1. 心を駆けて。
悲恋×バッドエンドからのある意味のハピエンが書きたくて、短編を投下させていただきます。
淡い、――細雪のような光の粒子が静かに螺旋を描いていた。
瞼を閉じても感じられる柔らかな体温のような温かみを持つ、ぼんやりとした薄絹の如き風が、大した力もないはずなのに、その場にいる全ての者を場に縫い留める。
呼吸以外の身動き全てが封じられ、指一本すら動かせないその空間の中に在って、ただ一人、その呪縛をものともせず滑らかに動く人物がいた。
「いと尊き、聖なる光の原初たる大神エフェランティルトーレよ」
まるで聖歌のように滔々と薄い声音で言葉を発すれば、蕾が綻びるように黄金の見えない糸でできた繊細なレースのような魔術紋が水面が広がるが如く現れる。
空間を満たしている光は一人の少女の体から発せられたものだった。
ヒビの入った白無垢の石畳に両膝をつき、両手を祈るように組み合わせた状態で彼女は目を閉じていた。
ほっそりとした陶磁器のような右頬にはじんわりと血が滲み、喉元には横に走る傷からうっすらと血が流れている。
真白の花嫁衣裳はあちこちが切り裂かれ、破れ、あるいは淡い血色に染まっていた。
光の粒子が躍るように絡まる淡い金色の髪の毛はざんばらで、紫の宝石があしらわれた髪飾りや複数個の小粒の真珠の小さな飾り具が落ちかけている。
少女は微睡から目覚めるようにゆっくりと青玉の瞳を開き、小さく口を開いた。
「いと尊き、昏き常闇の深淵たる大神ヒュベルテーゼよ」
呼びかけに応じるように今度は漆黒をなお闇に染めたような複雑な紋章がゆっくりと浮かび上がる。金の光と絡まりながら重ね合わせるように陣が浮かび上がり、頭上の蒼穹に薄く伸びて広がる。
「古き呪縛を打ち払い、その尊き御力を以て、我が祈りを糧に地に澱む瘴気を取り去り給え」
呼吸すら忘れてしまうほど幻想的で儚さを帯びた光景がそこにはあった。
「イスリール!」
誰もが時の終わりのように静止した異質な空間にあって、ひとり。
少女、イスリールから最も遠く、砕けた柱の傍で起き上がる者がいた。宵闇色の髪から深紅の血が溢れて、ぱたと床に落ちて歪な円を描く。
荒い呼吸をしながら四肢に力を入れて片膝を立てれば、ごぼりと音を立てて喉奥から鮮血が溢れ出して床を大きく濡らした。だが、それすら意にも留めず、青年は顔を上げて立ち上がる。
「イスリール!!」
この場に不自然な怒号を上げて、一人の青年が欠けた剣を片手に光の中央に向けて走り出す。
まろぶように駆け出せば、彼を阻むように幾重もの鋭い風の刃が青年の肌の表面を切り裂いていく。血飛沫が霧のように舞い飛ぶ中で、痛みに顔をしかめるものの速度は衰えず、少しずつ加速していく。
「グレンフォード、やめろ!おい、誰か、奴を止めるんだ!彼女に近づけるな!!」
その背中を追いかけるように、嫌悪を帯びた別の声が空気を振動させた。
だが、ただ広い白の空間でその声に応じて動き出すものは誰一人としていない。
ある者は腰を抜かしたままの態勢で、またある者は床にひれ伏して、苦渋に満ちた表情で手足を微動させただけだ。
「くそっ」
悔し気に憤りを吐き出して床を拳で叩きつけた紫紺色の瞳の青年、スレンダインは、すぐ手近に転がっていた白銀の剣を引き寄せ、それを杖にしながらなんとか立ち上がろうと指に力を籠める。しかし、それは叶わず剣ごと床に再びひれ伏してしまう。
「彼女の邪魔をするな!!」
歯噛みしながら言い捨てて、身近く詠唱を唱えるとグレンフォードの背中目がけて指を横に凪ぐ。が、予期していた魔術が生まれずスレンダインは目を見開いた。
「魔術が」
行使できず、発すると同時に純粋な魔力の粒子として分解し空間に溶け去っていく様子に驚愕し目を見開く。
「この現象は」
以前に一度だけ目にしたことがあった。
その時の記憶を手繰り寄せ、スレンダインは中指に辛うじて触れる距離にある剣を引き寄せ深呼吸をする。
ただ魔力が膨れ上がって暴走したあの時とは違い、今回は制御されているようだが、何かのきっかけで彼女の集中が途切れてしまうのだけは避けなければならない。
彼女しか成しえないことを邪魔させてはならない。
それなのに、それを阻止したいと思うこの想いはなんだ。
心臓が締め付けられそうなほどの熱を帯びた、血液が全て沸騰しそうなほどの熱情は何だというんだ。
スレンダインは直視しがたいほど眩く輝く、イスリールの視線と交わった気がして息を呑んだ。




