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〈成田航空支店の序列〉

第二章 成田航空支店の序列




「次は無いからな」




村田さんは絶対零度の視線を私に向け呟いた。時刻は午後10時を回っていた。




新部署に配属されて2か月。教育担当の村田さんが私に向ける視線は次第に深く、冷たいものになっていった。無論私が使えない社員だからなのだが、少し言い訳させてほしい。




この会社へ入社して1年と3か月ほどだが、私はすでに3回、部署を異動しているのだ。




〈入社後即窓際族〉




私が新卒で入社した会社は、国際航空輸送を手掛ける大手物流企業だった。




まず、はじめに配属された課には、私を含め3人の新入社員が配属されることになった。実はこの時点ですでに無理が生じていて、例年この課に配属される新社員は2人で、デスクや担当する仕事なども2人であることを前提に作られていた。当然、一人仕事からあぶれることになる。




同期の2人が仕事を振られる中、配属されて1か月が経っても、私が担当する仕事はなかった。自分のデスクもないので仕方なく、ゴミの片付けや備品の整理などを行っていた。入社後即窓際族になってしまったのだ。




2020年6月下旬、窓際生活を送っていた私に転機が訪れる。あまりの仕事の無さを見かねた(と思われる)上司から、他部署への異動を言い渡された。ようやく忙しそうに働く同期や先輩の視線から解放されると思い嬉しかった。




移動先の部署では料金計算的な仕事をすることになった。経理の知識はなく、計算も苦手だったが、初めて与えられた自分の仕事を精一杯全うしようと毎日懸命に仕事に励んでいた。しかし、その2か月後、またしても異動を命じられる。




〈超激務部署への異動〉




「戦略購買課の和田さんが今度ベトナム支店へ転勤することになった。尾口君には代わりに戦略へ行ってもらうから」




課長に呼び出され、このように告げられた。かくして2020年10月、私は新入社員としては異例の、というか全く前例がない戦略購買課へ異動することになった。




「本来こんな仕事、新入社員がやっていいものじゃないんだからな」




戦略購買課への異動初日、教育担当者から言われた言葉だった。いや、そんなこと私に言われても困るのだが…。前部署でお世話になった上司からも「あんな部署、経験のない尾口君が行くべきじゃない」と異動を決めた部長に対し愚痴をこぼしていた。いや、それなら部長へ直接抗議してほしいんだけど…。




社員の判断一つで、数千万の利益が決まる。そういう仕事をしている課だった。担当者が言う通り、新入社員がやるべき仕事ではなかった。




経験も知識も圧倒的に足りなかった。そもそも業界のいろはも私は知らない。取引先からは相手にされなくなり、課員からは無能の烙印を押され、「不要」と判断された私は半年後、またしても異動を命じられた。




〈教育担当者からの無視〉




「1年目で戦略へ行ったって聞いたから、どんな優秀な人間が入ってくるかと思ってたけど、なんにもできないじゃん、お前」




取引先で問題が発生し、対応に追われていた私に、教育担当の村田さんが言った。




その日は金曜日だった。この部署では土曜日、課員のうち1名が当番で出勤する。ほかの課員は休みなので、各自毎週金曜日は、土曜日出勤者へ仕事を引き継ぐことになっている。その週の当番は、私の教育係の田村さんだったのだが、前述のとおり私は取引先のイレギュラーに対応していたおかげで、村田さんへ仕事を引き継ぐことができなかった。結果として、私の引き継ぎが遅れたせいで、田村さんにも夜遅くまで残業させてしまうことになった。




「私のせいでこんな遅くまで残らせてしまって、本当にすみません」




全ての業務が終わり、村田さんへ仕事を引き継いだ後、私は謝罪した。田村さんはチッと舌打ちをした後、「どうすればこんな出来損ないができるんだか」と呟き、オフィスを出て行った。




翌週の月曜日から、村田さんの私に対する「無視」が始まった。




朝「おはようございます」とあいさつしても返事は帰ってこず、質問をしても無視。まだ異動してきたばかりということもあり、上司のチェックが必要な工程があったのだが、「村田さん、書類チェックお願いします」と言っても当然無視。これでは仕事を進めることができない。仕方ないから向かいに座る係長にチェックをお願いしていた。




