私にはとにかく顔のいい幼馴染みがいます。
私の幼馴染みは顔だけが頗るよく、なにをやらせてもダメな男性。
ですがそんなところも可愛く思えてしまう程、お顔がいいのです。
私の人生の中でもし、『奇跡』と呼べることがあるとするならば、一つ目はまず彼に出会ったことでしょうね。
──その日、私の人生でふたつ目の奇跡が起きるとは、この時はまだ思いも寄りませんでした。
「システィーナ! 貴様との婚約を破棄する!!」
「……あらまあ」
私は幼馴染みで婚約者でもあるクノーバー伯爵令息に招待され、邸宅に赴いておりました。
なんと、待っていたのは婚約破棄劇。
噂には聞いておりましたが、こんなことを実際にやる馬鹿が身近にいるとは思いま……
──いえ、これは「ちょっと思ってた」と言ってもいいのかしら?
なにしろご両親が不在の時に『友人達とパーティーを開く』とのこと。
しかも珍しく、私もお呼びになったのです。
婚約破棄劇とは思いませんでしたが、なにかあると予想はしておりました。
ただこの婚約はそもそも、お世話になっているクノーバー伯爵家のおじ様おば様に頼まれて、仕方なく不良債権を引き取って差し上げたかたちです。
幼馴染みのよしみ、というか。
別に解消したいというならしてさしあげたというのに、わざわざこんなことをする理由がまるで見当たらない……そんなところが『ちょっとしか思わなかった』理由です。
だって物語や舞台だと『次のお相手との身分差』等、なんらかの障害があるからこそ。それを解決する手段として、婚約破棄劇に繋がるのではなかったかしら?
彼の場合、元々顔しか良くないのにそれを駆使しても貴族家に婿入りさせることは叶わず、幼馴染みの男爵令嬢というほぼ平民の私に婿入りさせようとしたぐらいですから、相手がいたとしてもお察し。
十中八九、平民の娘に違いありません。(※一割は彼と同じ位の阿呆令嬢である可能性を考慮)
私との婚姻を逃したら、おそらく彼は即座に家から出されます。なら、なにも障害などないではありませんか。
なんでわざわざこんな真似をしたのか謎過ぎますが、こうなると最早、呆れを通り越して天晴です。
(なんで聡明なおふたりから彼が生まれ、こう育ってしまったのか……おじ様おば様の苦労が偲ばれますわ~)
私は遠い目にならざるを得ませんでした。
しかし如何に努力をしても、そう思ったようにはいかないものですものね。
ああ、我が子のような商会を持つ私にも、少しわかりますわ。
ですが、幸いにして彼は、お顔だけは良いのです。
おじ様とおば様もそれぞれ素敵ですけれど、彼はお二人のいいところを選びとったかのような美しいお顔をなさっています。
天は二物を与えず、という言葉に説得力を感じずにはおれませんが、ひとつでも与えられただけ良かったと思います。多分。
「貴様のような地味で色気もない女、私の隣には相応しくない!!」
子育ての難しさと運命の無情さに思いを馳せていると、調子に乗った彼がドヤ顔でイキってきやがりました。
『ドヤ顔でイキってきやがる』──下町ではこのような場合、こう表現するのが正しいらしいですが、合っているかしら?
兎にも角にもそう宣うと、近くに控えていた女性を隣に引き寄せます。
「私に相応しいのは、この美しく可憐なジョディだ! 皆、私の新しい婚約を祝ってくれ!!」
その言葉に賛同するかのような、周囲からの拍手と私に向ける嘲笑。
ですが生憎、そんなモノに傷付く私ではございませんの。
「うふふ」
漏れるのは失笑です。
だってこんな滑稽で可笑しなことってあるのかしら?
「なにがおかしい!」
「『地味で色気がない』のが嫌……つまり『華やかで色気がある』のが貴方や貴方のお友達の女性に対する価値なのですわね。 それを公然と言い放つだなんて恐れ入りましたわ。 お隣の女性方もお気の毒に」
私の言葉に彼よりも、パートナーを連れた彼の御友人方が狼狽えています。
『君は綺麗だよ!』などパートナーに言う声が聞こえてきますが、フォローすべき箇所が違いますわ。
そこは私が決めつけた部分を否定するところでしてよ?
