04 中庭
サヤカの提案でドリームランドを探検してみることにした。流石に一週間も寝転んでばかりでは飽きてしまったのだろう。片桐は素直にそのアイデアを受け入れ、サヤカとふたりで巨大な瑪瑙作りの建造物を見物して回り始めた。
「ここな、昔は地球の神様が大勢暮らしていたんだってさ」
サヤカは終始、片桐にくっついたり離れたりして一緒に歩きながら、ご丁寧に解説までしてくれる。まるで観光案内人気取りだった。
「でも今じゃみんな逃げ出して、空っぽの建物だけが残ってる……らしいよ」
「詳しいね、サヤカは」
「お前より、ここに来るのが早かったからな」
サヤカはさも得意げな顔をしてみせる。片桐に何かを自慢できるというのが、嬉しくて堪らない様子だった。そんなところまで含めて、片桐には何もかもが愛おしい。
ドリームランドと呼ばれる縞瑪瑙の城は、見渡す限りの荒野の中で切り立った崖の上に建造されていた。古城を改築した宿泊施設……と捉えるのが適切だろうか。サヤカの存在もだが、この様なイメージが片桐の中の一体何処に潜んでいたのか、皆目見当もつかなかった。
「見ろよ、中庭だ」
サヤカが行く手に見えた庭園状の空間を指差し、とててっと小走りに近寄っていった。
「なあ、折角こんなところに来たし、隠れんぼでもしないか」
「唐突すぎない? まるで子供みたいだね」
「お前が鬼の役な。よーい、どん!」
「まだやるって言ってないのに」
片桐の返事も待たずにサヤカは人工の庭園めがけて飛び込み、たちまち姿が見えなくなってしまった。自由奔放とはこのことである。
中庭、とサヤカが呼んだそこは、一面見たこともない植物によって頭上まで埋め尽くされていた。植物の判別方法など片桐には専門外だが、たとえ自分程のど素人であっても、これらがそう簡単には見られない類の植物であることはすぐに分かった。
幹や茎の高さから、葉の形に至るまで何もかもが地球上の生態系を逸脱して見えた。中でも一際凄まじいのは色。とてもこの世のものとは思われない、まるで異次元や宇宙から飛来したとしか表現しようのない異形の色彩のオンパレードとなっており、まともに眺めているとそれだけで眩暈に襲われそうだった。
「サヤカ?」
何となく不安を覚えた片桐は、カノジョを呼んでみたが返事はない。代わりに、ザワザワという葉の擦れ合う音がした。おかしい。風など何処にもないのだ。片桐はまるで中庭の植物に愛おしい少女が飲み込まれてしまったような錯覚を覚えた。
「サヤカッ!?」
今度こそ、片桐は本気で心配になって大声でカノジョの名前を呼んだ。嫌だ、消えて欲しくない。たとえひと時の夢でしかないのだとしても、こんな形での別れは望んでいない。片桐はとうとう必死の形相をして庭園の中に分け入った。
「サヤカ! サヤカ!」
何処からも声はしない。まさか本当に、この化け物植物どもにカノジョは平らげられてしまったのか。そう思いかけて絶望に暮れていると。
「ばあっ!」
突如として、サヤカが遥か頭上の葉の合間から、無邪気に顔を覗かせた。片桐はへなへなと崩れ落ちそうになる。襲ってくる安堵、喜び、それから軽い怒り。
冗談も程々にして欲しかった。
「サヤカ、笑えないよ。本当にいなくなったかと」
「あはは、ごめんな。驚く顔が見てみたくってさ」
「いいから、もうそこ降りてきなよ」
「うん、そうする。それーっ!」
「わ」
片桐は今度こそ仰天した。本当にサヤカが木々の上から飛び降りてきたのだから。どうにかして受け止めようと慌てふためいた挙句、片桐は殆どサヤカに押し倒されるような形で草木の生い茂る人工斜面に上体を打ちつけていた。
想像以上に身軽なサヤカは平気な顔をして笑っていたが、片桐自身は後ろの地面が柔らかくなければ、危なかったかもしれない。
「なんて事するん……うわっ、ちょっ、やめ」
抗議するより先に、片桐の頰や首元にサヤカが唇を這わせてきた。いや正確には、舌でペロペロ舐めてくるのだ。半獣人というかこれではまるで正真正銘の獣の行動で、実際カノジョの舌の感触は絶妙にザラザラとしていた。