〈権限のない係長〉




「村田君に目つけられたら終わりやな(笑)」係長の松代さんが笑いながら言った。部下同士の関係がギスギスして業務に支障が出ているのだから、ここは係長である松代さんに解決してもらいたいのだが、この人は自分にその責任があるとは夢にも思っていないらしい。




松代係長は私が見てきた中でも最も責任感の欠如した係長だった。元々関西空港支店の配属で入社し、33歳で係長職になったのをきっかけに成田支店へ異動してきた。




「俺はいずれ関西に戻るから、別に成田の成績なんてどうでもいいんや」 というのが彼の口癖で、上司の評価なんてどこ吹く風、大口の顧客の荷物を平気で1週間放置するようなとんでもない係長だった。




とはいえ私のことを無視するようなことはしないし、意外と面倒見がよかった。ほかの課員からは陰口を言われているし、頼りない、というか頼りにしてはいけない人だったが、それでも課員の中では一番気兼ねなくものを聞ける上司だった。




村田さんは松代係長のことも嫌っていた。さすがに上司ということもあり、無視することはなかったが、あからさまに態度が悪かった。性格はどうあれ村田さんはすごい。元々航空オタクということもあるが、課、というか部の中でも航空輸送に関する知識は抜きんでていた。松代係長も成田支店に配属されてまだ日が浅いので、よく村田さんに質問していたのだが、その度村田さんは「係長のくせにそんなことも分からないのかよ」と小声で言っていた。小声とは言え、どう考えても松代係長にも聞こえる声量で言っている。村田さんのことをどう思っているか松代係長に聞いたことがあるが、




「どうせ(俺は)あと何年もいないやろ。どうでもええわ」と笑いながら答えるだけだった。




私と村田さんの関係が完全に崩壊した中、私と松代係長の仲は急速に接近していった。そのことが村田さんの神経を刺激したらしい。私と松代係長が楽しく話していると、睨みつけてくるようになった。そして「無能同士仲のいいこった」と私たちに聞こえる小声で呟くのであった。





〈一般職の平社員に逆らえない上司〉




このようにギスギスした職場だったが、上司の皆さんはどうしていたのかというと、特にどうもしなかった。元々、私が来る前から成田支店の空気はこんな感じで、社員同士の仲は悪く、お互いにお互いを貶しあうのが当たり前という場所だった。




なんでこんな酷い人間関係になるのか。1年くらい働いて何となく理由がわかってきた。大きな要因は一般職と総合職の溝だ。航空輸送は理不尽な仕事だ。小さなミス一つ、例えば書類のスペルが一文字間違っていただけで貨物は飛行機に搭載することができなくなる。そんな神経を使う仕事にも関わらず、成田航空支店には『マニュアルは死んでも作らない』という格言?伝統があった。仕事は見て盗めということだ。




普通の企業では総合職>一般職という序列が存在するようだが、ニホン通運の航空支店ではこれがまるきり逆だった。国際航空輸送のノウハウの習得には( 特にまともなマニュアルもない状態では)非常に長い年月が必要だ。ここでポイントとなるのは、一般職は支店間の異動がないという事実だ。長い年月をかけ業務を熟知した一般職の人間が国際航空輸送のノウハウを独占し、ヒョイっと社内の人事循環でやってきた総合職をコケにする。




「新しく来た係長、この前総合職のくせにこんな簡単なこともできなかったのよ」まともなマニュアルもなく、教育の機会も与えないまま一般職の社員たちが総合職の上司に陰口を言っている場面に幾度も出くわした。村田さん(一般職の平社員)と松代係長(総合職の上司)の関係もちょうどこの構図に当てはまる。




部長や課長(総合職)も、業務を熟知した一般職の皆さんを敵に回すと仕事に支障をきたすので、一般職たちの傍若無人(例えば新入社員の教育を放棄して無視する程度なら全く問題なく)を見て見ぬふりをするのだった。




ということで、成田航空支店は一般職≧部長>課長>係長>平の総合職という序列が存在しており、松代係長が頼りないのも無理はなかった。なんてことはない、彼も下から2番目に低い地位の人間なのだ。「どうにもなりまへんなぁ」松代係長と一緒にへらへらするしかなかった。

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