16回目 面白さがないなら独自性なんていらない
思いつく限りやれる事はやった。
投稿はした。
予約日時も間違ってない。
あとは読者次第となる。
こればかりは運に任せるしかない。
あと、読者の好意。
一通りやる事を終えて、書いてるものの続きに手をつけていく。
連載なので、これで終わりというわけではない。
ここからが本番である。
「とにかくテンプレ通りにやっていかないと」
それだけを心がける。
よほど何か強い思いがあるか。
こうした方が良いという考えがあるか。
そうであるならば、それに従えば良いが。
違うならばテンプレ通りにやっていく。
この際、独自性や独創性などは邪魔でしかない。
また、名文美文というのも避ける。
そんなもの、やりたい者がやっていればいい。
それよりも、わかりやすい、簡単な文章を心がける。
漢字に言い回しも、凝ったものにせず、わかりやすいものにしていく。
テンプレとは読者に受ける傾向の集大成だ。
さらに突き詰めて言えば、人が面白いと感じるものの頂点だ。
あるいは、人が面白いと感じるものの基本でもある。
それを逸脱したって面白いものが出てくるわけもない。
ありきたりで良いのだ。
よくあるパターン、よく見た展開。
それで良いのだ。
そもそも独創性とは何なのか。
独自性とはなんなのか。
それの何が良いのか?
これが分からない。
結構もてはやされるこういったものだが。
なぜこれが必要なのか?
その理由は一切分からない。
分からないのに、なぜか良いもの扱いされている。
ここが角造には疑問だった。
書いてる作者にも不思議である。
「本当にそうなのか?」
書きながらつぶやく角造。
実際、これらが事実や真実なら、この世に面白いものはなくなる
何せ、創作物の大半が既に出されたものの焼き直しのようなものだからだ。
例えば、剣と魔法。
言わずと知れたファンタジーだが。
これも新しいとはいえないだろう。
何せ、中世ヨーロッパ風な時代や世界が定番だ。
そこに魔術や超能力や神に悪魔といったものが組み合わさっている。
これらが変わること無く使われている。
だとすれば、新しさや独自性とは無縁だろう。
他のジャンルにしてもそうだ。
SFにしても時代劇にしても、恋愛にしても。
おおよそあらゆるものが、既に行われたものの再生産のようなものだ。
今までに全く存在しなかったものなどあるのだろうか?
それなのに独自性などを求めてどうするのだろう?
そもそもとして、独自性があったとして、それは面白いものなのか?
新規ならぬ新奇。
そして珍妙なもの。
独自性だけを求めてしまえば、そうなってしまうだろう。
それの何が面白いのか?
今までに無かったとしても、それが果たして面白いのか?
そう考えると、独自性なんてものを求める意味が分からなくなる。
今までにないもの、というのが本当に良いものなのかと思えてくる。
そういうものを求めるつもりはなかった。
やりたいのは、面白い話だ。
その為にも、過去の蓄積や積み重ねに目を向けねばならない。
人気があったのは何か。
今は何が求められているのか。
それを探っていく。
そこには、誰かが楽しいと思っていたものが確かにある。
参考にするべきはそこだ。
だからこそ、典型やテンプレというものを参考にしていく。
それにそったような話を心がけていく。
今まで誰もやらなかったような…………というような事は避ける。
誰もやらなかったものをわざわざ取り上げる必要は無い。
やりたいと思ってる展開が今までに無かったものならともかく。
何をしようか悩んで迷ったら、とりあえず典型やテンプレに沿っていく。
求めてるのは面白いものだ。
独自性ではない。
独自性が面白くなるならともかく。
面白くなるかどうかも分からない独自性なんて求めてどうするのか?
何より、典型的な展開、テンプレ通りの話。
これは面白い。
面白いと思われる展開というのは、どこかしら似通っていくのだろう。
人間同士ならば何かしら似通う所もあるのだ。
ならば、典型やテンプレに沿った話は悪いものではない。
独自性が欲しいのならば、独自性だけ求めてる人たちが求め続ければ良い。
角造はそういった事に全く興味がないので手をつけない。
やる気がない物事に時間や労力を費やすつもりはない。
それを押しつけられるなんて論外だ。
「さてと」
考えていく。
この先をどうしていくか。
典型やテンプレという道しるべに沿って。
現在書いてる、異世界・ファンタジー・転生・チート・ハーレムという流れの中で。
それをどうやって進めていくかが悩ましい。
その上で考えていく。
如何に読者を楽しませるか。
読者は何を楽しむのか。
それと同時に。
自分にとって楽しい展開は何か。
テンプレ通りにしていくつもりだが、その上で自分が楽しい要素を。
如何にして盛り込んでいくか。
そこを考えていく。