片桐は次第に当惑を覚え、いつしか怒ることを忘れてしまっていた。
「サヤカ……やっ……くすぐった……っていうか、いくらなんでも恥ずかしいよ。ちょっと、もう」
「口先では嫌だって言っても……本当は望んでいるクセに」
「なに変態みたいなこと言ってるんだ」
「ふーん、それはどっちのことかな? 言ったハズだぜ、これはお前の見ている夢なんだ。俺の行動は、お前自身の無意識の考えでもあるってことだ。そうなると」
片桐は、それ以上何も言えなくなってしまった。
バツが悪そうに目を逸らした片桐を、サヤカは満足げな顔で見下ろす。突然カノジョは身を離すと、片桐のすぐ傍に敢えて無防備な姿でごろん、と寝転んでみせた。
「ほら……今だったら、誰もいないぜ」
「……ッ!」
その行動には、さしもの片桐も心臓が跳ねあがった。カノジョを直視できないでいる片桐の様子を、サヤカは可笑しそうに見ていた。
「……こんなところで、誰かが来たらどうするんだ」
「平気だよ」
サヤカは尚も笑いながら言った。
「ここへ来てから一度も、誰かの姿を見てないだろ?」
サヤカの言う通りだった。これほど巨大な城であるというのに、そしてあのエントランスの造りから明らかに大勢の来客を想定しているのに、片桐がドリームランドを訪れてから今までただの一度も、他の人間の姿を目にしたことは無かった。不思議ではあるが、余り気には留めなかった。所詮これは夢だ。不条理な出来事など如何様にも起こり得る。
「……まったく、臆病な奴だな」
躊躇を振り切れないでいる姿にとうとう業を煮やしたか、サヤカは寝転んだ姿勢のまま手を伸ばすと、片桐を半ば強引に自分の方に抱き寄せた。バランスを崩した片桐は、殆んど顔から突っ込む様に、毛皮と人肌の混在するふわりとしたカノジョの胸元にダイブした。
抵抗する前に後頭部をがっちりとホールドされてしまい、離れようにも離れられなくなる。陽と汗のにおいに抱き締められ、片桐の考えはやがて緩やかに麻痺していった。とろける様に甘い安眠の世界がまたしても片桐に訪れる。
「……今日も、ぐっすり眠れそうか?」
「うん……サヤカのお陰だ……ありがとう……」
「そうか。それなら嬉しい」
ここから表情は伺えないが、子供っぽい笑顔をするサヤカが目に浮かぶようだった。
片桐の人生で、誰かに抱き締められて眠るのは初めての体験だった。片桐は、物心ついた時から人に優しく抱擁された記憶というものがない。記憶に刻まれているのは際限なく響き渡る怒声と、他人の泣き喚く声と、あるいは嘲笑と、容赦のない折檻の痛みだった。
片桐は孤独だった。他者からの愛という絶対的安心感を知らない。少なくとも心からそれを実感出来たことがない。それが人間に対する恐怖心へと繋がっていた。
夢の世界ではあるが、自分にだけ与えられる疑似的な陽の香りと、耳元と後頭部をくすぐる微かな指の動きは、片桐を原初のゆりかごに戻したような気分にさせていた。その中にずっと埋もれていたい。二度と起きたくない。片桐はそう願って止まなかった。
「俺もさ、嬉しいんだ。こういうのが夢だったから」
「サヤカの……夢……?」
「一度でいいから、こうやって自分から誰かを抱き締めてみたかったんだ」
サヤカは、片桐の背中をやさしく撫でながら呟いた。
「いつもは、人に抱かれてばかりだったから」
片桐の胸の奥にチクリとした痛みが走った。たとえ一時の幻想でしかないとしても、そんなことは考えるだけで嫌だった。無意味な努力と分かっていても手放したくない。片桐は殆んどしがみつく様にしてカノジョの温もりを求めた。
「サヤカ、お願いだから」
「……ああ、ごめん。そうだったな。でも、安心しろよ」
サヤカは、今にも溶け合わんばかりに強く片桐のことを抱き締めながら言った。
「今はもう……俺はお前だけのものだから」