流石彼のお友達ですわね。
女は過去の出来事をしっかり覚えているモノです。
せめて歳を重ねても、同じことを仰ってくださるといいですわね。
まあ、私には預かり知らぬことですけれど。
私は確かにいつも地味で型遅れの、色気のないドレスを着ております。
ですが常に生地は、我が商会が苦労して契約を取り付けた、エルフの村で作られる希少なモノ──それは見事な一級品です。
数が少ないので、価値のわかる人間にしか売る気はありません。
地味で型遅れにしているのは、商業戦略です。
色気や華やかさがないのもそう。
見せたいのは肌でもアクセサリーでもなく、生地ですからね。
この生地は高額ですが、部分使いであれとても素敵になるので、部分部分を彩る生地の質感に注目して頂きたいのです。
まあ、この場にその価値をわかる方はいらっしゃらないようですが。
流石は彼の(以下略)
「ふふっお気の毒だなんて、それは貴女でなくて? こうして彼は私を選んだのだもの」
彼の隣のジョディさんという方がマウントを取ってきました。やはり平民の方のようですね。
余程自分に自信があるのか、それとも意味がわかっていないのか。そのあたりは私には些かわかりかねますが。
「そうだ! くだらん言い掛かりをつける程、婚約を継続したいとは……貴様こそ浅ましくみっともない女だ。 私は貴様のことを気の毒だなんて一切思わんがな!」
彼も暴言を吐いてきました。
ノリノリですが、ちょっと言い返されると間が空くのが残念です。ジョディさんの発言で勢い付いたのが丸わかりで、幼馴染みとして情けない限り。
ですが否定は特に致しません。
また間が空くのも時間の無駄でしょう。
言葉が通じても、話は通じませんし。
それに最後のだけは事実で、私も特に気の毒ではありませんしね。
「ああごめんなさい。 お返事がまだでしたわね? 婚約破棄、承りますわ」
そう言うと、私は彼にだけ聞こえるように、続けます。
「それに正直言うと、貴方の価値観を否定する気もございませんの。それを公然と言うのが宜しくないだけで……私だって貴方との婚約を受け入れたのは、お顔がいいからという理由だけですもの」
この国での女性の社会進出は以前より大分進み、職業女性が表立って非難されることは少なくなりました。ですが、男尊女卑的な考えは未だに強いのです。
私は商会を設立し営んでおりますけれど、特に『世の女性の為に立ち上がろう』、みたいな気持ちはございません。
ただ、『養っているのが偉い』のならば、当然『無能は黙らっしゃい』の一言に尽きるわけで。
この国の風潮が正しいとは思いませんがその基準を前提に有り体に申しますと、「どんな価値観をお持ちであれ、せめて稼いでから言って頂きたいわ」と言うのが彼に対する本音ですわね。
貴族的云々を持ち出し働くのが良くないと言うなら「せめて伯爵家の仕事を任せてもらってから」かしら。
それが無理だから私に頼むしか無かったというのに、図々しいことこの上ない。
まあ、もうどうでもいいことです。
「では」と一言残し、私はその場を去りました。
幼馴染みで顔が良かった彼ですが、おそらくもう会うことはないでしょう。
彼がお金の無心に押しかけてきたりしなければ、の話ですが。
「お嬢様、よろしいのですか?」
「いいのよ別に」
頭は悪くてもお顔が良くて、相応に所作も身に付いている彼の使いどころは、社交界という場で商品を宣伝する為のお人形さん程度に過ぎません。
お人形ならばそれらしく飾られていればよいものを、勝手に踊るようでは呪いの人形です。
「おじ様おば様には悪いけれど、呪いの人形をわざわざ引き受ける程、酔狂な好事家では流石にありませんわ」
「?」
(ですがお金には困ってませんし、慰謝料の請求はしないでおきましょう)
どうせ払うのは、ご家族になりますし。
婚約破棄自体別に気にしていないので、伯爵家との関係を維持する方が大事です。
「それよりミュー、貴方あの場ではサッと駆け付けるのがスマートではなくて?」
「も、申し訳ございませんっ!」
ミューことバーソロミューは、私の冗談に深く頭を下げました。
「いいのよ。 どうせあの方に従者控え室にでも押し込められていたのでしょう? 大丈夫? 何も無かった?」
つむじが可愛らしいですが、私はそう言って彼の顔を上げさせます。だってお顔の可愛らしさはつむじの比ではありませんもの。
私の愛しい幼馴染みは、気の毒にも今日もお顔がとてもいいのです。
気の毒……ああ、不謹慎にも気の毒可愛いと思ってしまう程、顔がいいですわね!
