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消耗品たちの八月十五日  作者: 河野靖征
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 捕虜収容所では、栄養不良での極度の衰弱で、毎日のように捕虜仲間が死んだ。殊に冬季の厳寒期には凍死が続出したのは言うまでもないが、その遺体の始末は捕虜の仕事であった。しかし、この仕事だけは、収容所の誰もが過酷な労働と衰弱が追い打ちをかけて、誰も引き受ける者がいなかった。そのために、その遺体処理を、寿と有働は買って出た。

 酷寒零下での遺体の埋葬は寿たちには経験があったが、そのときは寿の部下だったから(いと)わずに務めたが、今度の場合は理由があった。

 岩盤のように硬く凍てついた大地を円匙一本で掘らねばならいから、土を掘り起こすのは並ならぬ苦労を要したが、監視兵の厳しい眼のなかでの寸暇のない過酷な労役に較べればずっと気が楽であったし、死んだ者には気の毒だが、貴重な被服が手に入るのと、監視兵を気にしなくてすむ自由な時間が使えるからであった。

 被服と言っても、捕虜になってからは誰もが着たきり雀だから、まともなものを着ているものはいない。汚れきって襤褸切れ同然となった、それも人間の生き血で肥え太った虱の巣になっているものばかりである。

 二人は、そのような被服を、手慣れた手つきで剝ぎ取った。収容所の、同じ組の仲間に与えるためである。

  着衣を全部剝ぎ取ると、虱が、温かい新鮮な生き血を求めて、汚れきった死者の肌の上を這い廻った。

 死者の被服を毟り取る罪悪感やうしろめたさはとっくに消え去っている。これを必要とする者は、夏の軍衣袴のまま捕虜となって、これからも生きつづけなければならないのである。襤褸切れ同然の被服でも重ね着しなければ、防寒衣の支給見込みなど望めない厳寒期はとても無事に越せない。死者の被服を略奪しながら、寿は、収容所に到着したその日を想い起こしていた。自分たちの前に立った血色のいい赤軍の将校と、それに随伴して来た捕虜将校の少佐と通訳がいた。この二人は、一装用の冬の軍衣を着ていて、それも将校待遇の充分な給養を摂っているらしく、乞食同然と化した兵隊捕虜のように衰弱で(やつ)れたところは欠片もなく、人間の色艶をしていた。

 通訳は、関東軍ロシア語班の軍属ということであったが、そのせいか知らないが、赤軍将校とは任務の関係上特殊な結びつきがあるらしく、得意なロシア語を巧みに操って自分の立場を有利に保っている優越感が、当人の顔に露骨に表れていた。

 その通訳の庇護のもと、自分はまだ関東軍の高級将校であると信じている男が、威丈高にこう言ったのだ。

「みんな聞け。この赤軍将校はこう言っている。我々が護ろうとした満洲国は極東ソ連軍によって完全に解体された。我々はそのために捕虜となった。だが心配することはない。捕虜となったいまのお前たちは辛いだろうが、お前たちのいまの生活もそう長いことではない。この赤軍将校は、こう言っている。我々赤軍は民族の解放軍であるから、お前たちにいつまでも辛い思いをさせたりはしない。そう言っている。本官も同じである。お前たちを一日も早く、お前たちの家族や肉親が待っている祖国へ帰してやりたいと考えている。そのためには、我々は赤軍の要求を受け容れてこれに答えなければならない。つまり、これから我々に課せられるであろう作業ノルマを、手を抜かずに、気合いを入れて達成させなければならないということだ。このノルマを来年の解氷期までに達成すれば、お前たちの給養も改善され、きちんとした被服を全員に支給し、その上で内地送還を実現させる。赤軍はその用意もできている。辛いだろうが、少しの辛抱だと思って、赤軍が目指している社会主義建設に協力しなければならない。そう言っている。だから、いいか、来年の解氷期まではあと半年の期間だ。我々が一日も早く内地帰還を果たすためにも、全員が一丸となって赤軍の要求に答えなければならない」

