18回目 小学生並の文章でかまわない
ただ、書くにあたって、名文美文というような事は避けていく。
文章力というのだろうか。
言葉の飾り方というのだろうか。
修飾というのだろうか。
これについては切り捨てていく。
割り切るといってもよい。
残念ながら角造にそういった文章力はない。
せいぜい小学校の作文程度の能力だ。
高邁なる文芸文学の高みになどおよびはしない。
ならばそれにこだわる必要は無い。
出来ないものは出来ないのだ。
出来ない事をやろうとするほど無意味な事はない。
無駄と言っても良い。
必ず失敗するのだから。
練習でやってるならともかく。
本番で練習するわけにはいかない。
今できる事をやるしかない。
それ以外に何も持ってないのだから。
持ってないものを使う事は出来ない。
文章力が無い。
文芸や文学といえるほどではない。
小学生の作文程度にすぎない。
ならば、それでかまわない。
それでやっていくしかない。
大切な事は一つ。
読めこと。
読める。
求められるのはこれだ。
どんなに高尚な言葉遣いでも、どれほど気の利いた言い回しでも。
伝わらなければ意味がない。
極論すれば、小説とは説明文だ。
登場人物が何をしてるのか。
世間や社会や世界がどう動いてるのか。
それを伝える説明だ。
角造はそう思っている。
ならばその説明をしっかりやっていく。
誰が何をしてどうなったのか。
それをしっかり伝えていく。
そのためには、高尚な言い回しは必要ない。
むしろ、誰もが知ってる言葉の方がいい。
だったら、小学校で習う程度の言葉で十分だ。
小学校で習う事なら、たいていの人が知っている。
それならばより多くの人に伝わる。
意味を説明する必要もない。
読者にすぐに伝わる。
ならば小学生程度の文章力で十分だ。
大切なのは面白いかどうかだ。
文章というのは、それを伝える手段に過ぎない。
手段にだけ注目しても意味が無い。
それよりは、話の展開や流れに気を配る。
誰がどこで何をして、そうしたらどうなったのか。
それをはっきりとさせていく。
テンプレ通りの登場人物。
テンプレ通りの物語展開。
テンプレ通りの能力や道具。
テンプレ通りの世界や社会。
それらを駆使して組み合わせていく。
それを誰もが読める文章で伝えていく。
さて、問題は面白いかどうかだが。
こればかりは客次第だ。
面白いと思ってもらえる人に巡り会う事を願うしかない。




