってのに、コロン樹海は大陸の反対側だから、4つの国を通って馬車で4・5ヶ月かかるうえに費用も庶民が払えるような額じゃないからな。その上、コロン樹海のどこにあるのかもわからないんだから探しようがない。探してる時に軍の捜索隊に出くわしでもしたらスパイかなんかと勘違いされて殺されるかもしれないしな」
「いえ、ただ気になったので聞いてみただけです。さすがに探さないですよ」
「そうか。ならいいんだがな」
そうだ。探さない。探す必要がないだろう。
確証はないが可能性はある。
話を聞いた2人組に礼を言ってから元いた席に戻り、出来上がった食事をかきこむ。今はすぐにでも宿に戻りたかった。
最後に飲み物で口の中に残っていた料理を流し込み、代金を払って外に出た。外はもう暗くなっていたが、辺りの飲食店の出入りで賑わっていた。
部屋に戻ってすぐ荷物を確認する。布に包まれた水晶。ガラスでも金属でもない不思議な素材でできている。さっき話で聞いたものと同じだ。だが、仮にこれが世界の知恵だとして、なぜ俺が持ってる?俺は何者なんだ?
使えば何でも願いが叶う幻の秘宝。どうやって使うのだろう。いや、使わないようにしなければ。使ったときに何が起きるか分からないし、使った後にどうなるかも分からない。
確かめる必要がある。コロン樹海に行こう。大陸の反対側にあると言っていた。まずは隣の国に向かわなければ。とりあえず今日のところは休んで、明日起きたら隣の国への行き方などを調べよう。
起きてすぐに荷物をまとめる。少ないのですぐに終わった。隣の国への行き方は受付で聞けるだろう。捜索隊と鉢合わないように早めに出よう。
身支度を終えて階段を降りる。受付に行き、隣の国の行き方を聞く。
「すみません、隣の国へはどうやったら行けますか?」
「隣の国というとシアンですね。でしたら、西門から乗合馬車が出ているので、そこでシアンまで行く馬車に乗れば行けますよ」
「シアンとの国境を超えるまでに街はいくつあるんですか?」
「シアンまではヴィオラを出たら順にバス、チェロ、リンがリングスの国内にある街です。そこから国境を超えてタルコ、リアン、そしてシアンの王都のバルトがあります」
街が5つか。どのくらいかかるのだろうか。どれだけ時間がかかってもいい、コロン樹海を目指すだけだ。
宿を出て西門に向かう。途中の屋台で朝食を買い、食べながら歩く。西門までは大きな通りが一本通ってるから迷わずに辿り着けるらしい。
朝食を食べ終わるくらいでちょうど西門が見えてきた。そこは乗合馬車の乗り場があるからか、かなり混みあっている。とりあえず、そのあたりに停めてある馬車の方に行ってみる。馬の様子を見ている人に聞いてみる。
「すみません。乗合馬車の受付はどこにありますか」
「受付はないよ。それぞれの御者に直接頼むんだよ。あんたはどこに行きたいんだい?」
「バルトに行きます」
「ほお、それはまた遠くまで行くんだね。申し訳ないけどうちの馬車はリンまでだからなあ。たしかあそこに停まってる馬車がバルトまでだったと思うから、聞いてみるといいよ」
指さされた方を見ると、そこには他の馬車によりも人が少なく、その代わり荷物が多い。
教えてくれた人にお礼を言ってそちらに向かう。
「すみません、バルトに行くと聞いたんですけど、まだ乗れますか?」
「ああ、乗れるよ。国から出ようって人は少ないからね。出発は30分後、8ゴールド先払いだがいいかい?」
8ゴールド。屋台で売っていた食べ物が3から5カッパー程だったからかなり高い。この国の金銭感覚はわからないが、隣の国でこの値段だったら大陸の反対側にあるコロン樹海まで行くならかなりの余裕がないと無理だろう。
「はい。お願いします」
「確かに8ゴールドだね、10分前から乗れるから遅れないようにな」
代金を渡して荷物を馬車に積んで一回その場を離れて設置してあるベンチに腰掛けた。周りには馬の世話をしている御者や馬車に荷物を積んでいる人、馬車に乗り込んでいる人や待っている人などが大勢いて忙しない。衛兵の検査を受けて門から出ていく馬車も多い。あの馬車の列はどこに向かうのだろうか。国から出ていく人は少ないらしいが、荷物の輸送で出ていく人はどのくらいいるのだろう。俺もあと30分後にはあの門から出てこの国からを後にする。外はどんな世界が広がっているのだろう、楽しみだ。ここにはもう来ないかもしれない、もう少しだけこのお祭りを満喫しよう。
立ち上がって屋台の並びに向かって歩き出す。また忘れることがないように。