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消耗品たちの八月十五日  作者: 河野靖征
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 その寿に二度目の召集がかかったのは、日本の戦勢がいよいよ終末段階へと突入した昭和十九年(一九四四)の一月であった。

 身を切るような寒風が吹き荒れているその日、本籍地のある九州小倉の歩兵第十四連隊へ陸軍兵長として赴いたのは、現役を除隊して予備役となってから既に七年が経ってのことであった。

 寿が応召した小倉の連隊は、建軍当初から地獄の連隊と怖れられ、日常の訓練の烈しさから、毎年、何名かの兵隊が脱柵したり(かわや)(くび)れて自殺を図った。このために、この連隊に入隊するときまった者は、まるで死刑の宣告でも受けたかのように、本人はもとより家族まで落胆したという曰くつきの連隊でもあった。

 しかし、それもいまでは過去の語り草でしかなかった。寿が入営したときには、日本の戦局は既に末期状態と陥っていたため、連隊はかつての凄まじい狂鬼的集団の俤はなく、各地から寄せ集めた二国(第二国民兵)の補充役兵を外地戦線へ送り出すための単なる繋ぎ的な役割を果たすだけの惨めなものに成り下がっていた。

 惨めと言えば、もう一つ肝腎なことがあった。それは、人間が生きて行く上に必要不可欠な給養である。幸いにして二度目は予備役ということもあって、内務班での日常は殆ど苦労することはなかったが、戦局が逼迫しているとはいえ、軍隊の食糧事情がこれほどまで悪化しているとは、正直なところ夢想もしていなかった。

 寿が初年兵当時の兵額一食分の定量は、米六四〇グラムに麦二〇〇グラムの混合米の計八四〇グラムと魚や肉などの副食と味噌汁が給与されていたが、その頃に較べると、いまの兵隊の給与は著しく減額されており、本来給与されるべきはずの兵額の四割近くまで減らされていて、これでは腹が減るばかりで、まともな軍務などとてもできそうもない状態にまで兵隊は追いこまれていることであった。

 外地戦線へ動員される兵たちは、このような現状下で、空腹を抱えて毎日のように出て征ったのである。

 病弱とも言える二国の老補充兵までが軍隊へ徴兵される逼迫した時局である。健全な肉体を持つ現役や予備役の壮丁が優先的に徴兵されるのは当然のことであった。

 これまでの社会では、何事を行うにも、自分の意思と責任で自由に生活できたが、軍隊ではそうはゆかない。すべてが命令と服従で人間は支配されるため、個人の意思や思想は一切認められない。このことから、如何なる理由があろうとも、いったん下令された命令の忌避は絶対に許されない仕組みになっていた。つまり、大元帥陛下(天皇)の赤子として自分の氏名が軍籍名簿に記載されてある限り、軍の統帥、すなわち天皇の命令一つで、どこへでも赴かなければならない義務と責任を背負わされているのである。

 その義務と責任とはなにか? 

 それを決定づけるのが、次に記す軍人勅諭(ちよくゆ)の一節である。

『軍人ハ只々一途ニ己カ本文ノ忠節ヲ守リ義ハ山獄ヨリモ重ク死ハ鴻毛ヨリモ軽シト覚悟セヨ』(傍点引用者)

 と、言うことであり、本来は人間の生命を最優先に尊重しなければならないはずのものを、それを鶏の羽毛以下の一個の消耗品として国家に身を捧げなければならないという、これが兵隊に与えられた義務と責任であった。

 このことは、兵隊は国粋権力からの逃避は絶対不可能であることを意味していると同時に、人間として生きる権利を剥奪された存在であるという証であった。これを逃れるためには、自らの命を絶つより他に選択肢はなかったのである。