 無論、赤軍将校には日本語はわからない。通訳は、大袈裟なジェスチャーを交えたロシア語で、捕虜たちにこう伝えてやったぞ、と言わぬばかりの得意顔で白い歯を見せていた。赤軍将校は、物分かりのよさそうな笑みを湛えてうなずくと、通訳と少佐を促して捕虜たちに背を向けた。

 捕虜たちは、穏やかな表情を残して去って行く赤軍将校の後姿に、内地帰還への希望の光が差しはじめたことで、どの顔にも熱い期待がそれに注がれていた。

 寿もその言葉を信じた一人であった。解氷期が訪れたら内地帰還が実現するらしいのだ。それまでは、夏の軍衣のままなんとしても生き延びなければならない。その期待と希望が、寿や捕虜たちの気力を奮い立たせたことも事実であった。捕虜たちは互いを励まし、庇い合って、作業の目標達成に向けて心血を注いだ。

 だが、捕虜たちの期待は、解氷期が訪れても叶えられることはなかった。作業大隊指揮官の少佐にそれを詰め寄ると、少佐は苦々しい顔でこう答えた。

「赤軍が言うには、作業ノルマ達成には数字がまだ不足しているらしいのだ。私はそんなはずはないと抗議したんだがね、連中は、どうにも首を縦に振らんのだよ」

 この少佐も捕虜たちも、日本がポツダム宣言を無条件で受諾したことは知っていたが、その内容までは知らなかったし、それが戦争で物資を蕩尽した自国の立て直しのために、モスクワがその内容を無視したことも知るはずがなかった。したがってその後も捕虜たちは騙されつづけ、なにも知らないまま過酷な重労働に使役されるのである。



 毎年訪れる凛烈な寒気と、飢えに耐え忍ぶ捕虜生活も三年が過ぎた。

 当初は千五百名を算えた捕虜は、このときには既に三割が収容所の森に埋められていて、その補充に他の収容所から新たな捕虜が廻されて来ていた。

 しかしながら、この頃には、徐々にではあるが収容所の給与が改善されはじめ、冬には防寒外套も支給された。支給されたといっても、これらは極東ソ連軍が戦利品として関東軍から没収したものであった。

 また、それと併行して、いままで軍隊の階級制度がそのまま生きていた収容所も上下間の格差がなくなり、赤軍による捕虜の民主化が実施されて収容所内での平等化が図られた。このことから、これまで作業指揮官として背筋を伸ばしていた将校や下士官と兵隊の立場が逆転する椿事が起こったりして、兵隊から怨みを買った元下士官が、その日を境に忽然と姿を消した。闇に紛れて抹殺されたのである。

そのような(こん)(とん)とした日々がつづくある日、捕虜たちの間にまことしやかな噂が流れた。収容所が閉鎖されて、いよいよ内地送還の準備を赤軍がはじめたらしいというのである。

 だが、捕虜たちは、それを冷静に判断するだけの分別を既に養っていた。この三年の間、内地帰還の報はどこからともなく再々流されて期待を募らせるが、そのたびに裏切られているからである。

 この日は、しかし、いつもの流言とは内容が異なった。

 軍隊では、どこの部隊にも、軍隊の内務以外の逸材と言われる者が必ず一人や二人いた。したがって捕虜収容所は、軍隊の組織がそのまま移動したようなものであったから、そのような秀才が収容所には沢山いたのである。このことから、この収容所も語学に長けた秀才がいた。

 この捕虜は、軍隊で謂うところの所謂「アカ」と睨まれた男で、ドイツの哲学者マルクスや、マルクスの思想を受け継いで社会主義国家ソ連を創設したレーニンを敬愛する若き学徒兵であった。だが、その反面、自分が捕虜になって以来、これまで教えられてきた社会主義体制の人間を扱う態度に疑問を抱きはじめ、思想のギャップを埋められずに悩みつづけている若者でもあった。