だから自分より顔のいい彼を、クノーバー伯爵令息は嫌っておりました。
「はいっ! お嬢様のくださった魔道具のお陰で何事もなく!!」
「ふふふ。 貴方に危害を加える者には容赦なく電撃が与えられますからね」
「流石ですお嬢様! 素晴らしいです!!」
彼はキラキラした瞳と素直な言葉で私を褒め讃えます。
語彙など問題ではありません。
豊富な語彙を駆使したどんな美しい言葉も、彼の瞳のキラキラには敵いません。
褒められた側の私すら敵いません。
今もつい「おうっふ」という変な声が漏れてしまいました……完全敗北です。
私の母は、元々伯爵家の末娘。
クノーバー伯爵夫人とは親友でしたので、そのご子息と私は幼少期から共に過ごすことか度々ありました。
避暑に行った先で出会ったのが、彼……バーソロミューです。
ミューは火災で両親を失ったばかりの孤児でした。
善良な孤児院長は私達の両親に『使用人としてでも、引き取ってくれないか』と打診をしてきたのです。あまりにも容貌がいい為、危険と判断したのでしょう。
実際、妖精のようなミューに一目惚れをした私達は、両親に必死でお願いしたものです。
残念ながら、クノーバー家の従者見習いとして引き取られてしまいました。
それに憤ったのは、私と同様に散々強請っていた筈の、かのご子息でした。
粗末な木綿のチュニックを着て、髪をハーフアップにしていた妖精のような『ミュー』を、彼は女の子だとばかり思っていたのです。
しかもミューは、従者見習いとしてポンコツでした。なにをやらせても上手くできず、幼馴染みの彼を怒らせてしまいます。
まあ、賢ければ賢かったで上手くいかなかった気はしますけれどね。
嫡男であるお兄様の方にも付けてはみたものの、二日程で『うん、ちょっと無理』とやんわりした口調でハッキリ断られたそう。
結局家にやってきて、今に至ります。
ミューはポンコツですけれど、私にはポンコツではありませんでした。
ミューのポンコツさは、私のエネルギー。
これ以上ないやる気になりました。
彼がもし追い出されても私の財産で賄えるよう、貯めていたお小遣いをまとまったお金にする為に、投資の勉強を。
美し過ぎる上ウッカリ者で人の好い彼を守る為、魔術と魔道具の勉強を。
成長し更に麗しさを増す彼が権力ムーブで横から奪われないよう、美的感覚の異なる他国や異種族との強力な伝手の為、語学と貿易の勉強、そして交流を重ねました。
それは充実した日々でしたが、やはり相応に大変なモノでもありました。
そんな時でもミューが私に力をくれたのです。
深夜にミューが「お疲れ様です~♡」と言いながら淹れてくれた珈琲は有り得ない程苦く、私の目を覚ましてくれました。
下げる時によく転んでしまうのも愛らしく、私の心を癒してくれました。
一度、完成した書類にぶち撒けてくれた時は流石に私も泣きそうでしたが、『責任を取ります!』と言って躊躇無く美しい髪の毛を丸刈りにしたので、こちらが悲鳴を上げ、倒れてしまいました。
拙いながらもミューは私に尽くそうと、いつも一生懸命です。そのせいで何度も死に掛けるので、私も常に全力で走らざるを得ませんでした。
ですが、それを辛いと思ったことはありません。
「ねぇ、ミュー。 瑕疵がついてしまったので、貴族との結婚は無理だわ。 そう思わない?」
「お嬢様なら王子様だって惚……むぐっ!!」
「馬鹿、不敬よそれは」
とんでもない事を口走りそうになったミューの口を押さえ、「全く危なっかしい」と呟きましたが、それでも嬉しくは思います。
彼は嘘も下手なので、本心なのですもの。
「ですがお嬢様は誰より素晴らしく聡明で強く美しく……ええと、努力家で! なんでもできるとにかく素晴らしいお嬢様ですから!!」
相変わらずの語彙の酷さですけどね。
「ふ~ん……じゃあ誰でも私が求婚すれば、受けてくれるのかしら?」
「勿論ですとも! あっでもクノーバー伯爵令息みたいのは全力で反対しますが! 次はお嬢様がいいと言っても反対します!!」
「そう……」
私はミューの見た目が大好きだけれど、もうそれだけではありません。
彼が禿げても老けても身体が横に二倍になっても顔が変わってしまっても、大嫌いな虫の姿になってすら、愛しく思える自信があります。
ただ、それを言うつもりはありませんでした。
彼を縛ることになるような気がしたからです。
「じゃあ一度、貴方に相談してみようかしら?」
……まあ、既に充分、意図せず縛っているような気がしますので、今更ですよね?
「お任せください!」と自信満々に胸を叩くミューの次の反応を想像しつつ、私は呼吸を整えます。
人生二度目の奇跡を夢見ながら。
こんなに緊張するのは久しぶりです。
「あのね……」
──この後のことを語るのは野暮ですけれども。
いつものポンコツぶりを遺憾なく発揮したバーソロミューが胸ポケットに入っているハンカチを落としてしまいそれを拾おうと腰を浮かしたところ、絶妙なタイミングで馬車が揺れた為に思い切り私を押し倒すかたちで倒れ込んで来た上にそれこそ物語が如くイイ感じで唇が重なってしまい、あまつさえ彼が「責任を取らせてください!」と土下座で懇願することになろうとは……恋する乙女らしく、人生二度目の奇跡を夢見ていた私も、流石に思わなかったのです。
※一部拡大解釈されそうな部分があったので、表現を直しました。
あくまでもこの世界の話であり、言うまでもなくフィクションです。