寿が所属する部隊に動員命令が下達されたのは、入営した(ひと)(つき)後の、それも出発二日前の(にっ)(せき)点呼時であった。

 このため、翌日のその日は出発の準備で忙殺され、次の日の払暁時には出発地に集合するという、誰も家族との訣れを惜しむ暇のない慌ただしさであった。

 出発地の門司港には、本州や九州各地からの動員兵で埋め尽くされていて、輸送船三隻が朝靄の煙る岸壁に接岸されていた。

 寿の乗船区分は第一船であった。

 人間の運命はどこで曲折するかわからない。この割当てられた船が、自分の明暗を分けることになろうなどとは、動員兵たちは知る由もないことであった。

 本来の輸送船は、海軍若しくは陸軍所属の艦艇を就役させるものだが、寿が乗船した輸送船は民間の中型貨物船を改造した陸軍所属のもので、それも貨物室を二層か三層に割ったらしく、上に手を伸ばせば、板張りの天井に手が簡単に届いた。

 本来は資材運搬を目的とした船腹である。それを人間を運ぶために改造したのだからこのような構造になったのは仕方がないとしても、それにしても、そこへ一〇〇〇人もの人間を収容するというのだからたまったものではなく、兵たちは、そのなかに押鮨のように詰めこまれた。

 寿は、比較的通気のいい階段下に陣取って装具を置くと、早々に疲れ切った足を伸ばして船壁に背を(もた)れた。

 その船壁に凭れたものの、立ち動いているときは船が揺れていることは差程も気にしなかったが、船壁に背を当てると、確かに海に浮かんでいる船であることがよくわかった。船体は、港湾の穏やかな潮流に合わせて、微かな上下運動をしているのである。

 やがて烈しい痙攣を起こしたかように船体が振動した。抜錨した船が、合図も行先も告げずに出航したのである。

 どこへ向かうかわからぬままの状態で暫くすると、

「総員上甲板に集合!」

 と、船内の拡声器が金切声を上げた。

 東の空が白みはじめた上甲板に集合した動員兵たちは、その場でまず皇居方面に向かって礼拝させられ、そのままで祖国に訣れを告げる挙手をした。

 夕刻、出発時に分配された携帯口糧を開いていると、名簿を手にした下士官が船室を廻りはじめた。乗船者の官等級氏名の確認と下船時の行先区分をきめるためである。

 その下士官が寿の前に来たときに、目的地を尋ねてみたが、下士官は、

「じつはオイも知らんとじゃ。ま、行き着いたところが目的地やばってん、行きゃわかろうたい」

 下士官はふざけた答えを返したが、実際のところこの下士官も行先は知らなかったのである。

寿は、下士官の人を食った態度を鼻先で嗤い返して、再び船壁に凭れた。

 海面のうねりが一段と大きくなったようである。上甲板に整列したときには玄界灘の向こうに対馬の島影が見えていたから、それから判断すると、船は、日本海の荒波に揉まれているのである。

この頃になって、船酔で苦しみはじめた男たちが騒々しくなった。蒼い顔をした男たちはその場で嘔くことが出来ないから、彼らは軍帽を口に当てがって先を競って甲板に駈け上がった。寿も、窒息しそうな船室にたまりかねて飛び出した。

 後部甲板に立つと、案の定、二月の海は荒れていた。当然のことだが、冬の陸とちがって、海原には風を遮る遮蔽物は何もない。したがって横殴りに吹きつける潮風は鋭利な刃物のように尖っていて、骨まで凍らせる冷気が、着ている外套を突き刺して侵入し、寒風が頬を掠めると、そこは斬られたような痛みが走った。

「こりゃたまらんばい」

 尋常とは思えぬあまりの寒気に、寿は煙草を二三服吹かしただけで、そそくさと船室へ逃げ帰った。



 翌日――

 船酔いで嘔吐した臭気の充満した船内で眠れぬ一夜を過ごした寿は、船内放送の「総員起こし!」の号令と同時に新鮮な外気を求めて後部甲板へ駈け上がった。

 海洋は、昨夜とはがらりと変わって穏やかであった。

 寿は、お愛想程度としか思われない装備の軽機関砲座の土嚢に背を凭れ、船尾の彼方の横一文字に拡がる水平線上に昇ろうとする旭日を、煙草を燻らしながらぼんやりと見つめていた。

 だが、そのうちに、寿は、水平線上の異変に気づいて、ふと首をかしげた。追従しているはずの後続の艦船が消えているのである。太陽と船の航跡から判断して、寿の船は西へ舳先を向けて航行している。だとすると、後続の艦船は、夜陰にまぎれて北か南へ舳先を向けたのである。

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