 その痩せ細った若き学徒の捕虜が、どこで手に入れたか、ロシア語のその部分だけが引き千切られた古びた新聞記事を、収容所の仲間に読んで聞かせたというのである。

 その内容は、ナホトカに接岸されていた日本の大久保丸と恵山丸が、日本への帰国者約五千名とともに八月八日舞鶴港へ無事帰港したという短いものであった。

 過酷な厳寒期を乗り越え、漸く解氷期を迎えようとしている捕虜たちは、その記事には西暦が記されていないためにその日付がいつなのかわからなかったが、捕虜たちには、しかし、日付などどうでもいいことであった。それが、いつ、どこで実施されたにせよ、この情報は希望に満ちた朗報であることにちがいはないからである。

 捕虜たちは、この話に沸き返った。短い文面ながら内容は具体的であり、しかもソ連内部に向けたロシア語の新聞記事であることから、これは信頼性の高いものとして、自分たちの帰国も間近い証拠だという熱い期待に胸を躍らせたのである。

 それから暫く経ったある日、寿たちの収容所は、なんの前触れもなく突然閉鎖されることになった。

 捕虜たちは、それぞれの思いを胸に期待を膨らませた。例の新聞記事が実現されるにちがいないと、誰もが内地帰還を意味したものと解釈したのである。捕虜たちの顔は、日本に帰れるという歓びで満ち溢れ、僅かな手荷物を担いで、隊伍を組んで遙かな道を歩いた。誰もが、内地へ向かう鉄道を目指しているものと信じて、である。

 だが、その前途は、捕虜たちが期待した希望へと繋がるものではなかった。彼らが行き着いたそこは鉄道でも駅でもなく、奥深い森の入口に待ち受けている収容所であった。収容所と言っても、これまでのような建屋ではなく、各作業隊に割当てられた粗末な天幕であった。捕虜たちは愕然と肩を落とした。内地へ帰るどころか、眼前の森に群生しているブナの大木が、彼らの手で伐採されるのを待ち受けているのである。

 絵に描いた餅を何度も食わされつづけ、無価値な置物のように忘れ去られようとしている寿たち捕虜は、絶望のなかで、ただ呆然と立ち尽くすだけであった。

 三年前、日本内地では、自分たちの肉親が皇居前広場で集会を開き、ソ連に抑留された我が子の一日も早い帰国を乞い、(ぼう)()たる涙を流して天皇に訴えていることなど知る(よし)もなかった。

 日本政府は、これに対して(おお)(わらわ)している。関東軍七十万の九割を超える兵士がそっくりソ連領へ拉致されていることなど、情けないことにまったく知らなかったのである。

 家族の訴えでそれをはじめて知った日本政府は、生憎とソ連との間に捕虜返還の交渉権を持たないために、慌てて占領国である米国に捕虜の返還を要請し、これにより終戦の翌年の昭和二十一年(一九四六)五月、米ソ間の協定で日本への捕虜返還が成立し、ソ連に拉致されている抑留者の帰国が実現する運びとなり、同年八月八日に復員兵を乗せた復員船の第一船、大久保丸と景山丸が舞鶴へ入港した。抑留者の帰国は、寿が捕虜となった翌年には既に実施されていたのである。

 だが、広大なシベリア大陸の僻地に抑留されている捕虜たちにはその帰国の道程は遠かった。その多くは、なにも報されずに、その後も開放されることなく強制労働を強いられ、あの新聞記事が三年前の事実であったことを信じるまで、寿たちは、五年という歳月をシベリアの酷寒に身を曝さなければならなかったのである。

 その捕虜生活五年目、寿たちはナホトカの収容所へ移され、新しい被服を支給された。これは寿たち捕虜の帰国が間近に迫ったことを意味していたが、しかし、ここで思わぬ一騒動があった。

 日本への帰国を競う捕虜たちで構成された反ファシスト委員会が、これまで自分たちを顎で扱っていた元下士官や将校たちをファシズム帝国の片棒者として、彼らを糾弾する吊るし上げが頂点に達していたのである。

 元下士官であった寿もこの対象になった一人だが、収容所での残飯漁りが功を奏して、これは捕虜仲間に救われて難を逃れた。もしそれがなかったならば、寿は有働とともに無事に帰国できたかどうかはわからない。

 帰国の日、復員船に乗船した寿は、有働と手を取り合い、抱き合って帰国の歓びに泣いた。長く辛かったシベリアでの抑留生活が遂に終わりを遂げたのである。日本内地では、紫陽花が露に濡れて咲き乱れている頃であった。

 想えば、この五年の間に多くの仲間を失った。寿とともに生き残った三名の仲間たちは、笑顔で帰国を果たすことはできなかった。

 その男たちの骸は、いまは物言わぬ一片の小指の骨となって、寿の胸の隠しに温められながら、シベリアを離れて祖国へと向かう船の航跡を眺めていた。


 シベリアでの五年という過酷な抑留生活を生き抜いた寿と有働は、悪性の癌細胞のように脳裡に蔓延っている過去の悪夢を互いに抱えたまま、いまこうして、古傷をなめ合いながら小さな居酒屋に対坐している。

 開け放たれた店の前の通りが、人々のざわめきで騒々しくなった。一日の仕事を終えた人々が家路へ急いでいるのである。それに交じって、若さに満ち溢れた娘たちの弾けるような黄色い笑い声が入口を掠める。若者特有の、たあいもない会話に大袈裟に反応するそれである。

 その声に惹かれた有働が、入口にチラと眼をやって、

「……いまの若い奴は暢気でいいや」

 と、羨ましげに呟いた。

「俺たちが、シベリヤでロスケのゴミ箱を五年も漁って生きていたことを知ったら、どう思うでしょうね」

「戦争が終わって時代が変わったとじゃ。どげ考えるかは、あれらの意識次第たい……」

 寿は、ぼそりと答えた。

「でも、あのときはね、俺は必死だったんですよ。兄貴があすこで死んだら、俺は、とても生きてはいられないと、そう思っていましたからね」

 寿は、それに答えてうなずいた。

「そりゃオイとて同じたい。オイより先におまんがあの世ば逝ったなら、オイはいまこげェして生きとるかどうか、そいこそわかったもんやなかけんの」

「あいつたちとは、そりゃいろいろありましたが、いま思うと、俺の本当の身内だったような気がします」

「高丸も、の、オイの判断が甘かったばってん、無意味に死なせたようなもんたい」

「高丸ですか? 高丸は、あれは仕方がなかった。あの満人集落であいつを殺したのは戦争ですよ。みんな戦争が悪いんです。戦争が、俺たちの人生をメチャメチャに狂わしてしまったんです。班長殿の責任じゃありませんよ」

 吐くように言ってグラスの酒を吞み干した。

「戦争も軍隊も、もうまっぴらだ。あんなことをする奴は馬鹿か阿呆だ! 二度とやりたくねえ。やくざのほうがよっぽど人間らしくていいや」

「やくざも、喧嘩をすっときゃ武装ばするやろもんがくさ。そいに上下間も厳しか世界ぞ。中身は軍隊と同じやなかね?」

「そりゃ、そうかもしれませんがね」

 有働は、寿の顔を真っ直ぐに見て、

「でもね、軍隊よりはよっぽど人間的で、人情ってものがありますよ」

 ズバリと言いきった。

「人情か……」

 と、寿はしみじみと呟いた。

「わしゃそン人情ば篤か軍隊に二度もひっぱられたばってん、まっこと、めでたか男たい」

 寿は、グラスの底を見つめて卑屈に笑った。

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